孤独と痛み

 痛みは感覚の話なんかじゃない。どこにだってそれはある。

 溝口君は巨大化する。メキメキメキメキ、と音がして慌てて巨大化が完了する前に学校の外に出る。

 そして、溝口君は怪獣と向き合うことになる。世界には、痛みがあって消えてはくれない。

 痛みは常に溢れていて、誰かに与えられたそれはすぐに他の人へ飛んでいく。この世界の痛みが集まった存在が怪獣で、誰かの痛みが連鎖して更に大きな痛みとなって怪獣の形となって現れる。

 溝口君は怪獣と戦わなくてはいけない。ただ一人、戦えるのが溝口君だけだから。

 溝口君は痛みを感じない。殴られても、刺されても、踏みつけられても痛みを感じない。そして、ありとあらゆる暴力は結局のところ溝口君を傷つけたりしない。

「おーい、いつもみたいにやっつけちゃってくれ」「頼んだぞ溝口!」「溝口先輩、頑張ってー!」

 避難をしながらそんな声援が溝口君に飛んでいく。

 図鑑でみたティラノサウルスのような怪獣が熱戦を吐いて溝口君を焼くけれど、溝口君は涼しい顔をしている。熱戦が体を焼くこともない。

 溝口君は傷つかない。怪獣がどんな攻撃を仕掛けようと、例え重力を反転させようと、巨大なミキサーで切り裂こうと、かまいたちを発生させて包み込もうと決して、傷つかない。戦いは必ず、溝口君の勝利に終わる。

「はいはい、そこ走らない〜ノロノロしててもいけないけど、走っちゃダメだぞ〜。お、は、し、も、ですよ〜」

 初めは怯えながら、震えながらしていたはずの避難行動も手慣れたものになっている。最初は声を振り絞って皆に指示をしていた先生が、メガホンで緊張感のない声で私たちに避難指示をする。

 私は遠ざかる避難用のバスに乗り込んで、戦いの光景を見る。

 溝口君は強い。派手な技も、怪獣のような特殊な光線等も使わないでただ怪獣の核を一撃で貫く。まるで頭を撫でるように穏やかに、溝口君が手刀を怪獣に向けて振り下ろす。

 なめらかに怪獣が二つに裂けて核が破壊された煌めきがあたり一面に広がる。

 そうして、戦いは終わる。

「あー終わった終わった」「先生、授業はもう終わりでいいー?」「ダメに決まっているだろう」「溝口ー、お疲れさん」

 最初は歓声だったはずなのに溝口君への声は適当だ。でもそれも仕方ない。結果もわかっている試合が何度も続いて、日常となったことに想いを馳せる人はほとんどいない。

 でも、溝口君はその戦いの一つ一つに苦悩する。

「今日も攻撃されちゃったんだ」

「あっという間だったよ。本当に無駄がなかった」

「でもダメなんだよ。受けちゃ」

 溝口君への攻撃は世界のどこかへ飛んでいく。溝口君は痛くない。傷つかない。でも、世界の何処かで怪獣の攻撃は誰かの痛みになっていく。そしてその痛みは何処かへと集まって怪獣に姿を変える。

 繰り返されるシステムはとても良く出来ている。戦っても痛みは消えないけれど、放置すると無限に怪獣は暴れるから戦うしかない。最初は溝口君を責める声もあったけど、怪獣を放っていたら被害が拡大するだけだから溝口君が戦うのは最善策だという話になった。

 そうして、誰もその繰り返しを止めることを考えなくなる。

 溝口君は怪獣と戦う。巨大化して、自分自身を武器にして。

「僕には、わかる。誰が傷つくのか、世界の何処に痛みが飛んでしまったのか。どうやって人が傷ついて、どうやって痛みを感じることになるのか。攻撃を受ける前から」

 溝口君は教室でいつものように授業を受けて、いつものようにお昼を食べて、放課後の他に人がいない教室でそうして泣いている。

 少し前までは、私たちと何も変わらなかったはずなのに。

「最善だったよ。あっという間だったよ。学校のみんなは全員無事だったよ。ちゃんと溝口君はやったんだよ。今日もやり抜いたんだよ」

 溝口君にその言葉は何の救いにならないとわかっていながら、私はそんな空虚な言葉を紡ぐ。

「痛みの向こう側で小さい男の子が傷ついていた。まだ小さいのに。何も悪いことなんてしていないのに」

 そんな声が教室に染み込んでいくのに、きっと明日この教室にやってくるクラスメイトたちも先生も、その声を聞き漏らしてしまう。

 多分、忘れ物をして偶然ここで溝口君とあの日ここで会わなかれば私もそうだったはずなのだ。

「大丈夫、痛くても、辛くても、皆ちゃんと生きていけるから。きっと何とかやっていけるから」

 そんな何処にも行かないような慰めを言いながら、私は目の前の溝口君の痛みを思って涙を流す。

 この涙も、何かの痛みとして怪獣になってしまうのなら、私は涙を止めないといけない。

 感覚の話なんかじゃない。ここに確かにそれはある。〈了〉

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