世界を救う勇者たち

 達成したクエストは、簡単な報告書を作って「パーティ管理課」に提出する決まりになっている。<ゼータ>の報告書は基本的にドナート課長が受け持ってくれるということで、私は課長のデスクの前で黙って待っていた。


「ブラックドラゴン討伐……こんなものを最初に選んだのか。これはある程度パーティとして体をなしてきた頃にと思って入れたものなんだが」


 課長は眼鏡の位置を直しつつ、凛とした瞳を紙面の隅々に流し込む。


「同行したのはゼク1人か。何というか……よく最初にこんな難しいのを選んだな」


「いえ、別に……」


 その名を聞いただけで、あの悪魔に取り憑かれたようなおぞましい姿が脳裏に蘇り、何も言えなくなる。


「……もし素行に問題のある奴がいたら、パーティから外しても構わないんだぞ。元々そういう連中ばかり集まってるんだ」


 課長も何があったか察してくれたのかもしれない。でも、なぜか私は「はい」と頷けなかった。


「いよーう、エステルちゃん!! 最初の仕事はどうだった?」


 レミーさんがいつもの陽気さで、肩を叩いてくる。私の返答も待たずに、課長から書類を勝手に引ったくり、斜め読みしている。


「……Sランク!? 初っ端で!? すげぇな、幸先良いじゃねーか! こりゃーマジで最強パーティになっちまうかもな!! なんつって」


「いや……私、何もしてないので……」


 私が素直に喜べないのを、ニコニコ笑っていたレミーさんもさすがに察したようで、すっと真顔に戻った。


「あー……なんだ。そりゃー誰だって、最初からテキパキ動けるもんじゃないさ。それによ、エステルちゃんが何もしなかったとして、それでクエスト達成できたってことは、メンバーがのびのび動けて力を発揮できたってことさ。口出すだけがリーダーじゃねぇもんな」


「私、そんなんじゃ……」


 ドナート課長がレミーさんから書類を取り返し、紙束に入れてトントンと揃えた。


「エステル、今日はもう帰って休め。疲れもあるだろう」


「……はい。お先に失礼します」


 私は逃げるようにオフィスを出た。ドナート課長とレミーさんが何か話し合っているのを、背中で聞きながら。



  ◇



 特に飾り立ててもいない質素な職員寮の自室に、今は少し安らぎを覚える。それでも着替えて寝る準備をする気力は起きなくて、ただベッドの上に重い身体を沈ませていた。

 疲労は溜まっていても頭だけは鮮明で、どうしても今日の出来事がぐるぐると巡っていく。


 やっていけるだろうか。私なんかがリーダーで。メンバーの人たちともうまく信頼関係が築けるか、自信がない。


 特に、あの人――思い返すだけで、ぞっとする。


 まるで、憎しみと暴力の化身だった。魔族へのむごたらしいほどの殺意と、残忍なまでの攻撃性。それが、魔族ではなく人間に向いたら? だから彼は、自分の仲間を――


 無理だ。あんな恐ろしい人とパーティを組むなんて、無理だ。他の人が全員まともだったとしても、絶対無理。


 だったら、課長に言われた通りパーティから外す?

 それは何か違う気がする。うまく言葉にできないけれど、それをやってはいけないような……。


 結局、どうすることもできない。堂々巡りのまま、意識だけがまどろんでいく。



『やってみなきゃ、わからないさ』


 記憶の中から、ふっと湧いてきた懐かしい声。忘れもしない。包み込むような優しい温度と、それでいて芯の通った力強い声音。


 ああ、そうだ。お兄ちゃんが「勇者になる」って、村を出ることを私とお母さんに告げた日だった。

 こんな田舎村の出で、勇者になんてなれるわけがない。まして、魔王を倒すなんて無理だ――私もお母さんもそう言って引き止めたっけ。


 だけど、お兄ちゃんはいつもの柔らかい笑顔で続けたんだ。



『俺みたいな田舎者が、世界を救って伝説になったら、面白くないか?』



 ――それで本当に、世界を救えるだけの力を持った勇者になっちゃうんだもの。


 お兄ちゃんが魔界に旅立つ日のことは、今でもよく覚えている。


 帝都の大通りの両脇を、溢れんばかりの人々が埋め尽くしていた。みんな、真ん中を歩く"勇者様"のパーティにありったけの歓声と称賛を送っていた。


 だけど、私はずっと泣いていた。


 お母さんになだめられても、見かねた周りのおばさんたちにあやされても、私は恥ずかしいくらい大声で喚いていた。

 "勇者様"はそんな私の小さな頭にそっと手を添えて、いつもみたいに微笑んだ。


『泣くな、エステル。兄ちゃんたち、必ず魔王を倒して、世界を平和にするからな』


 お兄ちゃんは、それから二度と帰ってこなかった。世界救済は、最強の勇者でさえも簡単に成し得るものではなかったらしい。

 けれど、お兄ちゃんは――エリック・マスターズは、私にとっては十分に「伝説の勇者」だった。


 それで、私は勇者の支えになる仕事に就こうと思ったんだ。力が弱くても、頭がよくなくても、少しでもいいから、世界を救う勇者の助けになりたかった。


 たとえ、パーティを追放されたような人たちでも。どんなに暴力的な人だとしても。



  ◇



 牢屋は相変わらず薄汚れていて、掃除くらいすればいいのにと苦言を呈したくなる。

 この間の衛兵さんは首に湿布を貼っていて、「大丈夫ですか?」と声をかけると、もう面倒ごとには関わりたくないといった様子で、「はぁ、まあ」と曖昧に返事をした。


「よお、来たな」


 通路の奥の暗がりに、血の気の多そうな笑みが浮かぶ。


「まだあるんだろ、クエスト。全部俺にやらせろよ。早く魔族をぶっ殺してぇんだよ」


「わかってます。けど、少し時間をください」


「あぁ?」


 私は独房の中を1つ1つ、丁寧に視線でなぞった。これから仲間となる人たちの表情は様々で、不信感、無気力、能天気、恐怖心、それぞれがくっきりと私の心の中に映る。


「改めて、リーダーとして言っておきます。私はこのパーティで、<ゼータ>で、魔王を倒すつもりです」


 自分の声の反響が、わずかに鼓膜を震わせる。

 しん、と滲んだ沈黙をそのままにして、じっと待った。間もなくそれは返ってくる。


「む、無理ですよ。魔王なんて、僕には……。あの、僕は外してください……」


 小柄な少年は、相変わらず青白い顔で爪を噛んでいる。


「なら私も抜けていいかしら? 魔王とかそういうの、興味なくて」


 エルフの女性は、相変わらず煩わしそうに長髪をかき混ぜている。


「意気込みは立派だが、少なくともこれではチームワークが不安だな」


 若い騎士は、相変わらず険のある面差しのまま腕を組んでいる。


「じゃあ、みんなで友達になろう。まずはおいしいものでも食べに行こうか?」


 笑顔の青年は、相変わらず不自然なほど陽気に振舞っている。


 不思議と気持ちが折れることはなかった。仲間たち全員の顔が、姿が、心が、自分の手の触れられる場所にあるような気がした。


 ――私は世界を救えない。

 そう、私1人では。



「私たちみたいなはみ出し者が、世界を救って伝説になったら、面白くないですか?」



 若い騎士が指を動かすのをやめる。エルフの女性が初めてこちらを見る。笑った青年の細い目が少し開く。少年が噛んでいた親指を離す。


 奥の牢屋の男が、ニヤリと笑う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る