差し出すだけが全てじゃない

 愛し合った人たちは相手に愛を差し出さないといけないらしい。愛を相手に食べさせる、そうして自分の中から愛が不在になった時、愛し愛されたことに気づくという。

 そうして後に残るのは書類上の契約だけで、私の両親はすっかり相手に興味を無くしたまま私とごっこ遊びのような日々を送る。

 相手に食べさせることだけが愛なのかな? と私は考えるけど、学校の友達も常に誰かに愛を食べさせたいとか食べてみたいとかそういうことばかり話していて肩身が狭い。

 そもそも相手に愛を渡す意味がわからない。渡すということはそれは私の中から生まれた愛で、ということは私の愛は私のもののはずだ。私のものを無条件で相手に差し出してしまうことが愛なの?

 そんなことを考えていると周りの人と少しギクシャクしてしまう。それぞれが世界に対して信じていることがあって、そんな信仰を共有出来ていることを前提に人は関係を築いていくものだから、その前提に対して疑問を持っている私は皆の中の異物なのだ。

 信じているものが違うから、同じ気持ちになれないのは仕方ない。でも、それはそれとして少し寂しい。

 学校をたまにサボるようにする。家にも居づらいものだから通学のための自転車に制服のまま西へ東へ気ままに行ってみる。警察と会うと注意をされたり最悪両親に連絡が行くけれど、月一くらいの気まぐれなので一年もすると両親には仕方ないと諦められる。

「自己愛が強すぎるのよねえ」そんなことを親に言われる。

 諦められるのは気楽だ。答えられない期待をかけられるほど面倒なことは無いのだから。

 でも、自己愛という言葉に引っかかる。もしかすると私は他の人に向けて、差し出さなくてはいけない愛を自分で食べて、消費尽くしてしまっているということなのかな?

 そう考えると少し怖い。自分で無くさないように守っているつもりだった愛を自分で食べて消してしまっているかもしれないなんて。それに「自己愛」とまとめられてしまうくらいに私の悩みがありふれた物なのかもしれないということも怖い。私のそんな悩みも気の迷いに過ぎなくて、私の感じた引っ掛かりに私自身が気にしないようになっていくんだろうか? 私もいつか誰かに私の愛を食べさせて、愛の不在を感じながら人に「自己愛が強すぎる」と誰かに言うんだろうか?

 ぐるぐるぐるぐる、と悩みは私の中で回り続ける。私は無我夢中で自転車を漕ぐ。遠くへ進んでいけば行くほど、私はそんな悩みから遠ざかれる気がしていた。

 そうして、私は溝口君と出会う。

 海沿いを自転車で走っていて海岸から突き出した防波堤の先に制服の同じ年頃の人が立っているのを見る。不思議と危ない気がしなくて、平日の昼間から学校にもいかずそんなところにいる人に興味を持ってしまう。

「何してるんですか?」

 普段の私ならそんなことしないのに、どうしてその時は声をかけてしまったんだろう? その声をかけた人は溝口君で、私たちは浮いた者同士のシンパシーで話すようになる。

 だけど溝口君も私とは少し違っている。溝口君は愛をそもそも持たない人だとか。他の誰もが自分の中に愛を感じていて、ゆっくりとその輪郭を掴んでいくのに溝口君はその気配も感じることが出来ないと言う。

 愛がない人はもっと怖い人かと思ったけれど、溝口君は優しい。私が溝口君の話を聞くように、私の話も溝口君は聞いてくれる。他の人みたいに私の悩みは「自己愛」なんて言わないで、でも安易に結論もつけずに聞いてくれる。

「おはよう、溝口君」

「おはよう」

 私は溝口君と話すのが心地よくて、学校にどんどん行かなくなる。

 いつしか私はすっかりダメになっている。他のことがどうでも良くなってしまっていて、家を出る時に両親が大きな声で文句を言うけど聞こえないふりをする。自分と同じ考えでない人の言葉を聞く必要なんて、ない。

 でも、そんな日も長く続いてくれない。

「明日から、僕はここにくるのをやめるね」

「え」

 急に溝口君がそんなことを言う。

「何処かに引っ越すの?」

「違う」

「何処かでまた会えるの?」

「会えないと思う」

「冷たくない?」

「愛がないから」

 私は溝口君に色々と質問するけれど、溝口君は答えてくれない。

 ただ、一言「このままだとダメになっちゃうよ、僕たち」とだけ残して溝口君は消える。防波堤に何日か通ってみたけれど、溝口君は現れない。

 愛がない人はこれだから! と無理やり怒ってみるけど、それよりもずっと悲しみが勝る。私は学校に行く。内容は違うのに、私が悲しんでいることはそれまで別の世界の人だったクラスメイトも察してくれて、深くは立ち入らないのに寄り添ってくれる。

 そうして私は私の中の愛を喪失してしまっていたことに気づく。

 愛って何なんだろう、という私の疑問は消えないけれど、私は生活を立て直す。勉強の遅れは大変だけど、周りの人が以外と助けてくれる。クラスメイトの話も細かく聞いてみるとどうやら同じ話は一つもなくて、愛を食べさせるということにも色々な考えがあることを知る。

 答えはまだない。でも、そんなことを前とは違う視点で考えることが出来る日々に戻ったきっかけは溝口君で、私はそこに愛を見る。

「嘘つき」

 そう、呟く。溝口君の中にはなくても、溝口君が私がダメにならないように消えてしまって、私が溝口君を思う中間に愛はある。〈了〉

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