約240ページの永遠

 赤い糸が見えるようになって相当な時間が経つ。

 運命の人が可視化されたので世界は一変したという。人々に赤い糸が見えるようになると皆が人生の指針を立てやすくなるらしかった。赤い糸が自分の住んでいる場所と遠く離れているのなら進学や就職を機に赤い糸の先を目指して移動する。幼少期には行けなかった場所にも大人になればいけるようになるから、皆はそれを意識して進学先や就職先を決める。

 赤い糸が見えるようになって、劇的にでは無かったけれど結婚する人も増えたそうだし、少子化は以前よりは減少傾向だとか。

 まぁ、そんな私には赤い糸が無いのだけど。

 生まれた時から私には赤い糸が無いもので、母親、お医者さん、看護師さんあたりは出産の時軽いパニックだったらしい。

「ごめんね」

 そうお母さんとお父さんに言われるけど何を謝られているのか小さい頃の私にはわからなかったし、本当のところ今の私もわかっていない。幼稚園、小学校、中学校、塾、人生を過ごす中で出会う様々な人たちは全員赤い糸がついていて私を見ると「残念だけど気にしすぎないでね」みたいなことを言う。

 私は正直全然ピンとこない。どうやら赤い糸がないことを気の毒と思われていて、それに対しての優しさのようなコメントであることは私もわかるけど、そもそも私は生まれた時から赤い糸がついていないわけで元から無いものの不在を悲しもうにも悲しめない。というか赤い糸とは関係なしに私には入りたい部活があったし、興味のある進学先とか理想の仕事とかがあって、高校生である今の私はそれに夢中だ。

 そういうわけで色々やる。部活には入るし、色々なオープンキャンパスに行ってみる。職業見学にも行く。そんな場所でもちょっとした隙間に赤い糸の話になる。うんざりする。

 赤い糸赤い糸赤い糸! 運命運命運命! そんな言葉の繰り返し。私が今気にしているのはそこじゃないし、私が話したいことはそこじゃない。

 それで私は何となく居心地が悪くなって色々な部活に入っては辞めるを繰り返して最終的に高校の文芸部に行き着く。ほとんど廃部寸前と聞いていて、もう一人で適当に読書でもしよう、同じこと繰り返しになったら帰宅部になろうと思って部室を訪れる。

 そうして私は溝口君と出会う。私と同じ、赤い糸を持たない人だ。

「こんにちは。本が好きなの?」

「こんにちは。正直なところ、それほどでもないかな。他に行く場所がなくてこの部活に来たって感じ」

「うん。それは僕もそんな感じ。でも、それでも読書は形だけでも楽しいからいいもんだよ」

 実際そうで、「まぁ一応部活だしな」と本を読むとつまらなかったりわからない本もたくさんあるけど、自分でもすぐに言葉に出来ないような面白さと出会うこともあってこれが中々楽しくなる。急に何でも無いような描写で心が掴まれる感じがして、鈍感だと思っていた自分の過敏な面すら感じるようになる。形だけでも読書は何かを与えてくれるらしい。

 読んだ本について溝口君と話す。これも楽しい。それまで赤い糸がいちいち私の話しの腰を折っていたけど、溝口君にも赤い糸はないので話の邪魔にならない。何かについて心ゆくままに話し続けられることがこんなに楽しいなんて思いもしなかった。

 だけど、私と溝口君がそうして二人で部室で読書をしたり読んだ本について話をしたりしていると色々な人が私に口出しをしてくるようになる。

「付き合うのは絶対続かないからやめたほうがいいよ」「赤い糸がない人との恋は悲しい終わりになるらしいよ」「溝口も赤い糸なくて必死なんだろうから気をつけなよ」

 最後の言葉で私は言った相手を思いっきり引っ叩いてしまう。赤い糸があれば何を言ってもいいわけじゃないだろう。

 そうは思うけど私は先生に思いっきり叱られる。

「長く繋がれるもんじゃないんだから俺も止めておいた方がいいと思うけどな」と最後に先生に言われてまた怒りそうになるけど、何とか踏みとどまる。

 校門では溝口君が待っていてくれて何も聞かない代わりに「これ、面白かったよ」と言って文庫本を私に渡す。

 長くは続かない、というけど少なくとも私は赤い糸に拘った関わり方を溝口君としていないのにそれでも関係があるんだろうか。溝口君も同じようなことを言われているかもしれないけど、どう思っているんだろう。もしかしたら、溝口君は溝口君で赤い糸について思うところがあるんだろうか?

 でも、それは考えない。今の私にとってどうでもいい。

 もし溝口君がそのことについて何かあれば私も私なりに意見を出すけど、聞かれてもいない。

 赤い糸がどうとか、長く続くかとかじゃなくてこうして帰る間くらいは溝口君と話していたい。

 私たちが変わり者なのは知っているけど、別に絆のあり方が永遠に続くものだけじゃないはずだ。

 せめて、この手の中の文庫本を読み終わるぐらいまで。そのぐらいの時間で構わない。〈了〉

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