「ごちそうさま」と君が言う。

 ある日、私と溝口君しかいなくなる。長い線路を溝口君と歩いて進んでもう数日になるけれど人が出てくることもなければ電車がやってくる気配もない。

 世界に二人ぼっちみたいだ。

 でも、人がいなくてもお腹は空く。私と溝口君は食料を探して色々な建物を練り歩く。

 だけど、どうやら人だけではなくて私たち以外の生き物が消えてしまったみたいで肉や魚が全然見つからない。乾パンを見つけて齧ってしばらくやり過ごすけど数ヶ月もしたら無くなってしまう。栄養も偏っている。

「どうしよう溝口君、そろそろ食べるものが無くなってきたよ」

「どうしようかな」

 このままではいよいよお互いを食べるか死ぬしかない。そう思っていると溝口君が思いも寄らないものを食べ始める。

 溝口君が食べ始めたもの、それは空だ。

 溝口君が手を伸ばして空を掴んで食べていく。空は狭くなっていくけれど、空はどこまでも広がっているからちょっとやそっとじゃ無くならない。私も溝口君を習って空を食べる。白い雲がいいアクセントになって意外と飽きが来ない。

 人間追い込まれるとこういう予想外のところに道を作るのか、と感心する。

 それから私たちはお互いを食べるなんてことをしないで色々なものを食べ始める。

 広大な海を食べていく。塩辛いのかと思ったけど思ったよりもずっとマイルドな味で、食べ続けていくと私が食べていた海よりもずっと綺麗な海が近づいてきて味わいが変わる。面白い。

 海のついでに水平線を食べる。この世界から天地が消えてしまう。もしも私と溝口君の人がいたら大パニックだっただろうけど、私たちは自分たちを置き去りにしてしまった世界が壊れていくのが面白くて二人で笑う。

 私たちのやっていることはもしかしたら凄く愚かで、どうしようもないことかもしれないけれど、そんなことをこうして分かち合える時間が心地よい。

 空を食べ尽くしてもう上を見ても青空は存在していないし、海を食べ尽くしてこの地上に水は無くなってしまったし、水平線も食べてしまったから私たちは空間を漂っている。

 それでもお腹は空いてくるからやっぱり私たちは食べてしまう。

 歴史を食べる。私たち以外の存在がいたという記録はもうこの世界の何処にも無い。

 宇宙を食べる。この世界が無限に広がるものではなくなってしまう。

 世界の果てを食べる。私たちの向こう側には何も無い。

 私と溝口君は好き勝手食べていく。世界からは何もかもが消えていく。

 永遠も食べてしまう。そうするとこの繰り返しにも終わりが確実にやってくる。

 そうして、私と溝口君が残る。

「どうしよう、そろそろ食べるものも無くなってきたよ」

 私はいつか言ったようなことを言う。その後に溝口君が空を食べ出したんだっけ。

「そうだね」

 そう言いながら溝口君が齧っているのは感情で、怒りとか焦りとか悲しみはもうほとんど形を残していない。

 そんな溝口君を黙って待っているのも落ち着かないので私も感情を食べていく。不安とか、寂しさとか、友情だとか、愛情だとか、色々な感情を食べていく。

 私の中から色々な大切なものが消えていく気がするけれど、同時に何かが軽くなっていく気がしていく。

 このまま全部を食べ尽くしたら私たちはいよいよお互いを食べようとするのだろう。

 でも、ずいぶん頑張ったなぁ、と思いながら私も溝口君も静かに食べ進めていく。何せ食べられないものを食べてでも、互いを食べないように粘ったのだ。

 お互いを食べることを拒んだ結果がこの虚無なら、それも悪くない。

 だからせめて最後くらいは急いで食べる。

 こんな何も無いところに溝口君を一人で残すのは、忍びない。大丈夫、そろそろ何も感じなくなるはずだから。〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る