兄妹の時間
これは一体どいうことだ。
我が家でもある宮殿に戻ったトマスは、本来ここにいるはずのない人物を凝視していた。
民衆は好意的に受け入れてくれ、仲間たちとともに大歓声を浴びた。皇帝である父の後にした演説も、手ごたえはばっちりだった。さあ、そして改めて家族の前に自分のパーティを紹介しようというまさにそのタイミングに。
――なぜここにいるんだ、ロゼール・プレヴェール。
思わぬサプライズに、ノエリアは絶叫したい衝動と皇族の手前という遠慮がその内側で葛藤し、結果全身を震わせながら白目を剥いて顔を紅潮させるという世にも恐ろしい形相になっている。
当のロゼールはトマスのほうを向いて、したり顔で人差し指を口に当てている。
「トマス皇子殿下。お姿が見えなくなったという仲間の方をお連れしましたよ」
「この方で間違いありませんよね? エルフで、髪が長くて、名前が『ロ』で始まると聞いていたのですが……」
そうか、これはきっとロキの企みにちがいない、とトマスは推理する。自分が欠席する代わりにと彼女を送り込んだのだ。
そうでなければ、うちの従者がこんなに頭が悪いわけがない。つーか「ロ」で始まる名前ってなんだよ、あいつの名前2音節しかないだろうが。
「まあ、素敵な方々ね、お兄様」
――ああ、天使の声だ。
その清純で澄んだ声に、眠りかけのミアははっと目を覚まし、ジレンマに苛まれていたノエリアが正気に戻り、衆目に晒されて吐きそうになっていたヘルミーナが少し顔を上げ、退屈そうだったシグルドの目に光が差した。
贔屓目なしに、カタリナは世界で一番美しいとトマスは自慢に思っている。
しかし、とトマスは懸念する。身分で言えば高貴な人間の集まる<EXストラテジー>の仲間ならば心配ないが、このロゼールは未知数だ。何か突拍子もないことを言い出したりしないか……。
だが、ロゼールは意外にも恭しく滑らかな所作で、カタリナを初めとする皇族たちの前に膝をついた。
「身に余る光栄でございます、カタリナ皇女殿下」
慣れているな、とトマスは直感した。<ゼータ>で出自のいい者といえばスレインくらいだと思っていたが……。
全員がロゼールに倣って跪き、形式的な挨拶が交わされた後、今回のクエストに話が移る。
「沼沢地の魔物の討伐……ということであったな。特に問題もなく達成したようだが……」
重々しい低い声は、皇帝であるトマスの父のものだった。厳めしい顔はニコリとも笑わず、息子に遺伝した三白眼をそのまま向けている。
脇からすすり泣くような声がして、そちらを見やる。トマスの付き人の老人オットリーノだった。
「おお、トマス皇子殿下……こんなにもご立派になられて、爺は涙が止まりませぬ」
垂れ下がったふさふさの眉毛で隠れた目元を、ハンカチで拭っている。爺はいつも大げさだな、とトマスは内心で呆れ笑いをした。
「……ともかくは初手柄。よく頑張りましたね」
淡々とした調子で、皇后――母が賛辞を送る。言葉とは裏腹に、あまり好ましい表情ではなかった。
再び父が口を開く。
「自惚れるな。お前はまだ第一歩を踏み出したにすぎぬ」
「……はい」
すべては己の未熟さゆえだ、とトマスは受け止めた。誰もが認めるような功績を残せば、皆が納得してくれるはずだ、と。
カタリナはその雰囲気のせいか、うつむきがちに黙っている。
そんな彼女を、ロゼールは険しい目つきで見つめていた。
◆
「こうしてお兄様とゆっくり話すのも、久しぶりな気がするわ」
「悪かったな、最近忙しくて」
解散後、トマスはカタリナの私室で兄妹水入らずのひとときを過ごしていた。儀礼や形式抜きで愛する妹と話せるのは、彼にとっては至福の時間だった。
カタリナは先ほどの硬さも取れ、いつものにこやかな顔に戻っている。
「お兄様の仲間の方々はとても素晴らしいわね! お強そうだし、それに魅力的だわ。特にあのエルフの女性の方は素敵だったわね」
ああカタリナ、あいつは俺の仲間じゃないんだ、なんならお兄ちゃんを罵倒して草むしりさせるような奴なんだ――と言いたいのをぐっと飲み込む。
「最初のクエストも、お母様が褒めてらしたわね。恐ろしい蛇の魔物を倒したとか」
「いや……俺は大したことはしてないんだ。仲間たちが勝手にやってくれたようなもんさ」
それは紛れもない事実だ。トマスはただ大失敗を喫し、<ゼータ>の連中が見事に立て直してくれて、あの沼地をうろうろしている間に2体のヒュドラは倒されていた。
「ご謙遜を。それだけのお仲間を率いてらっしゃるお兄様は、とても立派よ。オットリーノも感動して泣いていたではないの」
「爺は昔っからそうだ。俺が立って歩いただけで泣き崩れていたというしな」
「それを抜きにしても、よ。それに――お兄様も、少しお変わりになられたのではない?」
「え、そうか?」
「ええ。なんていうか……肩の力が抜けて、温かく、というか……穏やかになられたように思うの」
その言葉にトマスは一瞬戸惑ったが、思い当たる節はないでもない。
パーティを任された当初は、皇族として威厳を保たねばならぬとか、失敗は許されぬとか、準備は入念にせねばらならぬとか、とにかく肩ひじを張ってばかりいた気がする。
しかし、<ゼータ>の連中にこっぴどくしごかれ、<EXストラテジー>の仲間たちの雰囲気が変わってからは、そういうことを気にしなくなったように思う。
カタリナはそのことに鋭く感づいたのだろう。我が妹ながら頭が上がらない。
「わたくし、今のお兄様が大好きよ」
その微笑みは、彼女に対する黒い噂をすべて否定するに足る清らかさだった。
これを見てなお妹を疑うことなど、トマスには決してできることではなかった。
しかし――と、彼は反省する。スレインの言った通り、良からぬ噂は兄である自分が不甲斐ないせいでもあるのだ。
「カタリナ。お前は優しいからそう言ってくれるが、俺はまだまだ未熟者だ。もっとずっと優れた人間にならなきゃいけない。お前のためにもな」
その宝玉のような美しい瞳を丸くして、まだ幼さの残る顔はきょとんとなっている。
「お兄様は本当に努力家なのねぇ。わたくし、心から尊敬いたします」
「やめろ、俺を甘やかすな」
「何をおっしゃるの」
カタリナがクスクスと笑うと、トマスも釣られて顔が綻んでしまう。
和やかな空気に、ノックの音が水を差す。
険しい顔つきの老人が入ってくる。カタリナの付き人のガストーネだ。
「……失礼致します。カタリナ様、ご公務についてお耳に入れておきたいことが」
「あら、そう、残念。もっとお話していたかったけれど……お兄様、どうかご無理をなさらないでね」
「ああ。ありがとう」
トマスが部屋を出ようとする一瞬、ガストーネが敵意とも取れるような、あまり愉快でない視線を送ってきたような感覚があった。
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