祭りの後
祭りの日には溝口君と会える。
「お待たせ」
カランコロン、と下駄の音をさせながら溝口君がやってくる。
溝口君の背は一年前と変わっていない。最初にこうして待ち合わせした時は同じぐらいの背丈だったのに、すっかり私の方が高くなってしまった。
「溝口君、浴衣似合ってるね」
「そう? ありがとう。そちらこそ似合ってるよ」
私は仕事帰りのスーツ姿で浴衣なんて着ていない。でも、その言葉で当時のことを思い出す。あの日、私は赤い浴衣を着ていたっけ。
「それじゃあ行こうか」
そう言って溝口君は私の手を引いていく。
辺りは暗闇で、明かり一つない道を溝口君と歩いていく。でも、私にはそこにあった出店が何であったか覚えている。もう幾度となく繰り返したから。
溝口君と最初に立ち寄ったのはたこ焼きの出店で、ちょうど売り切れたタイミングだったから新しく作ってもらうために時間がやたらかかった。五分ほど待ってもらえたたこ焼きはとても熱くて、私も溝口君も口に入れて大騒ぎしていた。
「熱い!」
溝口君がそう言ってバタバタしている。私の手元にはたこ焼きもない。
ふと、溝口君を微笑ましいと思って見ている自分に気づく。当時は同じ気持ちだったのに、今では溝口君の幼い振る舞いを他人事のように思っている自分がいる。
「あー熱かった」
「でも、美味しかったよね」
「うん、美味しかったねぇ」
そう、あの時のたこ焼きは美味しかった。あれからも人生でたこ焼きはたびたび食べたけど、あの時のたこ焼きが一番美味しかったように思う。
暗闇の中を進む。
わたあめの出店に行く。くるくると回りながら棒についていくわたあめが、まるで何も無いところから出来ていくみたいで不思議で仕方なかった。
お面の出店に行く。溝口君が買っていたお面のヒーローの役者は少し前にテレビで楽しそうに当時を語っていた。
射的の出店に行く。うまく当たらなくて泣いていた私の代わりに溝口君が見事に景品に当てて獲ってくれた。
全部、懐かしい。
そうして、金魚すくいに行く。
「金魚、取れるといいね」溝口君が私に優しい声で言う。
「そうだね。取りたいね」
私は言う。取れなかったのに。
あの時、金魚を何度も取ろうとしたけど取れなくて、代わりに取ろうとした溝口君も取れなくて、私が癇癪を起こして先に帰ってしまった。
そうして、溝口君は帰り道で事故に遭う。
どうして夏は、死者が帰ってくるのだろう。私にはその理由はわからないけれど、その翌年のお祭りで私は溝口君と再会出来るようになる。
初めは恐怖なんて感じないほど嬉しくて、そのうち段々と悲しくなって。私の時間はどんどん進んでいくのに溝口君は変わらずにお祭りの日を毎年繰り返す。
終わりはいつも金魚すくい。来年は取ろうという溝口君の言葉。
でも、時間は待ってくれない。私の人生もどんどん変わっていくし、お祭りもいつしか人が減って、今年は中止になってしまった。
もう、ここでお祭りをやることもないかもしれない。今年は「もしかしたら」と思っていたけど溝口君は来た。
「あのね、溝口君」
「うん、なあに?」
私は気づく。というよりも、気づかないようにしていたことを見つめる。
溝口君をこうして縛り付けているのは私で、私が溝口君と会いたくてこうしてこの祭りに溝口君を取り残してしまっている。
そして、もう祭りは無くなったのに私はこうして繰り返している。
もういい、もうやめよう。私は結局、溝口君が死んでしまってから何も築けなくてこうして溝口君を縛って、縋り付いている。仕事も、人生も、何もうまく出来ないのにこうして終わらない祭りの中に閉じ込めている。
だから、終わらせる、
「お祭りはもう、終わったの。もう、やらないんだって」
私は言う。それまで過去をなぞるだけだったやりとりではない言葉を。
「知ってるよ」
溝口君が、予想もしないことを言う。
「きて」
そう言って溝口君がまた私の手を引く。その先には、無いはずの金魚すくいの出店がある。
「今度はできるよ」
溝口君が私の前で金魚すくいを始めて、手慣れた様子で金魚をすくう。袋に入れて、私に金魚を渡す。
「もうずっと続けてたからね」
溝口君の顔はあの日にはなかった、大人びた笑顔だ。
「祭りは終わるけど、きっと何か楽しいことは残っているよ」
その言葉と共に、溝口君が消える。私が声を出す間もなくて、辺りには出店もない真っ暗闇になる。
そうだというのに、帰り道だけ不思議と蛍が飛んでいる。迷うこともなさそうだ。
私の手には、金魚が袋に入っている。夢でも幻でもない、生きた金魚。
帰ろう。帰らなきゃ。
少なくとも、この金魚をこのまま袋に閉じ込めているわけにはいかないはずだ。誰にでも何にでも、生きてる限り生きる場所がある。
生きてる限りは、生きなくちゃ。〈了〉
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