囚われ姫

 月明りを遮る巨大な体躯を見上げれば、怪物の赤い双眸が戦意に燃えている。今回の討伐対象、オーク――こんなところで遭遇するとは想像もつかず、私は恐怖に身を固くした。


 スレインさんの手が咄嗟に剣を抜こうとして、空を掴む。装備をテントの中に置いてきてしまったらしく、今は丸腰だ。


「やあね、空気の読めない男って」


 唯一冷静だったロゼールさんが流れるように手を空にかざすと、そびえ立つオークの巨体が瞬間的に氷に閉じ込められた。


「私の氷は100年は解けないわよ」


「す……すごい!! あんなに大きな身体を一瞬で!」


「やだ、褒められると照れちゃうわ~」


 のん気なもので、ロゼールさんは両手で頬を包んで少女のようにはしゃいでいる。

 脅威が去ったことにひとまず安心していると、森の奥からゼクさんの大声が響いてきた。


「起きろォ!! オークがいるぞ!!」


「もう倒しちゃったわよー!!」


 ロゼールさんも闇の向こうに返事を投げると、さっきよりも切羽詰まった声が飛んできた。


「馬鹿野郎、まだ残ってる!! 奴ら、群れで来やがった!!」


「……え?」


 どしどしと地面を踏み鳴らす音が四方から迫ってきて、黒い影に取り囲まれる。私たちを見据えるオークたちの目は、残忍な輝きを放っていた。

 奴らの一番近くにいるのは――ロゼールさんだ。


「きゃっ」


 その彼女を突き飛ばして代わりに危険を引き受けたのは、スレインさんだった。オークの太い腕と丸腰の身体が思いきり激突して、その勢いでふっ飛ばされて木の幹に背中を打ちつける。


「がはっ!」


「スレインさん!!」


「何やってるのよ、装備もなしで!」


 スレインさんは意識を失ってしまったのか、そのままぐったりと倒れ込んだ。


「――! エステルちゃん、後ろ!!」


 間髪入れずにロゼールさんの鋭い声が上がる。え、と振り返る暇もなく、背後から筋肉質の両腕が伸びてきて私の身体を抱え上げた。


「っ!?」


 私を助けようとしてくれたのだろう、ロゼールさんが決死の顔で魔術を放とうとしたとき、接近していた別の1体が彼女を抑え込む。


「ちょっと、嘘でしょう? やめっ――んんっ!!」


 オークの広々とした手で顔を覆われ、ロゼールさんは抵抗できなくなってしまう。


『調査報告によると、オークたちは近隣の村から女性を攫っているらしい』


 馬車でのスレインさんの言葉が脳裏に蘇り、背筋に悪寒が走った。オークたちは私たちを攫うつもりで、それでその後は……。


 絶望に支配されかけたとき、遠くの木々の隙間から、必死の形相が暗闇の中に浮かび上がった。


「待ちやがれえええええッ!!!」


「ゼクさん!!」


 名前を呼んだその直後、オークたちの背が視界を塞ぐ。吠えるような唸り声と、肉の引き裂ける音が響くが、次から次へと群がる怪物たちを捌ききることはできなかった。


「どけ、クソども!! どきやがれェ!! 畜生ッ!!!」


 ほとばしる絶叫が、夜の闇に溶けて遠ざかっていく。



  ◇



 私とロゼールさんが連れていかれた先は、オークたちが棲みついているという廃城の地下牢だった。

 月日が経ってところどころ錆びているし、鍵も粗末なものだけど、何か異常があれば入り口の見張りが飛んでくるだろう。ここで、静かに助けを待つしかない。


「あそこよりひどい牢屋があるなんてね。おまけにひどい臭い。参っちゃうわぁ」


 ロゼールさんは、悠長にその長髪を指でくるくる巻きながらぼやいている。


「……怖く、ないんですか?」


「200年も生きてればねぇ、魔物に襲われたり、牢屋に入れられたりする経験は1つ2つあるものよ。どうせ、あの2人がすぐ助けに来るでしょ。……そういえばあなた、私たちの居場所がわかるとかいう魔道具を持ってなかった?」


「ああ!」


 私は首にかけていた<ホルダーズ>のことを思い出した。ドナート課長の説明では、首輪をつけた人たちの位置がわかる機能があるということだった。……あれ、待って。これがあれば面談のときにロゼールさんに待たされることなかったんじゃ……?


