最弱の命

「ど、ど、どうしましょう!! みんなが、バラバラに……!」


 仲間たちからの連絡を受け、洞窟の前で慌てふためく私とは対照的に、ゼクさんはどうでもよさそうに大きなため息をつく。


「アホか。あいつらが簡単にくたばるわけねぇだろ。だいたいスレインのほうは、ハナからそういう狙いなんじゃねぇのか」


「で、でも、もし何かあったら――」


「助けに行くか? どっちに? マリオとヤーラなんざどこにいるかもわからねぇのに。いいか、俺らがバラけたってことは、敵もバラけてるってこった。それぞれで奴らをぶち殺すチャンスなんだよ、これは」


 確かに、そうかもしれないけど……どうしても心配になってしまう。私が行ったところで足手まといにしかならないのも、わかっているんだけど。


「俺らは当初の予定通り、スライムをぶっ殺しながら奴らが出てくるのを待ってりゃいいんだよ」



 洞窟の中は暗かったけれど、ところどころ穴から光が差し込み、それほど恐ろしさを感じさせなかった。

 今まで出会ったようなおぞましい魔物の気配はなく、ゼクさんのずんずん進む足音だけがこだまする。


 先に姿を見せたのは、敵の魔人やその協力者ではなく、1体のスライムだった。


 ぷるぷるした楕円形の小さな生き物が、私たちに気づいた途端、逆の方向へ跳ぼうとした――が、ゼクさんがその身を片手で鷲掴みにする。


「これがスライムですか? 可愛い」


「何和んでんだアホ。魔族だぞ」


 とはいえ、普通の勇者と違って、初っ端からSランクのドラゴンだの、ゴブリンやオークの群れだのと相まみえてきた私には、初めて見る最弱の魔物がかえって新鮮だった。


「おら、やってみろ」


 ゼクさんは太い木の棒を差し出す。


「――え!? ホントに私が倒すんですか?」


「1体くれぇ、お前みてーなボンクラでもやれんだろ」


 彼は殴りやすいようにか、スライムを地面に押さえつける。


 棒を受け取ったはいいものの、怯えているかのようにぷるぷるしているその生き物を見ると、私はなんだかためらってしまう。


 この子だって――死にたくはないはずだ。


「……これで殴っちゃったら、いじめみたいじゃないですか」


「魔族だって人間押さえつけて殺すだろうが。変わんねぇよ」


「でも、このスライムは何もしてないですよ。スライムに殺される人なんて滅多にいないって、私聞いてますけど……」


「そもそも魔物ってのは魔界にいるもんなんだよ。こっちにいる魔物は奴らが侵略のために寄越したんだ。全部ぶち殺して構わねぇの。いいからとっととやれ!!」


 そう。人間界に放たれた魔物は、人間を襲ったり、農作物を荒らしたり、私たちに害をなす。

 ある程度は、覚悟しなきゃいけないんだ。


 私は目をぎゅっとつむって、棒を振りかぶった。



 ごん、という鈍い音。



 あれ? スライムってもっと柔らかいものじゃないの?


 おそるおそる目を開けると――振り下ろされた棒が、スライムではないものに当たっている。


「こんの……クソボケ女ぁぁぁ!! テメェから殺すぞコラアアアア!!!」


「ひゃ―――っ!! ごめんなさぁぁいっ!!」


 おでこに赤い痕ができてしまったゼクさんが怒鳴り声を轟かせると、捕まえたスライムが隙を突いてぴょんっと逃げてしまった。


「クソッ、逃げちまったじゃねーか!!」


「あ、あ、あの、ポーション要ります?」


「そんなんで薬使うか、ボケッ!!」



 今度は2、3体のスライムがぴょこっと私たちの前を横切る。


「よし、俺が手本見せてやる」


 ゼクさんは素手でやるつもりなのか、ゴキゴキと指を鳴らしながら向かっていく。けど、私は考えるより先にその足を止めようとした。


「待ってください!!」


「ンだよ、逃げちまうじゃねぇか!」


「に、逃げてるのをわざわざ追わなくてもいいじゃないですか。あの子たち、別に何もしてないし……」


 彼は本気で怒ったようで、眉を吊り上げて血管を浮き上がらせている。


「……甘えたこと言ってんじゃねぇぞ、馬鹿野郎。魔族は敵なんだ。敵は殺さないといけねぇんだよ!!」


「ゼクさんは敵じゃありません!!」


「っ……!」


 私の一言で、威勢が挫かれたようにたじろいでいる。

 だって、その理屈でいったらゼクさんが敵になっちゃうじゃないですか……。


「……じゃあお前、奴らが手ぇ出すまで黙ってろってのか。それでお前が死ぬことになってもか?」


「し……死なないように、頑張ります」


「いいか。殺されないために必要なことは、その前に敵をぶち殺すことだ。俺たちだって、いつでも守れるわけじゃねぇんだぞ」


「……それでゼクさん、私にこんなことさせたんですか?」


「ま、まあな」


「すみません、上手にできなくて……。いつも私、足引っ張っちゃってるのに……」


「あぁ~~っ!! そういうこっちゃねぇんだよ!!」


 がしっ、と私は胸倉を掴まれて足が浮いた。



「俺は!! お前に!! 死んでほしくねぇからやってんだよ!!!」



 荒々しい大声が洞窟の中に反響する。


 そんなことを言われると思ってなかった私はびっくりして固まってしまい、自分で言って恥ずかしくなったのかゼクさんはだんだんこわばった顔が赤くなっていった。


 そのまま私を乱暴に解放すると、ばっと後ろを向く。


「……お前がそこまで言うなら、スライムどもは見逃してやる。サラの仲間どもをぶっ倒せりゃいいわけだしな」


「あっ……はい。ありがとう、ございます……?」


「ったく、なんだってテメェはスライムなんぞにそこまで――……ッ!?」


 ちらりとこちらを振り返ったゼクさんが、ぎょっとしてまた目を反らす。


「どうしました?」


「………………ボタン、しめろ」


「え?」


 私が目線を手前のほうに持っていくと――


 シャツのボタンが開いていて、胸元がはだけているのに気がついた。


「きゃあっ!! すいません!!」


「い、いや……」


 胸倉を掴まれたときだ。私は慌てて衣服を整える。

 み……見られた? 見られたよね? ああ、顔から火が出そう。


「……」


 なんとなく気まずくて、2人して黙りこくってしまった。


 それにしても、ゼクさんあんなに恥ずかしがっちゃって、意外だったなぁ。ちょっと頭も冷静になってきた。



「――死にたくないだろうな、って思っちゃって」


「……は?」


「さっきのスライムです。そう思ったら……殴れなくなっちゃって。ダメですよね。私が嫌がっても、ゼクさんや他のみんなに押し付けるだけなのに――……本当に、ごめんなさい」


「……別に、気にすることねぇだろ。俺やあいつらなんて、人間殺すのも躊躇しねぇぞ。ああ、ヤーラは別だな。魔物はやれるだろうが」


「違うんです。私が気にしなくなったら、多分ダメなんです」


 何がダメなのか、ちゃんと説明はできないけど――それでもゼクさんは、わかってくれたような気がした。


「よくよく考えりゃあ、お前が戦う必要はなかったな。ヤバかったら逃げりゃいいんだ」


「あはは……。私、足遅いですけどね」


「じゃあ、明日から毎日走り込み20kmだな」


「なんで結局トレーニングする流れなんですか!?」

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