ロゼール、見つめる

 くそう。なんで一国の皇子である俺が、こんなところで草むしりなんてしなきゃいけないんだ。


 ――なんてこと考えてそうね、あの顔は。


 ロゼールは切り株に脚を組んで座りながら、汗水垂らして働く哀れな皇子を眺めている。


 スレインはこの男のプライドをぶち壊せと言っていた。有言実行、あの品行方正な騎士が皇族に対して「ウジ虫」呼ばわりまでしている。あの怒りよう、エステルが侮辱でもされたのだろう。そう考えると、ロゼールもこの皇子を少しいじめたくもなる。


 だが、今回は彼を更生させるのが目的だ。


 ――ああ面倒くさい、帰ってお昼寝でもしたいわ。


「おい! この作業はどこまでやればいいんだ!? ここを更地にするまでやれってのか!?」


「言葉に気をつけなさい、新入り」


「ぐっ……。これの目的を教えてくれませんか」


「嫌」


「ふざけッ……ないでくださいよ」


「そうね。あの大きな木があるところくらいまで、葉っぱ1つ残さず綺麗にしなさい」


 思いの外広かったのか、トマスはうんざりしたような顔になる。こんなのまだまだ序の口だけどね、とロゼールは静かにほくそ笑む。



 ロゼール自身も奴隷時代に草むしりをさせられた思い出がある。


 100年以上前の記憶だが、使用人の長のような女がいて、よくわからない難癖をつけられて庭の当番でもないのに命じられたのだ。


 当時のロゼールもまだ若く、奴隷ならば仕方がないと受け入れいていたのだが、たまたまそれが主人の奥方の目に留まった。


 使用人長の女はうまく言い訳をしていたが、奥方は一度屋敷に戻った後――農民のような格好に着替えて戻ってきた。


『私もたまには汗を流そうかしら』


 奥方はそう言って、ロゼールの隣に並んで雑草を手づかみで引き抜き始めた。女も雇い主である奥方を差し置いて傍観しているわけにもいかず、嫌々参加していた。結局3人で庭を綺麗にすることになったのだ。


 奥方は快活な人だった。泥だらけになっていても、気品に溢れていた。


 だからこそ、病で痩せ細っていくのを見届けるのは、ロゼールにはこの上ない苦痛だった。



 さて、同様に目の前で泥だらけになっているトマスはどうか。


 ――奥様と比べたら罰が当たりそう。エステルちゃんと比べてみたらどうかしら。うーん、まだダイヤモンドと犬の糞くらいの差はあるわね。


 正直ロゼールは気が向かない。壊したいのは、壊し甲斐のある人間だけだ。


 ――ノエリアちゃんをぶち壊すのは楽しかったわねぇ。


 ロゼールはこみ上げてくる笑いを両手で隠す。彼女は当初、誰も寄せ付けないオーラを放った気位の高いエリートだった。それが、今では自分に尻尾を振る忠犬のようになっている。可愛くてたまらない。


 嫌いだったわけではない。むしろ逆だ。好きだから、メチャクチャにしてやりたいのだ。



「終わっ……りましたよ」


「そう。じゃあ、次ね。今草を取ったところに大きめの穴を掘ってちょうだい」


「は!? まだあるのか!? ……あるんですか」


 ロゼールは手で空を撫でるようにして、氷のスコップを作り出し、トマスにひょいっと投げる。


「道具はこれでね。深さはそうねぇ、人1人入るくらいがいいわ。こう、縦長の箱みたいな」


「ま、まさか俺を埋めるつもりじゃ……」


「あの殺し屋と一緒にしないでちょうだい。いいからさっさと手を動かす!」


「ぐぬぅ……わかりました」


 トマスは文句を言いたげに地面を掘り返す。


 しかし――あの殺し屋は標的に穴を掘らせる真似はしないだろう。標的が「殺される」と気づく前に事を済ませる。


 ロゼールが彼を嫌っているのは周知の事実だが、それは殺人という行為においてではない。何の感情もなく、自動人形のように人を殺すのが嫌だった。快楽で殺戮してくれるほうがまだ可愛げがある。



 穴を掘り終えた頃、トマスはもう腕が上がらないといったように肩を落とし、氷のスコップを支えになんとか立てている状態だった。


「はぁ、はぁ……。こんなもんで、いいですか」


「ええ。十分」


 本当は魔法を使えば穴など一瞬で掘れるのだが、トマスがやらなくては意味がない。


 準備が整ったところで、ロゼールは右手を払うようにして地の魔法をかけ、穴の側面を石で補強する。続いて手をすっと振り上げ、炎と水の魔法を発動する。


 トマスが掘った穴に、たっぷりのお湯が注がれた。


 ロゼールはそのお湯に手を突っ込んで、温度を確認する。調度いい塩梅だ。


「ほら、あっち行ってちょうだい」


「……は?」


「私、お風呂入るから」


 トマスは自分がさせられていた作業の目的を理解し、氷のスコップを地面に投げつけた。


「ふざけるなああああっ!! お前の入浴のために、俺はこんなに働かされたのか!!」


「さすがに見晴らしが良すぎるわねぇ」


 怒りの叫びなど聞こえないかのように、ロゼールは地の魔法で石の壁を作り出し、即席の湯舟に仕切りを設ける。


「話を聞けこの女!! いくら新人扱いとはいえ、こんな暴挙が許されるか!!」


「あら、そう」


 服を置くスペースをこしらえていたロゼールが、急に立ち上がる。



「――あなたも同じことしていたのに?」



 猛り狂っていたトマスは、急に静かになった。


『お姉様は時折、こちらの深淵を覗くかのような眼差しを向けられて、わたくしゾクゾクしますの』


 以前ノエリアがそう評していた目が、今まさにトマスに向けられている。


「私がお風呂に入りたいからっていう理由を初めから知っていたら、あなたはこんなことしなかったでしょうね。でも、たとえばあなたの妹さんのために必要な作業だったとしたら、どう?」


「……やるさ」


「そうよね。わかったでしょう? 目的もわからないことをさせられるのは、苦痛なのよ。あなた戦術指示がお得意みたいだけど、作戦の説明のときに個々の行動の意味までちゃんと教えたかしら」


「いや……」


「だからノエリアちゃん、あんなに怒ってたのよ。あの子あれで真面目だから、ちゃんとした考えがあってあなたに意見したと思うの。だけど、あなたろくに聞かなかったでしょう。私に無視されたとき、むかついた? あの子はその何倍もむかついたわよ。斬り刻まれなかったことに感謝すべきだわ」


「……」


「自分の仲間を命令すればその通りに動く自動人形みたいに思っているのなら、あなた人の上に立つ資格がないわ。皇族なんてやめて修道院にでも入りなさい。……私、お風呂に入りたいの。出て行って」


 ――ああ、私結構怒ってたのね。


 茫然としたまま去っていくトマスを見て、ロゼールは自覚する。その怒りはエステルのことか、ノエリアのことか、その両方か。



『ロゼールさんは、何をしたら怒りますか?』


 人を見抜くコツを助言したとき、エステルはそう尋ねてきた。


 それはつまり、彼女がロゼールのことを理解しようとしたということ。それが嬉しくて、つい敬愛する奥方の話までしてしまった。

 ――今は、あなたのことで怒ってるわよ。


 トマスにそんなことを考える器はない。今のところは。


 人の上に立つ資格を得られるかどうか、あとは彼次第だ。



「どん」


 石壁の向こうで、本物の自動人形みたいな殺し屋が、トマスを殺す声がした。

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