阻むものがあるとして
私と溝口君を隔てるものはどんな時にも存在して、それがある限り私は溝口君に触れられない。
溝口君に壁が出来たのは小学校の時の授業中で、溝口君の隣の席に座っていた私とその後ろの男子が急に何かに押されたようにして倒れる。溝口君はそれから人を寄せ付けられなくなる。半径数メートルの壁が溝口君の周りにできてしまって不思議なことに食べ物とか溝口君にとって必要なものはすり抜けるけど、人だったり、生存に必要のない物だったりは通らない。
壁には当の溝口君も困っていて、何とか破ることが出来ないかと溝口君も色々やってみるけど溝口君を中心に取り囲む透明の壁が溝口君を中心に動くだけなのでどうにもならない。
小学生の適応力というべきか、大人は混乱しっぱなしだったけど私たちは最初は好奇心ではしゃぐけれど、数日すると飽きて日常に変わる。溝口君ともなんだかんだその距離感で過ごすようになる。ただ、教室で溝口君は皆と少し離れて授業を受ける。何もないように見える空間に壁が横たわっているから、溝口君はポツンと一人で授業を受ける。
中学校へ進学する。私は溝口君と同じ学校に行くけど、色々と変わってくることがある。小学校の時と違って溝口君の状態は色々なメディアが取り上げていて、研究もされていて、事前に中学校では溝口君の取り扱いのようなものが決まっている。そうして、そんな溝口君の扱いをVIP待遇のように思った人たちが溝口君に不満を持つ。面白半分に凶行が始まる。
先生が見ていない隙に何人かが椅子を持って溝口君に殴りかかる。その何人かが事前に示し合わせていたのか、クラスメイトが急に表に出す暴力の気配のようなものに私は衝撃を受けて硬直する。溝口君はそうして迫ってくる人たちを淡々と見つめている。
溝口君の壁に当たった椅子は結局壁を破ることは出来ない。ガン、ガンという音ではなくてダムッ、ダムッという感じの音がする。溝口君の壁は決して破れないけど、硬いものではなくて弾力があって衝撃を吸収してしまう。
「畜生、何なんだよお前さぁ!」
息も絶え絶えで椅子で溝口君に殴りかかったクラスメイトが面白くなさそうに椅子を横に放る。
「知らないよ、そんなの」
クラスメイトは余計に溝口君の言葉に怒るけど、壁を破ることが出来ないから何というか必死に淡々としている溝口君に対して醜態を晒しているような雰囲気が教室に出来て、やがて先生がやってきて有耶無耶になる。
でも、そういう悪意は消えない。溝口君が階段を下っている時に溝口君を取り巻く壁ごとクラスメイトが突き落とす。
「ビビった? なぁ、ビビった?」
ケラケラ笑いながら言うクラスメイトたちの行動はエスカレートしていく。破れるわけがない、という気持ちが逆にそいつらを過剰なまでの暴力に駆り立てていて、どうやって過激にその壁を壊そうと出来るかというゲームが始まっている。
私はそれでも溝口君の手を取って逃げ出すことも出来ないから溝口君に言葉を伝える事しか出来ない。
「明日、学校さぼろう」
「うん」
そうして私と溝口君は学校をサボる。行き先なんてないし、こんなことも長くは続かないとわかっているけど二人で歩いて学校とは反対方向に歩いていく。
普段行ったことがない広めの人気のない公園に行く。
「大丈夫?」
溝口君とは相変わらず距離があるから少し声を張らないといけない。
「別に怪我もしてないよ」
「そうじゃなくて」
怪我をしてないことなんてわかってる。それでも、痛いものだってある。私がそうして黙っていると溝口君の周りの色が変わる。
「こんな感じ」
溝口君を取り囲む球体の形に紅い色が滲む。溝口君を取り囲む壁は球の形をしていて、それが傷ついている。
「痛かったんだね」
そう言って私は溝口君の壁に触れる。
弾力があって、生温かくて、湿っている。
「本当は、ここから出ないといけないんだと思う。食べ物とかがここに入るってことは、僕がきっと拒んでいるんだ。こうして話している君のことも」
「でも、怖いんでしょ」
「……うん」
そう話す溝口君は泣いている。溝口君がある日突然、壁を失ったら、その結果はきっとひどいことになる。それぐらい、周りの人の悪意は止められないものになっている。
「破らないでいいよ」
だから私は無責任なことを言ってしまう。でも、同時にそれは本心だ。私には壁がなくて、他の人にも壁がなくておかしいかもしれないけれど、そんなのは「そうであれ」と決まっていることじゃないのだ。
私も溝口君に触れたいような気もするし、これ以上に近づいてしまう剥き出しの距離感に恐怖を持っている気もする。溝口君に壁を破ってほしい気もするけど、それに対しての不安もある。
破りたいけど、破れない。
でも今はとりあえずこの距離で、溝口君の涙が止まるまで寄り添いたい。
第一、近づくことだけがいいと決まっているわけでもないのだから。〈了〉
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