#3 凍れる時間

暗い瞳

 来ない。


 さっきからこの沈黙を紛らせてくれている壁掛け時計は、約束の時間から2時間も経過していることを教えてくれる。時間にルーズだとは聞いていたけれど、飾り気のない面談室にこれだけの時間一人で放置されているのは、なかなかにしんどかった。


 1時間前に牢屋まで確認しに行ったが、中は空だった。衛兵さんに捜索のお願いをしておけばよかったかもしれない。


 ……しょうがない。彼女が来るまで、おさらいをしておこう。


 ロゼール・プレヴェール――種族はハーフエルフで、年齢はなんと226歳。私の……ええと……12倍は長く生きている。もちろん性別は女性だ。今回はちゃんと確認した。


 初めて牢屋で見たときは、エルフらしい綺麗な顔立ちとつややかな長い金髪が印象的だったけれど、冷めているというか、何に対しても興味がなさそうだった。


 Aランクパーティ<アルコ・イリス>出身で、除籍事由は『メンバー間の連帯を乱した』ため。

 それについては、前にスレインさんからいろいろ教えてもらったときに話に上った。


『ロゼールはいろいろなパーティを転々としていて――というより、なぜか彼女のいるパーティはすぐに解散してしまうんだ。それで、"パーティ殺し"とか"魔性の女"とか言われている』


『えぇ……。なんで、そうなっちゃうんでしょう』


『どれもメンバー同士の諍いが原因だ。彼女に非があるのかどうかはわからないが――無関係ではないだろう』


 実際、<アルコ・イリス>はロゼールさんが脱退したあとにすぐ解散してしまっている。そういえば、それを忘れて書類のパーティ名を間違えて、ドナート課長に叱られた気がするなぁ。

 彼女自身に問題があるのか、それともただの偶然なのか……。きっと、話してみればわかる。



 ガチャ、とドアが来客を告げる。


 ……来た! 私はゆらりと入ってくる人影を注視して、第一声を待った。


「ごめんなさぁい、遅くなっちゃって」


 まったく悪びれた調子のない謝罪を発した彼女は――腰まで垂らした金髪をしっとりと濡らし、シャープな輪郭に縁どられたなめらかな頬をほんのり赤く火照らせている。


「……なんで面談すっぽかしてお風呂入ってるんですかぁ!!」


 思わず大声とテーブルを叩く音をぶつけてしまったが、ロゼールさんはきょとんと澄んだ碧眼で受け流し、無邪気に口元を緩める。


「だって人と会うんだから、身綺麗にしておきたいじゃない? あなたも知ってるでしょう、あの牢屋の汚さ」


「だからって、時間かかりすぎですよ!! 2時間も待ったんですよ、私!」


「たったの2時間でそんな騒ぐこと?」


「騒ぎます!!」


 呆れてしまうほどのいい加減さだけど、一般にエルフというのは寿命が長すぎて、私たちとは時間の感覚が違うらしい。文化の違い、ということなんだろう。

 これだけで、パーティの人間関係が壊れるとは思えない。


「……とにかく時間も押してますし、そこに座って――」


「なんだかつまらない部屋ねぇ。もっと楽しいところでお話しましょうよ。そうだわ、前に街でお洒落なカフェを見つけたの。一緒に行きましょう?」


「え、ちょっと!」


 広々と垂れ下がった青い袖口からしなやかな白い手が伸びてきて、私の手首を柔らかく包む。抵抗する暇もなく、面談室から連れ出されてしまった。



  ◇



 そこは確かに雰囲気のいいオープンカフェで、小綺麗な服装に身を包んだお客さんたちが優雅にコーヒーや紅茶を楽しんでいる姿が見えていた。


「ねぇ見て! このパフェ、苺とアイスがウサギさんみたいになってるわ。可愛い~!」


「はぁ……」


 ロゼールさんも例に漏れず、アイスクリームやフルーツで彩られたパフェをスプーンでつついて遊んでいる。私は楽しむ余裕もなく、コーヒーを傍にその年不相応な姿を眺めていた。


