狂戦士

 小ぢんまりした面談室の横長のテーブルには大きな足がどかんと乗っけられていて、私の視野のど真ん中がほとんど靴の裏に陣取られている。その向こうには背もたれをギィギィ鳴らしながら頭の後ろで腕を組んでいる、いかにも退屈そうな姿があった。


「あの、ゼクさん? 普通に座ってくださいよ」


「……チッ」


 返事の代わりに舌打ちが1つ、姿勢を改めることもなかった。こんなに態度の悪い彼は、どこでどう育ったのかまったくわからない。年齢も出身も経歴も一切不明で、「ゼク」という名前もおそらく本名ではないのだろう。


 元は<アブザード・セイバー>というAランクパーティのエース的存在で、2m近くある身長とボロボロの薄い服の上からでも目立つ筋骨隆々の体つきを見れば、すぐにその強さが伝わってくる。屈強な肉体にふさわしく、武器は巨大な剣を使うという。


「と……とりあえず、まずはゼクさんにやっていただくクエストを決めますね」


「くだらねぇモン選んだら殺す」


 書類に伸ばした手を一瞬引っ込めそうになった。恐怖をこらえて山のように積み上がったクエストの依頼書をどうにかめくる。<ゼータ>は特別にランク制度が適用されていないらしく、ここにあるクエストも適性ランクはEからSまでとバラバラだ。


