魔性の女
私たちを乗せた馬車は、草原のど真ん中でゴトゴト揺れている。勇者がクエストのために遠出するときは、協会がこうやって交通手段を整えてくれることになっているのだ。
中は狭くて居心地がいいとは言えないけれど、文句は言えない。たとえ大柄なゼクさんが足を堂々と広げて、余計に空間を圧迫していても。
「オークはゴブリンの上位種だと思ってくれればいい。違いは昼間も活動すること、繁殖力が低いこと、機動力に劣ることくらいか」
すらりと長い足を組んだスレインさんは、私のためにこれから討伐する魔物について丁寧に説明してくれている。
「今日はお得意の資料はどうしたよ」
「読んでも覚えられないので、持ってくるのやめました」
「開き直ってんじゃねーか」
ゼクさんはふんと鼻を鳴らすが、私もふふんと取り澄ました態度を繕う。できないことはできないと認めることも時には必要だ、と心の中で言い訳しながら。
「そして、今回オークの群れの文字通り根城となっているのが――この、山の中の廃城だ」
スレインさんは地図を広げて、目的地を指し示す。クエストの詳細も読んでもらったので、たぶん私より詳しい。
「城のほうがぶっ壊しやすくて助かるぜ」
「なんで壊す前提なんですか。今回はロゼールさんもいるんですよ」
「そうだな。だが、協会の調査員によると、この廃城は屋根もないほどボロボロらしい。どちらかというと、他の入り口を塞いでほしいんだが――ロゼールは確か、氷の魔法が使えたな?」
さっきから静かだったロゼールさんは、緩く脱力した目を外の景色にぼんやり向けていた。
「見て見て、可愛い小鳥ちゃんが飛んでるわ。綺麗な色ねぇ。なんていう名前なのかしら」
「このクソアマ、ピクニックに来てんじゃねぇんだぞ」
「やだ、この人こわぁい」
吊り上がった赤い眼光に射られても、ロゼールさんは言葉と裏腹に表情1つ変えない。その緊張感のなさに辟易してか、スレインさんもため息をつく。
「ロゼール、話を聞いていたか? 旅行に行くわけじゃないんだ」
「それより、馬車の中でくらい兜を取ったらどう? おにーさん」
「ロゼールさん。スレインさんは女性ですよ」
「あら? そうだったの?」
スレインさんは仕方なくといった感じで、言われた通りに素顔を晒した。
「まあ、そんな綺麗な顔してたのねぇ! 隠すなんてもったいないわ。そんなものつけてないで、普段からその顔を見せるべきよ。ねぇ?」
「……それは、どうも」
屈託なくはしゃぐロゼールさんを前に、スレインさんの眉間がわずかに陰る。顔を褒められるのは好きじゃないと言っていたけれど、それだけではなさそうな気がした。
「それで、作戦についてだが――」
「いいのよ、そんなの。作戦なんて、その通りに事が運ぶほうが少ないんだから。人生経験豊富なお姉さんが上手く合わせてあげる」
「テメェ、歳いくつだよ」
エルフとはいえ女性の年齢を堂々と聞くなんてのも、ゼクさんならさもありなんといった感じだ。
「デリカシーのない人ねぇ。まあいいわ、226よ」
「ババアじゃねぇか」
「ひどーい。じゃあ、あんたなんてオジサンよ。顔に傷オジサン」
「んだとコラァ!!」
ゼクさんの大柄が立ち上がれば、狭い馬車はますます圧迫される。ロゼールさんはそんな威圧感などものともせず、すまし顔で頬杖をついている。私には真似できない胆力だ。
2人が火花を散らしている傍ら、我関せずだったスレインさんはふっと視線を上げる。
「そうだ。調査報告によると、オークたちは近隣の村から女性を攫っているらしい。エステルは特に気をつけろ」
「は、はいっ。その、攫われた人たちは……」
「……クエストに救出の任務が入っていないところを考えると、もう――」
「……」
どこかで誰かが魔族の被害に遭っている……なんて、ありふれた話なのだろう。でも、その現実が間近に迫ってくると、その人たちのことを思わずにはいられない。そして、私がその犠牲者の1人になるかもしれないと考えると――
恐怖に震えた身体が、急に柔らかく温かい感触に包まれた。
「大丈夫よぉ、心配しないで。可愛い可愛いエステルちゃんは、お姉さんが守ってあげる」
「ちょっ……」
