マリオ、殺し合う
人は簡単に死ぬということを、人は簡単には理解しない。
石壁の前で茫然と突っ立っていたトマスも、マリオが知らぬ間に近づいて貫手のように背中のあたりを軽く小突いたのを、何が起きたのか気づかないまま眺めている。
「……は?」
「やあ、トマス君。ぼくがナイフを持っていたら、君は死んでいたね」
ようやく身の危険を認識したトマスは、ぞっとしたように目を見開く。
前に両パーティの全員が見ている中で暗殺の実演をしてみせたのに、彼はまだ自らの命が狙われる可能性を考慮していないらしい。
「ちょっと? 私ゆっくりお風呂に入りたいの。殺しならよそでやってちょうだい」
壁の向こうから、ロゼールの文句がとんでくる。
「ああ、ごめんごめん」
2度も自分を殺そうとした男に手を掴まれて、トマスは無抵抗に連れていかれている。
スレインはトマスのプライドを壊せと言っていたが、マリオにそのやり方はわからないし、すでにロゼールが何かしら手を打ってくれただろうことは予想できた。
自分にできるのは、リスクを自覚させることだけだ――マリオはそう結論付けた。
「今から、ぼくと殺し合いをしよう」
「……何だって?」
「ゲームだよ。さっきみたいに、『どん』って突いたらぼくの勝ち。ただし、君に気づかれたらノーカウント。でも、一方的にやられるのは嫌だよね。だから、これあげる」
マリオは小さなナイフを渡す。
「君がそれをぼくに当てたら、君の勝ち。切ったり刺したりしてもいいよ」
「ほ、本物か? これ」
「うん。気にしないでいいよ。うまく避けるし、当たっても痛くないから」
トマスは鞘から抜かれた刃とマリオの顔を、交互に見ている。
「……む……無理だ、俺には! 人を刺すなんて」
「じゃあ、ちょっと練習しようか。ここ、狙ってみて」
マリオは左手首の魔道具を指差す。これならナイフが当たっても問題ないことは明白で、トマスは少し安心したようだ。
「わ……わかった。いくぞ」
ぐっと突き出された切っ先が、魔道具に当たることはなかった。
気がつけばトマスの手には何もなく、いつの間にか背後に回っていたマリオがナイフの刃を首にピタリとつけている。
「……!!」
「こんな感じで当たらないようにするから、遠慮しなくていいよ。じゃあ、始めようか」
この「ゲーム」はマリオが考案したものではない。<サーカス>の団長がテストとして行っていたものだ。
ただし、こちらは本当に命懸けだった。団長に殺される者は数え切れなかった。
非常に合理的だ。より良い殺し方、殺されない方法がともに学べるし、死の恐怖を克服して感情をコントロールできるようになる。使えない奴はその場で処分できる。
そのときは団長に傷1つつけられなかったものだが――だいぶ後になって、あっさりと殺せてしまった。
「どーん。はい、ぼくの8勝0敗~」
「ぐっ……」
片やトマスは、暗殺に慣れたマリオでなくても殺せそうなほど戦う才能がないらしい。
「そ、そもそも非戦闘員の俺がお前に勝てるわけないだろ!」
「勝てなくてもいいんだ。どういうときに殺されうるか、想定できることを増やしてほしい」
「……お、お前も――怒ってるのか?」
言っていることがすぐに飲み込めず、マリオは小首をかしげた。
「<ゼータ>のリーダーのことを悪く言ったからか? お前たち、急に冷たくなったぞ」
「仮に報復するとしても、こんな手間のかかることしないよ」
「そ、そうか」
トマスは自分が<ゼータ>の怒りを買って、理不尽な目に遭わされていると思っているのかもしれない。
マリオは思い返す。確かに世の中には、弱そうな人間をターゲットにして、暴力や精神的苦痛を与えて笑うような人間もいるらしい。
<ブリッツ・クロイツ>の死んだリーダーがそうだったので、マリオは人間が合理的に行動するとは限らないことを嫌というほど思い知った。
――結果的に、彼は死んでよかったのか。まあ、友達にはなってくれなかったし。
「ぼくは君に危機感を持ってほしいんだよ。友達だからね。死んでほしくないんだ」
「と、友達? 俺とお前が?」
マリオの定義では、「友達になろう」と言って握手をしたら「友達」となる。
「お前は友達でも殺すのか」
「仕方のない状況ならそうするね。その代わり、ずっと忘れないようにするんだ」
「……」
『私が友達だって言って、あなたが嫌じゃなければもう友達なのよ。わかった? モーリス』
そう教えてくれたクラリスは、その細い首に手をかけたとき、『私のこと忘れないでね』と笑っていた。
「君だって、殺されたくはないだろう?」
「……そりゃあ、な」
言葉に反して、トマスはあまり納得していないようだった。
人間は生存本能がある以上、殺されたくないと考える。自分が殺されそうな状況になれば、相手を殺してでも生き延びようとする。一般的にはそういうものだとマリオは考えている。
しかし、それには例外があることも知っている。
『私を殺して』と乞うた彼女のように――
「君はどういうときなら殺す気になってくれるのかな。それとも殺されても構わないと思ってるタイプ?」
「まさか。俺だって死にたくはない。だが、そうだな……カタリナに何かする奴がいたら、やるかもしれない」
「どうして?」
「どうしてって……大切な妹だからだよ。大事な人間を傷つける奴がいたら、許せないだろ?」
マリオはきょとんとして考え込むように黙り、やがて困ったように笑った。
「……ごめん。よくわかんないや」
トマスはほんのわずか、不審というか不快そうな顔をする。そんなこともわからないのか、と非難するかのように。
「でも、君の妹か。会ったことはないけど、皇族の女の子だよね。もし、ぼくなら……」
マリオは陽気な調子で話し始める。
「夜はきっと寝室にいるだろうから、窓からそっと入って……。起きていたら、背後から抱え込んで、叫ばれないように口を塞いで、こうやって首の骨を……」
途中からトマスの眉がピクピクと動き、その目にさっきまではなかった殺意の色が灯った。マリオは横目で視認しつつも、あえてのん気に喋り続ける。
「もし寝てるのなら簡単だよ。そのまま首を絞めれば――」
なぜかマリオの脳裏にクラリスの顔が過った。彼女も簡単だった。抵抗しなかったからだ。その理由はいまだにわからない。
ともかく、本気になったトマスがナイフを突き出したのに、違うことに気を取られたマリオは一瞬反応が遅れた。
ガン、と左腕の糸巻に金属の刃が当たる。
「あっ」
無意識に魔道具でガードしてしまった。これはルール違反だ。
「当たっちゃったから、君の勝ちだね」
「……わざとか? 今の。性格の悪い奴だな」
「いや、本当は避けるつもりだったよ。正真正銘、ぼくの負け」
ようやく勝てた嬉しさからか、あれほど殺しを嫌がっていたトマスの顔が緩む。
殺しの専門家に一撃食らわせたそんな彼も、後ろから近づいてくる14歳の少年にはまったく気づかず、へなへなと眠り込んでしまった。
「……この人どうかしちゃったんですか? マリオさんにナイフを向けるなんて」
本来注射器は逆手で刺すものではないはずだが、ヤーラにとっては暴れる家畜を仕留めるくらいの気持ちだったのだろう。
「これはゲームだったんだよ。ぼくにナイフを当てたら勝ちっていう」
「ああ、なるほど」
「君もやるかい? 今の、すごく殺し屋っぽかったよ」
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