砂の世界に記憶を埋めて

 誰とも会えなくなった世界を一人歩いている。

 いつからこうなってしまったのか、もう私には朧げで思い出すことも難しい。記憶というのは曖昧で、思い出すたびに少しずつ変化していくから過去ですら変わっていってしまう。だから、どうしてこうなってしまったのか私には正確なことがわからない。

 わかることは常に今のことだけだ。

 私の目の前には誰もいなくなってしまった廃墟、そしてその廃墟を抜けた先に何処までも続く砂漠だけ。

 どうしてこんな砂漠になったんだろう。私が住んでいた場所も、私が歩いて行く先も確かに都市と呼ばれた場所であったはずなのに。

 もしかすると、世界は砂に沈んでいるのかもしれない。でもきめ細かな砂はとても綺麗で世界が洗い流されているようにすら思える。

 歩いて、歩いて、歩いていく。

 記憶と同じで長い間こうして旅を続けていくと様々な余計な目的は削ぎ落とされていく。私もまたそうだ。歩き始めた時は色々なことを考えていたはずだ。誰かと会えるかもしれない、まだ生きている人がたくさんいるかもしれない、今よりも食料が見つかる場所があるかもしれない、この世界の謎が明らかになるかもしれない、何かが待っているかもしれない。そんな様々な目的は歩いていくうちに消えていく。

 私の目的はそれじゃないはずだ、と。歩きながらそんな自問自答を繰り返して私は余計な荷物を捨てるように目的も減らしていく。バイト先も知らない。友達も知らない。学校の人も知らない。家族も知らない。そうじゃない。そうじゃないはずだ。

 そうやって、想いも減らしていく。

 でもそんなこと、してはいけないのかもしれない。人は自分のことも実際のところわかっていなくて、その時の自分が心から求めていたものも失うまで気づかない。そうして失ったら失ったことすら気づかない馬鹿な人だって、大勢いるのだ。

 私もこうして歩く中できっと色々なものを失ってしまったのかもしれない。

「溝口君……」

 歩きながら、気がつくと私は溝口君の名前を呼んでいる。今の私がすり減らした中で残した最後のこと、これ以上削ぎ落とせないと思うこと。

 どうしてこんなにも溝口君と会いたいのかわからない。何が私を突き動かしているのかもわからない。

 でも、それを理解するためにこそ溝口君に会わなければいけない気がしていた。

 長い旅だ。砂漠では朝と夜の環境の違いも著しい。

 私はその環境でも、ただひたすらに、歩く。

「あ」

 ある日、私はそんな気の抜けた声をあげてしまう。目の前で歩く人がいる。そしてそれは良く知った人で、目的の人だ。

「溝口君!」

 私はそうして目の前の溝口君に声をかけるけど、溝口君は私を見向きもせずに歩いていく。

 しばらく話しかけて、私は気づく。私の声に反応をしない溝口君はこうして旅をする『溝口君が削ぎ落とした記憶』に過ぎないのだと。

 人が削ぎ落としたものは消えてしまうわけではない。ただそこに取り残される。私が探していたのは溝口君だから、普通だったら気づかない残された記憶を見つけてしまった。

 でも、こうして溝口君の記憶がここに残っているのだ。私が進んでいる先にきっと溝口君はいるはずだ。

 溝口君の記憶と並んで歩く。不思議と、歩くということは変わらないのに足取りが軽い。溝口君は歩き、時に休み、時に泣いていた。

 やがて歩いていく道の先で、私はまた違う誰かを見つける。

 その人を私が見つけた瞬間、隣にいた溝口君が走り出す。私はそれを見て目の前の誰かが他でもない『私』であることに気づく。

 溝口君が私の声に気づかなかったのは、溝口君が記憶だったからではなくて、私が『私の記憶』だったからだと遅れて理解する。

 私が記憶だ。削ぎ落とされていたのは、私だった。

 ずっと隣に、探し求めていた溝口君がいたなんて気づかなかった。

 私は自分が記憶だったことに少しの寂しさと、旅の目的に出会えていた喜びの中で徐々に霞んで消えていく。私という記憶はこうして砂に紛れて消えていくのだろう。

 ただ一つ心残りがあるとすれば、愚かな記憶ではない私は『溝口君の記憶を持った私』をこうしてここに削ぎ落としてしまったということで、必死に駆けていく溝口君を忘れてしまっているんじゃないかということくらいだ。

 でも大丈夫。人は忘れるから変わっていくし、変わっていくから世界は発展してきたはずなのだ。記憶ではない私が色々なものを削ぎ落としてしまっても、生きている限り余分なことは増えていく。これから溝口君がきっとそんな余分なものを私に増やしてくれる。

 大丈夫。遠くに見える私は溝口君のことを覚えていないかもしれないけれど、溝口君は私のことを覚えていてくれていたのだ。

 だから、大丈夫。記憶じゃない私と、仲良くしてね。〈了〉

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