 ゼクさんは元Aランクだけど、実質1人で戦わなければいけないわけだし、手始めにCかBランクくらいのを――


 あれこれ悩んでいると、ゴツゴツした太い指に持っている書類をぐしゃっと掴まれた。


「あ、ちょっと!」


「……つまらなそうなヤマばっかだな。ああ、これならちっとは楽しめそうだ」


 ひったくった紙束から1枚をテーブルに放る。ひらりと滑ってきた紙面に軽く目を通して、その内容にぎょっとした。


「『ブラックドラゴンの討伐』……適性、Sランクじゃないですか!!」


 Sランクのパーティなんて<勇者協会>で1組しか存在しない。つまり、それ以外のパーティには推奨されないほど危険なクエストだということだ。


「だっ、ダメですよ、こんなの!! ゼクさん1人でやるんですよ? 死んじゃいますよ、下手したら!!」


「協会のランク設定はヌルいんだよ。これ以外はやらねぇからな」


「き、決めるのは、リーダーである私です! 指示に従ってもらわないと困ります!」


「なんでたかが職員の言うこと聞かなきゃいけねぇんだよ。つか、誰だお前」


「エステル・マスターズです! さっき名乗ったでしょう?」


 興味なさげだったゼクさんの半開きの目が、わずかに開く。


「マスターズ……勇者エリックもそんな名前だったな」


「エリックは私の兄です」


「お前、あいつの妹か」


「知ってるんですか?」


 ほんのわずか、傷痕をそっと撫でた指の間から、苦々しげに歪んだ顔が覗く。手をどけたときには、それは嘲笑に変わっていた。


「ああ、知ってるぜ。エリックは――クソ田舎の出身で、最強とか言われて調子こいて、魔王と戦いに行っておっ死んだマヌケ野郎」


 反射的にバンとテーブルを叩いた。立ち上がった勢いで椅子がガタンと倒れる。


「お兄ちゃんのことをそんなふうに言われる筋合いはありません!!」


「事実だろうがよ。つーか、あのエリックの妹が協会の下っ端なんざ、笑わせるぜ。才能は全部兄貴に持ってかれちまったのか?」


「ッ……!!」


 怒りで顔が熱くなる。手のひらもじんじんと痛みが響いてきた。それでも何も言い返せない。お兄ちゃんと比べて何の才能もないのは、事実だから……。


 歯を食いしばるばかりの私をよそに、彼はだるそうに立ち上がって部屋を出ようとする。


「俺は魔族をぶっ殺しに行く。邪魔すんなよ」


 キッと投げた視線は、彼に届くことはなかった。

 最低。もう知らない。あんな奴、ドラゴンにやられちゃえばいいんだ……。



  ◇



「ええと……『<ブラックドラゴン>はおもに夜の暗がりの中で活動する。夜目が利くが、光に弱い』――って、聞いてます? ゼクさん!」


「うるせぇな……。なんでテメェから魔物の説明聞かなきゃいけねぇんだよ」


 夜闇に閉ざされた山道では、明りがないと文字を読むのも一苦労だ。なのに、ゼクさんは真っ暗な道をずんずん先導していく。せっかく2人分のランタン用意したのに……。


「言っておくが、邪魔すんじゃねぇぞ。テメェが襲われても、助けてやらねぇからな」


「え」


 なんとも間抜けなことに、そこで初めて私は自分が襲われる可能性に気づいた。相手はSランク級の魔物。急に背筋が冷えてくる。


「ギャオオォォオオオッ!!!」


 空を割るような咆哮が、耳も思考も引き裂いた。

 見上げれば、一面に広がる黒。それは夜空ではなく――翼を広げたドラゴンの巨体だった。


「出やがったな」


 待ち望んでいたような、それでいて憎しみのこもったような声。彼は背中の大きな剣を抜いて、大地に降り立ったブラックドラゴンを真っすぐ睨んでいる。


 私はといえば、足がすくんで地面にへたり込んでいた。間近で見る本物のドラゴンは、ちっぽけな私なんてすぐに焼き払えそうなほど強大な存在に映った。

 逃げなきゃ。このままじゃ殺される。初仕事なのに? 嫌だ。嫌なのに、足が動かない。


 恐怖で縛り上げられた身体が、突然ふわりと浮き上がる。そのまま草っぱらに放り出されて、ごろごろ転がった。

 ゼクさんに首根っこを引っ掴まれて、投げ飛ばされたらしい。


「いたた……」


 起き上がった途端、すぐ隣の木々が突風とともに一瞬で消滅した。

 ドラゴンの、ブレスだ。


 私はさっきまで森だった更地を見て、茫然としていた。ほんのわずか位置がずれていたら、私は跡形もなく――


 そんな恐ろしい化物にも、ゼクさんは果敢に突っ走っていく。ブラックドラゴンはすでに大口を開けて待ち構えている。あんな威力のブレスを、こんな短い隙に充填したっていうの?


 ゴオッ、と黒い竜巻が凄まじい勢いでゼクさんに飛び込んでいく。彼は避けるどころか、身の丈ほどもある大きな剣を構えたまま突進していく。

 その破壊力の塊は、太く分厚い刃の一振りでいとも簡単に霧散してしまった。


「おおおぉぉぉおおおお!!!」


 雄叫びとともに疾走の勢いが増していく。ブレスの余韻で開いたままのドラゴンの口に、銀色の大剣が突き刺さった。


「ゴアァッ!!」


 次にドラゴンが吐いたのは、おびただしい量の血飛沫だった。素人目でもわかる、致命傷。

 何の奇策もなく、ただ突撃して剣を突き刺す。信じられないような力業だけど、それが彼の強さの証明なのかもしれない。


「……はぁ。どうなるかと思ったけど、倒せてよかったですよ。……ゼクさん?」


 名前を呼んでも、彼は振り向きもしない。ただ口に突っ込まれた剣を乱暴に引き抜いて――今度はそれを、倒れているドラゴンの眉間に突き刺した。


「え?」


 頭部を抉られたドラゴンは、低い呻き声を漏らす。苦しむ姿などお構いなしに、ゼクさんはまた剣を引き抜いては、もう一度刃を沈みこませる。何度も何度も、剣を刺して、抜いて、刺して……それを繰り返している。


 ドラゴンが大人しくなっても、逆立つ白髪が真っ赤に染まっても、彼はやめない。

 横顔から覗く目は憤怒に血走っていて、漏れ出す荒い息は憎悪に灼けついているようで、血染めの姿はまさしく悪鬼のそれで……。


「魔族は殺す!! 全部、殺す!!」


 火傷しそうなほどの怒声も、肺の中まで滲んできそうな血の臭いも、しだいに靄がかかっていく意識とともに遠ざかっていった。

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