川沿い散策日和

 学校で浮いている。

 原因は自覚していてクラスの人と何人かで会話していて、そこにある空気というか共通見解? のようなものがある時に乗れない。例えば「つまらないな」と思った映画について「マジ泣いたよ〜」と皆が話していても「いや、私はつまんかった」と言ってしまって空気を凍らせる。反省しなくては……と毎回思うけど本当のところ心の底から反省はしていなくて、自分の中で「つまらなかったな」という感情を無かったことにしてまで人と仲良くしたくない、という優先順位があって私は結局そっちを優先してしまっているのだ。

 だから変な人として浮く。

 でも、クラスの皆も本当のところは大なり小なり折り合いをつけて日常をやっているはずなのだ。私はそこまで考えることは出来るのに、譲れない。皆はどうやってそこを譲っているんだろう?

 そんなことを考えながら学校帰りに河川敷を歩く。学校から私の家までは河川敷に沿ってしばらく歩いて住宅街に入ったところにあるので帰り道にちょうど良い。クラスメイトは変わらずに「一緒に帰ろうよ〜」と誘ってくれるけど、また空気を壊してしまいそうだから適当に言い訳して一人で帰る。嘘をつきたくなくて空気を壊しているのに、こういう時は平気で嘘をついている。

「かっ〜ってかって、勝手で〜す〜よ〜」

 歌いながら歩いていく。

 自己嫌悪とか、でも「私の意見」を求めてないならそもそも私に話しかけなければいいじゃん、とか、でもそういう小さな積み重ねをした先にきっと「私の意見」を本当の意味で求めてくれる会話があるのかもなぁ、とかうじうじ考えて憂鬱になるから歌で発散する。

「勝手〜おお勝手〜〜〜って何あれ」

 私が河川敷を曲がる直前の辺りに、川の水に半分触れた状態でやたらと大きな岩がある。私の体よりちょっと大きいくらいの高さがあって、なかなか見られるサイズじゃない。こういうのって山奥とかにあるもんじゃないのか?

 思わず近寄ってまじまじと見ると結構面白い。中々ない巨大な岩というだけでちょっとした岩の掘り込み何かにも自然の不思議さや壮大さを感じられるようで思わず数分間じっと岩を眺めてしまう。

「なんか、これ、顔みたいだねえ」

 延々と見ると岩もゲシュタルト崩壊するのか岩が少し突き出た箇所が鼻に見えて、一部分が鼻に見えるとあっという間に顔に見える。

「こんなところに一つだけ大きい岩があっても友達いないでしょ。君」

 私はそんな岩に勝手にシンパシーを持つ。学校で浮いていて居場所がないとこういう妄想が加速する。

 早速私は家に帰って辞書をめくる。どうやら中国では「川」は溝を意味するのだとか。私の家から学校に行く時は入り口の曲がり角、帰り道では出口の曲がり角、ということで私は岩の顔の名前を『溝口君』と命名する。

「おはよう溝口君」「ただいま溝口君」「ちょっと聞いてよ溝口君」「相変わらずクラスに溶け込めないんだけど!」

 好き勝手言う。私が好きに話しても困った顔一つしないのが岩の溝口君のいいところだ。ありがたい……

 私は天気に関係なく河川敷を歩くし、溝口君に挨拶と雑談を少ししていく。でも、その日はちょっと違う。

「おはよう溝口君」

 雨がしとしとと降っている中で傘を差しながら私は溝口君に挨拶する。今日はこのまま学校に向かおうかと思っていると変な声がする。

「おはよう」

「え」

「いや、おはようって君に言われたから」

 岩が、いや溝口君が話しかけてきた! 私はびっくりするやら嬉しいやらちょっと怖いやらというか今まで話しかけてた話全部この岩の溝口君は聞いていたのか! となって恥ずかしいやら。

「別に話すつもりはなかったけど一つだけ。絶対にこれから数日ここにきちゃいけない。川沿いを歩いてもいけない。絶対にだめだ」

 急な出来事に返事も出来ない。出所不明の巨大な岩が話しかけてきて急な予言のようなことをされるこのシチュエーション自体が恐怖体験のような感じがしておっかなびっくり学校に向けて一目散に走って逃げてしまう。

 そうして、その日は記録的な豪雨になる。

 あまりにも突然の気候の変化で誰も予想していなかった事態になる。川は濁流になって近くの家すら巻き込んでいく。幸いなことに私も家族も非難したけれど、私の内心はそれどころじゃない。溝口君が濁流に飲まれている。何も返事も出来ていないのに。

 それでも近づかないし近づけない。家族には川に行こうとすると止められるし、冷静になると溝口君の言葉を思い出すから。

 しばらくしてようやく落ち着く。川の様子は一変していて、以前場所にあの岩はない。溝口君はいない。

 私は川沿いをそれからも歩く。学校の行き帰りだけじゃなくて休みの日は川沿いに何処までも歩く。

 会いたい。もう一度。

 そう思ってから不思議なことに学校で小さなことに拘らないようになる。そんなことよりも溝口君を探すことに集中したい! と思うと力が抜けたのか人と気楽に話せるようになる。そうすると何故か「変な趣味してるな〜」とか言いながら川沿いを一緒に散策してくれる友達まで出来る。

 とはいえ周りからは変と言われる。

 でもいい。

 変ではあるけど、誰でも一つぐらいは人間変なところがあって、その一つが私はきっとこれなのだ。

 だからこれくらいは許して欲しい。他の部分はそんなに変じゃないように頑張るから。 

 今日も川沿いを歩いて探す。地面を踏みしめて、一歩ずつしっかり歩く。〈了〉

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