「それでですね、ロゼールさん。まずは――」


「うふふ、ごめんねウサギちゃん。……おいしぃ~っ!」


「話聞いてくださいよ!!」


 アイスを乗せた細いスプーンを口に含んだロゼールさんは、まぶたをぎゅっと閉じて恍惚を味わっている。ちょっと、いやかなりおいしそう……私もあれ頼めばよかった――じゃ、なくて。


「エステルちゃんも、一口欲しい?」


「え!? いや、ええと……」


 欲しい――けど、仕事中だし……でも……。

 心の中で激しく葛藤していると、アイスクリームの乗ったスプーンが差し出される。


「はい、あーん」


「うぅ……い、いただきます」


 はい、食欲には勝てませんでした。まろやかなクリームがじんわりと舌の上でとろけていくのと同時に、バニラの甘い香りがいっぱいに広がった。


「ん~~~っ、おいしい!! いくらでも食べられそうな甘さです!!」


「でしょう? もう一口いかが?」


「え、いいんですか?」


 そこではっと思いとどまった。こんなことをしている場合じゃない、仕事仕事。


「すいませんけど、そろそろ本題に入ってもいいですか?」


「カプチーノが飲みたいわねぇ」


「ロゼールさんっ!!」


「はいはい。なぁに?」


 細長い指はまだスプーンをもてあそんでいて、目尻をゆるやかに下げた碧眼だけが関心を向けてくれる。


「まずは、前のパーティで何があったか教えてもらえませんか?」


「前の? ああ、<アルコ・イリス>ね。まあ……あれよ。簡単に言うと、痴情のもつれ」


 即座に腑に落ちる事情だった。


 ロゼールさんは顔立ちが美しいのは言わずもがな、丈が余るほどのゆったりした青い服地からでもそのスタイルの良さが伺える。大きく開いたネックラインからは、首筋から肩までなめらかな白い肌が露出していて、その下の胸の起伏もよく目立つ。……ちょっと、羨ましい。


 まあとにかく、彼女を巡って争いが起こってもまったく不思議ではない。

 うちのパーティの男性陣は――少なくともゼクさんは色恋沙汰なんて興味なさそうだし、スレインさんから聞いたところでは、あとの2人も異性のことで争うタイプではなさそう。


 でも、本当にそれだけ?


「それじゃあ、ロゼールさんにやってもらうクエストを選びましょう。確か、魔術師でしたよね」


「ねぇ、素敵な店員さん? カプチーノ1つ頂けるかしら」


「ロゼールさぁん!!」


「ん~、じゃあこれ」


 ロゼールさんはトランプの手札をランダムに引くかのように、書類の束から一枚抜いてこちらに放った。


「そんな適当に選ばないでくださいよ」


「どうせ、あのおっかない大男もついて来るんでしょう? 全部彼がやっちゃうんだから、どれでも変わらないわ」


「私はロゼールさんの能力が見たいんです」


「必要ないわよ」


「必要ですよ。今は試用期間なんですから。正式にメンバーに採用するか、これから判断するんです」


 ――不意に、長い睫毛から現れた透き通った水面みたいな瞳が、夜の海のように暗く染まって白い肌にくっきりと映えた。



「いいえ。あなたは必ず全員採用するわ。誰にどんな問題があっても、絶対に見捨てない。そうでしょう?」



 店内に漂っていた声が遠のき、テーブルやカップの輪郭がぼやけていって、私たち2人の存在だけが鮮明にこの空間に浮かび上がっていく。


 私の姿が映っているその眼は、私の中のすべてを見透かしているようで、心臓がざわつくような妙な感覚に支配されていく。嬉しいことを言ってもらったはずなのに、その不気味な感覚で身体中が凍り付いたように動かなくなった。


「お、お待たせしました、カプチーノでございます」


「あらぁ。どうもありがとう」


 店員さんの声で、ふっと世界が戻ってきた。ロゼールさんは親しげに手を振り、若い店員さんを赤面させている。


 私は不思議な余韻を引きずりながら、クエストの紙を拾い上げた。

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