騎士の矜持
「どうしてあんな面倒なことしたんだ」
スレインは、馬上で自分に寄り掛かって寛いでいるロゼールに尋ねる。
あの盗賊や裏切りの騎士たちなら、ロゼール1人でも魔法で蹂躙できたはずだ。スレインも加われば、真正面からでも容易く皆殺しにできた。
「もちろん、あ――」
「遊び以外の理由で頼む」
言葉を遮られたロゼールは、いったん口をつぐんで思案する。
「ねえ、エステルちゃんってすっごくいい子だと思わない?」
彼女には話をすっ飛ばす癖でもあるのだろうか。それとも、脈絡のない言葉でもスレインはわかってくれるだろうと信頼しているからか。
「……そうだな。素直で、優しい」
「そうでしょう? 誰に対しても――っていうか、人間以外でも変わらないわ。動物でも、虫でも、魔族でも。スライムだって殺せないわね、きっと」
エステルが生き物を傷つける様など、スレインには想像できなかった。
「だから――私たちがあいつらを皆殺しにしたら、本気で傷ついたでしょうね」
汚れ仕事など自分たちが請け負えばいいと思っていたスレインは、それを聞いてはっとする。
「まあ、『敵なら仕方がない』っていうある程度の割り切りはあると思うけどね。必要以上に叩きのめすのは彼女を苦しめることになる。あの暴力男や殺人人形みたいにね」
「エステルの見えないところでやるのもダメか」
「あの子、意外と私並みに鋭いところあるから。あの子はタガよ。私たち全員の。あの子がいなくなったら――あるいは、その優しさがなくなったら、私たちはあの盗賊どもみたいに無秩序の中よ」
「……それで、私たちの手が汚れない方法を取ったのか。ある意味こちらのほうが、たちが悪い」
「崩れかけだったボロ屋の柱を1本抜いただけよ」
2人が振り向いたのはほぼ同時だった。
後ろから、もう1頭馬の足音が近づいてくる。
ディートリントだ。
その姿を確認して、スレインは馬を止めた。アジトに馬はいなかったはずだ。いったん町に戻って持ってきたにしても、普通ではないスピードだった。
全力疾走してきたであろう馬が砂煙を舞い上げながら立ちふさがる。他に仲間が来る様子はない。
「1人で来たのか。――一応言っておくが、君に勝ち目はない」
「それでも逃がすわけにはいかない!!」
覚悟の据わったその眼差しに、スレインは敬意を表したくなった。ロゼールも「まあ、素敵」とのん気に喜んでいる。
「……ロゼール、手を出すなよ」
「わかってるわよ」
スレインは馬から降りて、ゆっくりと剣を抜く。あえて兜はつけなかった。
「構えろ」
ディートリントもその意図を察したようで、地面に降り立って剣を構える。
スレインはじっと待っている。まだその顔に緊張の色が残る若い女騎士の、心の準備が整うまで。
彼女は意を決して、力強く一歩踏み込み、駆け出す。
奇策など一切なしの真っ向勝負。魂を乗せた剣筋を、スレインの鋭い眼がはっきりと捉える。
いつもなら軽くかわせる一撃を、真っすぐ伸びた剣で受ける。
キィン、と伝わる金属の衝撃は思いの外強く、全身に響く。
次の攻撃はほぼ同時、縦一直線に落ちてくる刃を、スレインは思いきり振り払う。
ガギン、と先より大きな音で、騎士の剣が宙を舞う。
武器を失くしたディートリントの無防備な首元に、煌めく刃先が突きつけられる。
「……早く殺して」
死を受け入れた彼女の目に、騎士としての矜持がありありと輝いているように見えた。
「1つ聞きたい。君ほどの騎士が、どうして近衛騎士団を裏切った? 我々に恨みがあるのなら、聞かせてほしい」
「……。お前の兄がいなければ……今頃は私の父が騎士団長だった!! ラルカンが汚い策略で父を陥れさえしなければ!! 父は失意のうちに、病気で死んだ。カタリナ殿下も推してくださっていたのに……あの腑抜けの皇子は私の訴えなど聞きもしなかった」
その目が憎悪の色で濁っていく。蹴落とし合わなければ生き残れない世界が、若く純真な心を歪めてしまったのか。
兄がしたのは根回しという古典的な手段だった。元々実力の高さで評価されていた彼は、残る「家柄の低さ」という障壁を乗り越えるために、次々に高貴な出自の人物を味方に引き入れ、派閥争いを制したのだった。
スレインは兄のことも、ディートリントのことも憎めない。立場が逆だったなら、自分は彼女を殺そうとしただろうか。
そんなことを考えても、今は無意味だ。スレインは静かに剣を鞘に納める。
「なぜ殺さない」
「我らがリーダーの意向だ」
これが人間を無差別に虐殺する魔族だったら容赦なく首を落としていたが、ディートリントはそうではない。ただ不幸な運命に見舞われた、本来は実直な若者だ。
もはや戦う意志のないスレインは、まだ納得のいかない表情を剥き出しにしたままの彼女に背を向ける。
「私はまたあなたを殺しに行くわよ」
赤いマントをたなびかせながら颯爽と馬に乗ったスレインは、凛々しい笑顔で返答する。
「いいだろう。いつでも来い」
◆
森に入って、行方不明だったはずのマリオの姿を見つけたスレインは、半ば安堵、半ば気がかりといった心持ちで彼の顔面に貼りついた笑顔を見る。
「無事だったか、マリオ。……ヤーラはどうした?」
彼は返事の代わりに、「しっ」と人差し指を口元に当て、視線で2人の目を誘導する。
前方に、何か人間ではないものに凄まじい力でへし折られた木々と、身体が大きく欠損している魔物の死骸が転がっている光景があった。
「彼はもうぼくのことも見えてないし、声も届いてなかったけど――とりあえず、エステルたちのところに向かってるみたいだよ。まだ近づかないほうがいいと思う」
マリオは腕の<伝水晶>で位置を確認しながら報告する。
「そうか……レオニードたちもいないのに。よく喰われなかったな」
「そのときはまだ、会話はできたんだけどね」
スレインがふと脇を見やると、いつもは余裕たっぷりのロゼールが険しい顔で目を剥いていた。
「あなた――……わざとね?」
刺すような眼差しを向けられたマリオは、いつも通り笑っている。
「ああでもしないと、両方死んでたかもしれなかったんだ」
判断力に優れる彼が言うなら、本当に仕方のない状況だったのだろう。
だが、ロゼールが許せないのはそういうことではない。
頬を引っぱたこうとするロゼールの手を、マリオはがしっと掴んで止める。
「……何?」
殺し屋は自分に敵意を向けた者に、容赦のない視線を送る。かなり強く手首を握られているようだが、ロゼールはひるみもしない。
「そうやってちっとも悪びれないのが嫌なのよ、この冷血人形」
「二度とああいう状況にならないように、努力するさ」
「そういうことじゃ――」
スレインは落ち着いて反目し合う2人の間に入り、ロゼールの細い腕を解放する。
「ここで争ったとして――誰が喜んで、誰が悲しむのかよく考えろ。ロゼール、君はさっき自分で言っていたはずだぞ」
「……ごめんなさい」
「悪かったよ。大丈夫?」
しれっと聞くマリオに、ロゼールは返事もしなければ目も合わせない。
――本当に、彼女がいないとダメらしいな。
スレインは頼れるリーダーの元へ早く向かわなければ、と足を速めた。
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