ひめごと

 兄がいつも顔面に貼り付けている仏頂面は、父譲りのものだ。


 いついかなるときも愛想がなくむすっとしていて、長男という立場もあってか重責を背負わされたその苦労が、眉間のしわに刻まれているようだった。

 しかし持ち前の責任感の強さもあって、彼は常にその務めをまっとうしてきた。


 代わりにその弟妹たちは、いい加減だったり自由すぎたり勝手気ままだったりと正反対の性格に育ってしまった。――長女である彼女を除いて。


 いや、もう1人例外がいた。彼は父や兄たちに反抗し、家を飛び出した不良だが、一本芯の通ったところがあり、少なくとも他の弟妹たちのような適当さはなかったはずだ。



 さて、今日は長兄のその気難しい顔に、さらに苛立ちというか不機嫌さが混じっている。その理由を彼女はよくわかっている。あの不良のせいだ。


 焼け石に水とはわかってはいるものの、少しでも気を紛らわせようとハーブティーを淹れる。

 この辺りでは滅多に手に入らない植物の甘い香りが、部屋の空気に彩りを添える。


「お兄様、お茶が入りましたよ」


「ああ」


 兄はこちらに目もくれず、気のない返事を寄越す。簡素なテーブルに、お茶がこぼれないようティーカップを置く。


「……傷のほうは、よくなりましたの?」


 不躾とわかっていながらも、心配性の妹はつい聞いてしまう。案の定、兄の不機嫌さに拍車がかかったようで、こちらをギロリと睨む。


「あの、すみません。気になってしまって」


 大人気ないと考え直したのか、兄は1つため息をついて顔の力を少し緩める。緩めたところで、仏頂面に変わりはないけれど。


「お前もあれを侮るな。奴らを相手にするなら――最も危険なのは、全員と正面から対峙することだ。絶対にやってはならん。やるなら不意打ち、できれば各個撃破が望ましい」


「元よりそのつもりです」


 そう返答したものの、兄はまだ心配が残るような表情で見つめてくる。真面目で厳しい人だが、彼女はそういうところが気に入っている。


「それで――」


 兄はハーブティを静かに口に含み、一息つけてから言葉を続ける。



「カタリナ皇女とやらはどうだ、サラ」


「ええ。すっかり仲良くなれましてよ、アモスお兄様」



 魔王の子女の中でも、長兄アモスは戦闘力において最も優れているというのが、魔王を含め魔界の共通認識だった。


 そのアモスがあろうことか、勇者ごときにしばらく癒えぬ傷を負わされ、かろうじて撤退するという状況にまで追い込まれた。


 やったのはゼカリヤとその仲間だ。あの魔法も使えぬような出来損ないに――と、弟妹たちは失望していたようだった。


 しかし、サラは兄アモスを尊敬している。兄が追い詰められるほど、人間どもが強くなっているのだ。


 だからこそ、サラは皇室を利用した間接侵略という作戦に踏み出した。こういった謀の類いは、弟妹たちにはとてもできない。

 こうすれば、ゼカリヤたちとは直接戦わずに済む。済むのだが――


 サラは兄アモスに傷を負わせたゼカリヤを、心底憎んでいた。



 ――リーダーは弱いっておっしゃってたわね。ひっ捕らえて八つ裂きにしてやれば、ゼカリヤは苦しむかしら。お兄様に内緒で、試してしまおうか……。



  ◆



 月のない夜は、秘密の話をするのにぴったりだ。


 窓ガラスの向こうに広がる夜空は真っ黒で、それを眺めながら、彼女は世界が闇に包まれたような感傷的な気分になる。良い雰囲気だ、と思った。特に、誰かを貶めたり殺したりする相談事をするのには。


「ずいぶん癪なことしてくれるわね、あのドブネズミ」


「おっしゃる通りでございます。カタリナ皇女殿下」


 付き人であるはずの老人は、皇族にあるまじき暴言を、彼女と同じ静かで冷淡な調子で肯定する。


「まあ、あのお喋りドブネズミがべらべらと喋ってくれたお陰で、こちらとしてはやりやすいのだけど。それで、<ゼータ>と<EXストラテジー>の申請したクエストは?」


「すでに確認済みでございます。概要の写しもご用意が」


 黒いスーツの懐から、2枚の紙が出てくる。


「ありがとう。……なるほどね。この2つが入れ替わっているということは――<EXストラテジー>はこちらに現れる。リベカたちをここに向かわせなさい。徹底的に叩き潰すわ」


「かしこまりました。<ゼータ>のほうはいかがなさいますか」


「今は何もしないで。真正面から戦ってはいけない相手だそうよ。ついでで叩ける連中ではないわ。嫌がらせ程度ならしてもいいけれど……奴らが現場に行って、気づいたときには<EXストラテジー>が全滅している――というのが理想ね」


「……トマス殿下については――いかがなさいますか」


 その名を聞くと、彼女の脳裏にあの愚かでへらへらした顔が浮かんできて、つい鼻で笑ってしまった。


「そうねぇ、1人だけ生かしておいて、絶望に打ちひしがれる姿を眺める――というのも面白いわねぇ」


 想像すると楽しくなってきたのか、彼女は邪悪な笑みを浮かべた。


「しかし、それでは――」


「ええ、わかっているわ。当初の予定通り、我々にとって最もいいタイミングで死んでいただきましょう。そのためにはある程度活躍するか、逆に信じられないほどのヘマをしていただかなくてはならないのだけど……まあ、後者になるでしょうね。中途半端なのが一番嫌だけれど」


「殿下のもとに向かわせる者たちに注意しておきましょう。我々の計画に最もふさわしい方法で殺すように」


「ええ……。すべては愛するお兄様のためよ。あれが皇帝になるなんて、本人にとっても国民にとっても不幸だわ」


 そこで彼女は、昔からトマスを知っているはずの、先ほどから眉一つ動かさない冷徹な老人の顔を見やる。



「あなたもそう思うでしょう? オットリーノ」

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