ゼク、走る

 火の通りすぎた肉を咀嚼しながら眉間に皺を寄せるゼクの前で、トマスはうつむきがちに委縮している。


「……あのー、ゼクさん。いかがでしょうか」


 トマスは慣れない敬語で様子を見る。


「おいマリオ、タバスコ持ってただろ。寄越せ」


「はい、どーぞ」


 ゼクはマリオからタバスコの瓶を受け取ると、肉の表面が見えなくなるくらいドバドバとぶっかけ、その真っ赤になった肉を齧る。


「……これでようやく食えるレベルだな」


「す、すいません」



 ゼクの不機嫌は今に始まったことではない。


 そもそもスレインがゼクを差し置いてリーダー面しているのも、昼寝している間に他の連中がトマスで遊んでいたらしいのも気にくわない。


 今も、萎れた野菜だけでもそこそこ美味い料理を作れるマリオではなく、急造リーダーのトマスが夕食を担当していることが気に入らない。このイノシシの肉はゼクが捕ってきたものだが、それをこうも下手くそに仕上げられると腹が立つ。


 周りの仲間たちを見回しても、文句1つ言わずに食事を進めている。よく見るとロゼールだけトマスが作ったのではない菓子のようなものを食べている。どこから持って来たんだ。



「……なるほど。貴様のようなイモにしては悪くない作戦だ」


 このパーティの書類精査担当のスレインが、トマスの立てた作戦にそう評価を下す。知らないうちにあのクソ真面目が信じられないほど言葉が汚くなっている理由は、ゼクにはわからない。


「あ、ありがとうございます」


「その間抜け面は余計だ。しかし肝心なことを忘れるな。いくら貴様が緻密な作戦を練ろうと、ここの連中も<EXストラテジー>もその通りに動くとは限らんぞ」


「それは承知の上です。なので、皆さんの意見を聞いてそこからいろいろ変更していこうかと」


「いいだろう。貴様から説明しろ」


「は、はいっ。敵はヒュドラです。1体とはいえ、複数に分かれた首が連携を取ってくるのが厄介なので、まずロゼールさんに魔法で足止めしてもらいます。で、スレインさんとマリオさんに首を落としてもらって、ゼクさんにトドメを刺してもらいます。負傷や毒はヤーラ君に対応してもらう形で」


「――だそうだ。意見のある者は」


「ぼくはあんまり前に出たくないかなぁ。寄られると困っちゃうし」


「必要な薬があったら、早めに教えてほしいですね」


「私、服を汚したくないわ」


 各々が要望を出し、トマスはしっかりメモを取っている。いつからこんな謙虚な奴になったのか。


「ゼク、お前はどうだ」


 スレインに名前を呼ばれてなぜかさらに苛立ちが増したゼクは、木のフォークを握力でへし折って立ち上がる。



「誰も俺の邪魔をするな。誰も俺に指図するな。要望は以上だ」



  ◆



 バシャバシャと湿った土を足早に踏んでいく後ろから、もう1つ遅れて同じような足音がついてくる。


「ちょ、待ってくださいよぉ」


「うるせぇ、ついてくんな! あとその気色悪ィ敬語をやめろ!!」


「待ちたまえ! この作戦には君の協力が必要なんだ」


「偉そうにすんな殺すぞ!!」


「どーすりゃいいんだよ!!」


 ゼクは夕食後の作戦会議に結局参加せず、翌朝1人で勝手にヒュドラを倒そうと沼地の奥へずんずん進んでいたところ、トマスが追いかけてきたのだ。


 かなりの距離を歩いたが、それでも足を止めないトマスにゼクはいい加減痺れを切らし、振り返る。


「言いか、よく聞けクソッタレボンボン野郎。俺はテメェみてぇな肩書き以外なんにも誇るところがねぇようなグズの命令なんざ聞きたくもねぇんだよ!! 帝国とやらがどうなろうが知ったこっちゃねぇ。勝手に死んでろマヌケが!!」