ロゼールさんが私を愛玩動物みたいに抱き寄せる傍ら、さっきより大股に座ったゼクさんは聞こえよがしに舌打ちして、スレインさんは硬い表情のまま文句の代わりに小さく息を漏らした。
完全にロゼールさんのペースに巻き込まれている気がする。わざとそうなるように振舞っているのだとしたら、噂通り、彼女は「魔性の女」なのだろうか……。
◇
私たちが目的地に到着する頃にはすっかり日も沈み、朽ちた外壁を晒す黒い廃城を遠目にしながら、山の中でキャンプを張ることになった。
ゼクさんは周囲の見回りに、ロゼールさんはふらりと散歩に行ってしまって、私はスレインさんと2人で焚火を見張っている。
「彼女はどうだ? なかなか曲者だろう」
「なんていうか、手強いですよねぇ。こちらの言うことはのらりくらりかわして、たまに鋭いカウンターを食らわせてくるような」
「そうだな……。最悪、パーティから外すという選択肢も視野に入れておかなければ」
「そこまでしなくても……」
「いや、あれは危険な予感がする。彼女については、よくない噂も多い」
オレンジ色の炎が、固く引き締まった目つきを照らす。初めて会ったときと同じ、ピリピリした眼差し。
だけど、ロゼールさんが私に「必ず全員採用する」と明言していたのはその通りで、私は一人も<ゼータ>から弾き出すつもりはなかった。
今まで話したメンバーも、まだ話していないメンバーも、確かに普通ではないし扱いづらそうではある。でも、一緒にいてはいけないほどの悪人みたいな人は誰もいなかったように思う。私の認識が甘いだけなのかもしれないけど。
もちろんロゼールさんだって、例外ではない。自分のパーティを瓦解させてしまったとはいえ、悪意をもって私たちに接しているような素振りはなかった。
「あのー……逆に、良い噂ってないものですかね」
「ん?」
「いや、悪い話ばっかりだと、本当に悪い人みたいに思っちゃうじゃないですか」
警戒心にギラついていたスレインさんの眼が、ふっと和らいだ。
「……君らしいな。そうだな、やはり魔術の腕は一級らしい。ロゼールの氷魔法は100年経っても解けないとか」
「100年!」
「まあ、誇張だろうがな。あとはなんだ……彼女のことを嫌っている者もいれば、尋常ではないほど崇拝している者もいると聞いた」
「美人さんですもんね」
「外見もあるだろうが、何か不思議な魅力みたいなものを感じているそうだ」
なんだかわかる気がする。普段あれだけ気ままに振舞っているロゼールさんだけど、その奥にどこか寂しいようなほの暗い何かが漂っている気がして、妙に引きつけられるときがある。
「……ちょっと気になったんですけど、そういう話ってどこで仕入れてくるんですか?」
「どこにでも、情報通みたいな奴がいるものだ」
突然、遠くから雷鳴みたいな怒声が響いて、真っ黒な木々からバサバサと鳥たちが飛び去った。
「い、今の声……ゼクさん?」
「行こう!」
すでに兜を装着していたスレインさんが、跳ねるように駆けだした。私も続いて立ち上がる。
声のしたほうに辿り着くと、そこには興奮して肩で息をしているゼクさんと、座り込んで頬を腫らし、鼻血を流しているロゼールさんがいた。明らかに、ただごとではない雰囲気だった。
「なっ……何があったんですか!?」
「君が殴ったのか」
「……うるせぇよ」
スレインさんの問いかけにも、ゼクさんは血管の筋を浮き上がらせた尖った眼で睨み返すだけだ。
「気にしないで。これは全部私が悪いから」
「え?」
反対に、ロゼールさんは痛々しい頬を庇いながらも軽い調子で笑っていた。
「私のせいなの。怪我もまあ、大丈夫だから。ね? それでいいでしょう?」
どうやらロゼールさんがゼクさんを怒らせてしまったらしい、というのはわかるけれど……すぐには腑に落ちなかった。ゼクさんは怒りっぽくてもすぐに手が出たりはしない。スレインさんが前のパーティの仲間のことに言及したときも、掴みかかりはしたものの、傷つけたりはしなかった。
いずれにしろ、当事者2人が口をつぐんでしまって、それ以上追及することはできなくなった。
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