昔話

 懐かしい木の匂いの漂う家の中。しゃくりあげて嗚咽を漏らしている私の頭に、そっと優しく乗せられた手のひら。


『エステル、お墓を作ってあげようよ』


 飼っていた生き物が死んでしまって泣いている私を見かねて、お兄ちゃんがそう声をかけてくれた。しかも犬や猫などではなく、そのへんで拾ってきたダンゴムシ。


 幼い私は外で虫やなんかを拾ってきては、名前をつけて可愛がっていた。それが死ぬたびにわんわん泣いて、そのたびにお兄ちゃんがお墓を作ってくれていた。


 そのせいで家の庭がお墓だらけになり、散々文句を垂れていたお母さんも、なんだかんだでお墓作りを手伝ってくれたっけ。


 まどろみの中で、そんな記憶が蘇る。



 薄ぼんやりとした視界に、90度に傾いた部屋が映る。……あれ、寝ちゃってたかな? 顔の片側にも枕の柔らかい感触が――


「おはよう。よく眠れた?」


「わあっ!?」


 私は飛び起きた。枕だと思っていたものは――ロゼールさんの、膝だった。


「え!? ……あれ!?」


 慌てて周りを見回してみる。なじみのあるその場所は、職員寮の私の部屋だった。隣にいるロゼールさんは、慌てている私を見てクスクス笑っている。


「あなた、あのあとすぐ眠っちゃって、ゼクがおぶって運んだのよ。帝都に着いても起きないから、私が部屋まで連れてってあげたの。うふふ、役得ねぇ。あ、変なことはしてないから大丈夫よ」


「そ、そうだったんですか……。なんか、すみません」


「いいのよ、寝不足だったんでしょう? 疲れてたみたいだし、この際ゆっくり休みなさい。面倒な報告とかは、全部スレインがやってくれたから。呆れるわぁ、あの子ホント働いてないと気が済まないのね」


 ロゼールさんはまるでスレインさんの保護者みたいに困り笑いをしている。スレインさんのそういう一面がわかったのも、彼女のお陰かもしれない。とはいえ、世話をかけてしまったお詫びは後で伝えておこう。


「そういえば、寝言で言ってたわよ、『お兄ちゃん』て。あなたたちってソックリよねぇ、外見も、中身も」


「……え? お兄ちゃんのこと、知ってるんですか?」


「これでも勇者やってて長いのよ? 前に、ちょっと……ね、誘ってみちゃったことがあって」


「さ、誘うってまさか……」


「もちろん本気じゃなかったわよ。ごめんなさいね、興味があって。エリック君、どうしたと思う?」


 そもそもお兄ちゃんの女性関係なんて考えたこともなかった。優しいのはよくわかってるけど、女の人にふらふらするタイプじゃないと思う。


「やんわりと断ったんじゃないかなぁ、って思います」


「そうね。でも私、それじゃつまらないから結構しつこく付きまとってみたの。そうしたら彼、怒るどころか憐れむような目でこう言ったのよ……『あなたはもっと幸せになれるはずだ』って」


「お兄ちゃんらしいですね、すごく」


「嘘偽りなく真剣に言うんだもの。初めてよ、あんな人。敵わないなぁって思ったわ」


 ロゼールさんは眉尻を下げたまま、短い笑い声を漏らす。


「大半の人間は良いところを見せて悪いところを隠そうとするけれど、あなたたちは両方表に出しちゃうものね。そういうところ、大好きよ」


 澄み切った柔らかい笑顔を向けられて、頬に熱が上ってくる。最初の頃のような、何を考えているかわからない感じはもうなかった。


 それにしても、ロゼールさんは本当にすごいと思う。ほんの少し一緒に過ごしただけで、その人がどんな人かというのを正確に理解している。


 その才能を人に嫌われてしまうような使い方をしているのはちょっと残念だけど、私も同じようにできれば、もっとみんなと仲良くなれないかな……。


「ロゼールさんみたいに人を見抜けるようになるには、どうすればいいですかね」


「あなたにその技術は必要ないと思うけど。私やあいつみたいに、嫌な奴になっちゃうわよ?」


「あいつって?」


「ああ、いえ……何でもないわ。まあ……1つ言うなら、相手が何をすれば怒るのかを知ることね。怒るってことは、本気っていうことだから」


「それで、ゼクさんやスレインさんを怒らせたんですか?」


「あなたを巻き込んだのは、本当に悪いと思ってるわよ」


「別に、気にしてないですよ」


 でも、ロゼールさんのアドバイスはもっともな気がした。


 ゼクさんなんて一番わかりやすい。魔族と戦うときはいつも、尋常ではないくらい怒っている。今回なんて、特に。きっと、過去に魔族を恨むようなことがあったんだ。


 スレインさんは、公正さに欠けることが許せない一方で、私のことを特別に気にかけてくれている。本人はそれを欠点だと言っていたけど、私はそういうところも好きだ。


 じゃあ――


「ロゼールさんは、何をしたら怒りますか?」


 柔かい笑顔が少し薄れて、ゆっくりと俯けた顔が灰色の影で曇る。緩くカールした長い睫毛が物憂げな碧眼を覆うように下りてきて、またすぐに上がった。


「――昔話をしてあげる」


 遠くを仰ぐように持ち上げられた顔は、こちらに向くことはなかった。


「あるところに、とても優しい貴族のご夫婦がいました。2人は周りの使用人たちや領民たちからも愛され、何よりもお互いを深く愛し合っていました。ところが……ある日、奥方のほうがご病気をされて、寝込んでしまいました。旦那様は手を尽くしましたが、その努力もむなしく……奥様は、亡くなってしまわれました」


「……」


「悲しみに暮れた旦那様は、使用人を呼びつけて命じました。『妻のこの美しい姿を、ずっと残してくれ。私が死んだ後も、ずっとずっと』――その使用人は言いつけ通り、奥様のご遺体を氷に閉じ込め……馬鹿正直に守り続けました。外の人間に発見されて、それを奪われるまで……100年も」


「それって――!」


 私の言葉を遮るように、ロゼールさんはすっと立ち上がった。


「そろそろ戻らないと、あの衛兵にどやされるわ。これからもよろしくね、エステルちゃん」


 表面に浮かべた笑顔だけがちらりと見えて、引きとめる隙もくれずに長い金髪をなびかせた背中が遠ざかっていく。


 ベッドの上に取り残された私は、ドアが閉まる乾いた音を遠くに聞きながら、いろいろなことを思い出していた。


 100年は解けないという氷魔法の噂。

 奴隷として貴族の夫婦に売られた話。

 廃城の遺体を埋葬するときに見せた涙。


 人間とエルフの時間の感覚は違うという。100年という歳月がエルフにとってどのくらいのものなのか、私には想像もつかないけれど――


 それは決して、彼女にとって軽いものであるはずがなかった。

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