人間らしさ
眠れない。
夜中のテントでやることなんてほとんどないし、目を閉じて考え事をするしかない。そうすると、ロゼールさんのことをどうしようとか、ゼクさんはなんで怒ってたんだろうとか頭の中が忙しくなって、余計眠れなくなってしまう。
外を覗いてみる。テントは2つ、ゼクさんは帰ってきていない。まあ、あの人なら魔物に襲われても返り討ちにしちゃうだろうけど。
仕方なく、もう一度毛布にもぐってみる。
あとの2人も、もう寝ちゃってるだろうな。スレインさんなら、気晴らしのくだらないお喋りに付き合ってくれるかもしれない。ロゼールさんも、そういう話なら聞いてくれるかも。あの人は自分勝手だけど、自己中心ではないから。
そうだ。今度3人であのカフェに行ってみようかな。女子会みたいで楽しそう。メンバー間の親睦を深めるためってことにすれば、経費で落ちないかなぁ……なんて。
ばさ、とテントの布が揺れる音。
何かの気配がずるずると中に入り込んでいるのがわかって、全身が強張っていく。まさか、魔物……?
「あら、起きてたの?」
聞き慣れた声に、ふっと緊張が抜ける。そのまま毛布をのけて顔を確かめた。
「ロゼールさん。どうしたんですか? ロゼールさんも眠れ――」
「しーっ」
彼女の細長い人差し指が、私の口を塞ぐ。
月の光も届かない暗闇の中でも、その滑るような金髪と白い肌はよく目立つ。瞼と睫毛で半分ほど隠れた碧眼から、何かいつもと違う甘ったるいような視線を感じた。
あと、顔が、近い。
鼻と鼻がぶつかってしまいそうなほど、近い。
「あ、あの……」
「髪、下ろしても可愛いのね」
ほとんど吐息に近い声。私の髪を掬い上げた指の背が、そっと頬を撫でる。その手はそのまま私の肩にそっと添えられて、弱い力をかけて上体を寝かせる。視界に覆い被さる艶っぽい顔が迫ってきて、すぐ耳元を甘い吐息がくすぐる。
「あなたのこと、初めて会ったときから……可愛いなぁって思ってたのよ。もう我慢できなくなっちゃった。ごめんなさいね」
待って。待って待って待って。
理解が追いつかない。混乱しているせいかそれ以外の理由か、とにかく顔が熱い。
そこで私は思い出した。「痴情のもつれ」で解散したという<アルコ・イリス>は――女性しかいないパーティだったということ。
半ばパニック状態の私をよそに、ロゼールさんは大きく開いた襟元に手をかけて、するりと白い柔肌を晒す。何が何だかわからない私は、ふと彼女の左腕あたりに目を留めた。これって――
「何をしている」
いつの間にか開いていたテントから入り込む薄い月明りと、重々しく低い声。月光を背負って漆黒に染まった影から、怒気にギラついた鋭い眼差しだけが光った。今までとは別人のような、スレインさんの姿。
「あら、起こしちゃった? ごめんなさ――」
「服を着ろ」
静かながら迫力のある声に、私は恐怖で凍りつきそうになる。矛先を向けられているロゼールさんは、平然と服を着直して外へ出た。
「何をしていたんだ」
「別に。眠れないから、エステルちゃんにお喋りでも付き合ってもらおうと思って」
「嘘をつくな」
「はいはい。あの子を誘惑しました。これでいい?」
「なぜそんなことをした」
「なぜって……ねぇ? 私たちが本気で愛し合っていたら、あなたただのお邪魔虫よ?」
「仮にそうだとしても、今やることではない」
「ふ~ん……」
ロゼールさんは反省の色をまったく見せないどころか、スレインさんの出方を伺うようにじろじろと眺めている。明らかに、神経を逆なでしている。まずい、まずいですよ……。
「じゃあ、あなたは私の行動がこの場にふさわしくないから怒ってるのね?」
「そうだ」
その瞬間、ロゼールさんの瞳が夜の色に染まった。
「嘘つき」
スレインさんの双眸から、虚を突かれたように鋭さが薄れる。
あの眼だ。すべてを見透かすような、吸い込まれるような、暗闇の瞳。