 まあいいや。さっそく懐中時計のような魔道具の蓋を開ける。それで、ええと……。


「エステルちゃんって、魔道具の操作も苦手?」


「す、すいません」


「いいのよぉ、私もこういうの嫌いだし」


 そう言いつつも、ロゼールさんは<ホルダーズ>を手に取ってテキパキと操作をしている。いろいろな情報が網羅されている画面が浮かび上がり、それに手を触れると、外の2人の位置を示すマップのようなものが出てきた。

 2人を表す白い点は、ほぼ同時にこちらに向かっている。


「ほらね、大急ぎでこっちに来てるわ。この分だと夜明けごろには着くわね」


「大丈夫ですかね……スレインさん、怪我してるのに」


「ここで心配しても意味ないわよ。せっかくだから、何かお話しましょう? 聞きたいことがあったら、お姉さんに何でも言って?」


 聞きたいことは、ある。ずっと気になっているけれど、聞くのもはばかられることだ。ロゼールさんの鏡のように澄んだ眼はそのことすら見透かしている気がして、不思議と抵抗感が薄れていった。


「……以前も魔物に襲われたこと、あるんですか」


 彼女は返事の代わりに微笑んだ。「聞かれると思った」とでも言いたげに。


「ここ、見たでしょう?」


 細長い人差し指が、左腕を指し示す。テントの中で偶然目に入ったそれを思い出して、私は頷いた。


 焼印。――奴隷がつけられるような。


「もうほとんど覚えていないんだけど――子供の頃にね、村が襲われたらしいの。両親も殺されて、私だけ生き残って。でも、頼るあてもないから奴隷として売られた。買ってくれたのが優しい貴族のご夫婦だったのは幸いね」


「……ロゼールさんは被害者なのに」


「あれを見て」


 今度は向かいの牢を指差す。そこには、この一帯にたちこめるひどい臭気の元が積み上げられていた。

 人の、死体。


 まだ原形を留めているもの、腐って崩れ落ちてしまったもの、白骨化したものなど、さまざまな亡骸が放置されている。体型の細さや髪の長さからして、すべて女性のものだった。


「私なんて、生きてるぶんまだマシよ」


「……もっと早く、助けてあげられれば――」


 オークに捕まった彼女たちは、この薄暗い部屋で、ずっと助けを待っていたにちがいない。最期のそのときまで……。


「――昔話をしてあげる」


 唐突に切り出された話は、するりと耳に入ってきた。


「昔々、あるところにとても美しいお姫様がいました。真っ白な肌、真っ白な髪、心まで純白で、人々から慕われていました。ところがある日、彼女は魔王に攫われてしまいました。王様は屈強な若者たちを集め、勇者としてお姫様を助けに向かわせました。しかし――勇者たちは、魔王の手によって全滅させられてしまいました」


「助けられなかったんですね……」


「月日が流れ、今度は魔界から魔人の軍勢が攻めてきました。迎え撃った王国軍の兵士たちは驚きました。魔人軍の前線にいるのが、子供の兵ばかりだったからです。そして、その中に――いたんですって。攫われたお姫様に、そっくりな子供が」


「……ひどい。それ、本当のお話なんですか?」


「さあねぇ……。とにかく――魔族っていうのはそういうことをする連中で、私たちはいつだって手遅れなのよ」


「……」


 そういえば、クエストの説明でスレインさんが調査員がどうとか言っていた。協会の調査担当の仕事はよく知らないけれど、攫われた人がいるとわかった時点で、どうしてすぐに助けを行かせなかったんだろう。すでに手遅れだったから?


 そもそも今回のクエストは、ロゼールさんがカフェで適当に選んだものだった。あのとき別のものを引いていたら? ここにいるのは私たちじゃなかったかもしれない。


 もっと早く、助けてあげられた。

 そう考えると、あの死んだ女性たちは、私が殺したようなものなのかもしれない。


「あなたは何も悪くないのよ」


 柔らかい手が、私の肩に優しく触れた。

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