 そう吐き捨てると、トマスは反論するどころか、しおらしい表情でうつむいた。


「確かに……俺はプライドが高いだけで世間知らずのグズかもしれない。君たちに思い知らされたよ。でもな、『皇子』って肩書きは威張って他人を従えるためだけにあるんじゃない。この地位には何千何万という人々の運命が乗っかってるんだ。それにふさわしいよう、俺は変わらなくちゃいけない」


 どうやらこいつのプライドをぶち壊し、更正させる計画はうまくいったらしい。自分が何もしないうちに事が進んでいるのが、ゼクにとって不愉快だった。


「……。そうかい、勝手にやってな。俺には関係ねぇからな」


 ゼクは再び踵を返し、奥地へ歩こうとする。


「君が俺をリーダーとして認めないのは構わない。だが、1つだけ伝えておかなきゃならない」


「なんだよ」


「ヒュドラがいるのはそっちじゃないぞ」


「……は?」


「昨日の作戦会議でな、ヒュドラを薬で有利な場所におびき出してから戦おうということになったんだ。今頃、君の仲間たちはそこで戦ってるかもしれない」


「……早く言えボケがあああああああああっ!!!」


 全速力で駆け出すゼクに、トマスは出遅れてすぐに距離を離されてしまった。


「うおーい!! 待ってくれぇ!!」


 ゼクは走りながらベルトの<伝水晶>をひきちぎって起動し、仲間たちの位置を確認する。5つの点が戦闘態勢といった形で並んでいる。


 ――クソッ、このままじゃ俺が着く前に終わっちまうじゃねぇか!!



 そういえば、<アブザード・セイバー>にいた頃、リーダーのマニーに同じ手を食らったことがあった。


 いつもゼクが戦果を掻っ攫ってしまうので、偽の目的地を伝えられ、魔物とではなくマニーと喧嘩するはめになった。お互いブチギレて本気の殴り合いになり、しばらく2人とも顔の腫れが引かなかった。


 あの頃はいつもこうやって、戦果の奪い合いをしていた。先を越されまいと必死だった。

 それはきっと、マニーたちの強さをゼク自身が何より認めていたからだ。


 だからこそ、彼らが敵に回ったとき、かつてないほどの絶望を味わった。


 彼らが強かったからではない。お互いの強さを認め合い、本気で喧嘩し合えるほど気兼ねがなくて、初めてできた本物の「仲間」だとゼクが思っていたからだ。


 ――じゃあ、今の「仲間」どもはどうだ?



 足元の水面に泥ではないどす黒いものが流れてくる。


 血だ。おそらく魔物の。


 さらに走っていくと、水が氷に変化していった。ロゼールの魔法だ。広がる血も相まって滑って走りにくいが、一歩一歩踏み込んで氷をぶっ壊しながら進めばいい。


 ――見えた、ヒュドラの尾だ!!


 すでにいくつかの頭部は落とされているが、依然元気に動き回っている。1つでも頭が残っていれば行動できるのがこの魔物の厄介なところだ。



「うおらああああああああっ!!!」



 ゼクは渾身の絶叫を上げながら、剣を抜いて突進していく。


 脇から矢のように飛んできた大きな刃に、ヒュドラはまったく反応できずに胴体を貫かれた。その勢いで横転した巨体は、まもなく動かなくなった。



 肩で息をしながら、ゼクは胴体を足で押さえて剣を引っこ抜く。血流が止まっているにもかかわらず、その大きすぎる傷口からは血液が滝のように溢れ出した。


「ぜぇ、ぜぇ……。クソ野郎ども、よくも俺を――」


「す……すごい!!」


「あ!?」


 走ってきたぶんの疲労と怒りで全身が火山のように熱くなっているゼクは、のん気に賞賛する声の主に血走った目を向ける。


「……あ?」



 そこには、ここにいないはずの本来のリーダーが満面の笑顔で立っていた。

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