「あなたはね、エステルちゃんだから怒ってるの。もし私があなたのほうに行ってたら、あなたは紳士的に拒んで、私の行動を諫めるわ。それはあの男でも同じ。でもね、大好きなエステルちゃんが狙われたことだけは許せない。だからそんなに頭に来てるのよ。そうでしょう?」
「ち……違う。私は――」
「うふふふ……あなたって矛盾だらけね。誰にでも平等、公正って顔して、他人に順位をつけてるの。その順位で一番下にいるのはね……悲しいことに、あなた自身。きっと、エステルちゃんのためなら簡単に命を投げ出すわ。それが彼女をもっと苦しめるとも知らずにね」
「……」
「そんな顔しないでよ。別に責めてるわけじゃないの。むしろ、そういうところが素敵だと思うわ。ねぇ、いじらしくって可愛いお嬢さん?」
「っ……何がしたいんだ、お前は!!」
一切隙を与えないような言葉の嵐に、スレインさんは完全に飲まれてしまっているように見える。喜悦に歪んだ口元を月光に晒したロゼールさんは、何か得体の知れない怪物のように映った。
「私ね、人間の、こう……上辺じゃなくて、本性を見たいの。好き嫌いとか、欲望とか、弱さとか……『人間らしさ』みたいなのが、大好き。だから、殴られても追放されても、ついそういうのを暴きたくなっちゃうのよねぇ」
少し山なりに曲がった目の中の、薄暗く光る瞳がゆっくりとこちらに動く。目が合ったのを合図に、彼女は私のほうに歩み寄って、そっと頬に手を添えた。
「あなたはどうかしら。その純真な心をグチャグチャにかき乱してあげたら、どうなっちゃうのかしら。きっと、あなたたちにはそれが一番効くわねぇ……うふふふ」
「や……やめろ!!」
「あの男みたいに、殴って止めてみる? エステルちゃん、もっと悲しむわね」
嬉しそうに笑っているその顔を、私は何の抵抗もなくただ眺めていた。改めて――綺麗な人だな、と思った。
「……別に、いいですよ」
目の前の薄笑いが、わずかに引きつった気がした。
「いや、あの……私に悪いところがあったら、むしろちゃんと言ってくれたほうが嬉しいというか……」
「あら。私アドバイスしたいんじゃなくて、あなたをメチャクチャに傷つけてみたいんだけど」
「それがロゼールさんの言う『人間らしさ』なんでしょう? さっきの話、私けっこう納得しちゃいました。今までの行動、そういうことだったんだなーって。私だって、人間味のない事務作業しているより、おいしいパフェとか食べたいですし」
「……」
「でも、喧嘩はやめてくださいね。私、ロゼールさんもスレインさんもゼクさんも、みんな好きだから……」
頬に触れていた手がするりと滑り落ちて、表情の抜け落ちていた口元に添えられると、そこから噴き出るように息が漏れた。
「……ふふっ。あははははははっ!!」
またしても笑い出すロゼールさんだけど、それはさっきとは違って、心底愉快そうというか晴れ晴れしたような笑顔だった。目の端に溜まった涙を軽く拭うと、はあ、と1つ長いため息をついた。
「あー……降参。久々に絶対に勝てない相手に遭遇しちゃった。私の完敗よ。このパーティは今までよりは長生きしそうね。いいわ、協力してあげる」
「え? っと……ありがとうございます」
「あなたも、いじめちゃってごめんなさいね。仲良くしましょう、スレイン?」
「……今度妙な真似をしたら、首を刎ね飛ばしてやる」
発言はたいへん物騒だけれども、2人はしっかり握手を交わしている。仲良くなれた、ということでいいのかな?
そんな和やかな雰囲気に水を差すように、ガサガサと茂みが揺れて何かの影が出てくる。
ゼクさんかな、と思ったけれど――想像よりも太く巨大な体躯に、人間のものではない顔が露わになる。
「……オーク!?」
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