プロット通りにならなくて

 家具を買おうと出かける時に「一人で大丈夫?」と溝口君に聞かれる。

「大丈夫だよ。大したことじゃないんだから」と言ったけれど今考えると全然大丈夫じゃない。ついてきてもらうべきだった。そうしていたら溝口君は今もちゃんと生きているべきだったのだから。

 紫色の霧が街を覆う。住むはずだった家が霧に包まれて消えていく。電車がどんどん遠ざかっていくので私はそれを満足に見続けることもできなかった。

 霧が晴れたのはそれからずいぶん経ってしまってからで、その時にはもう溝口君は冷たくなっていた。

 いっそ私も霧に包まれて消えてしまいたいと思うけど、その時にはもう全てが解決してしまっている。

 思い通りにならないことばかりだ。ありえないこと、どうしようもないことが起きていく。

 それだから私もその分だけありえないことを起こそうとして溝口君の細胞からクローンを作ろうなんてことを考えてしまうし、科学の進歩は私個人でもそれを実現に移せるだけの技術をくれた。

 私は溝口君のことはおよそ何でも知っていて、どんな人生を歩んできたかも知っている。だからきっと、溝口君を取り戻せると信じてしまう。誰でもそんなこと無理だってわかるというのに。

「あれは何?」

「あれは星だね」

「あれは?」

「あれは月だよ」

 貴方は私に何でも聞いてきて、私はそれに答えていく。

 そんな生活を初めて私はすぐに自分の間違いに気づくけど、それでも時間は止まってくれないし、後悔する暇もなく時間は過ぎていく。

 貴方は本をよく読んで人の話をしっかりと聞く。私の小さい頃はそんなふうに人の話をろくに聞いていなかったから、びっくりしてしまう。ただ、私の話をふんふんと聞いて頷く仕草に私は溝口君の面影を見てしまう。

 私は溝口君の人生をなぞるように貴方に人生のイベントを与えるけれど、貴方は私の思った通りには動いたりしない。それはそうだ。貴方は貴方でしかないのだから。

 貴方は私の質問に考えてもいなかった答えを返すし、私が水族館では見ようと思っていたペンギンショーよりもクラゲを見て楽しそうに笑っている。

 貴方はすくすくと育っていくし、私はそんな時の流れをいつしか楽しむようになっている。

 一年、二年と時間が過ぎてあっという間に十年以上の時が経つ。

 その時にはもう溝口君の歩んだ人生と貴方の人生はすっかり違うものになっている。当たり前だ。作ったからといって思い通りに出来ることではないのだ。

 ただ、それでもその歩みを見れたというのはそんなに悪いことじゃない。

 貴方にはいつしか家に帰る日が少なくなって、私は家に貴方がいない生活に段々と慣れていく。

 共に過ごしていた生活が分かれてそれぞれの生活が出来ていく。

 だから、貴方が「家を出ていく」と言った時に私はそれをただ受け入れた。別に悲しむことではない。ただそこで過ごす時間が終わったというだけだ。

 貴方が家を出る時に私は玄関で貴方が靴を履くのを見ている。

 解けた靴紐を結ぶのに少しの時間がかかって、私はふと声をかける。

「一人で大丈夫?」

 あの時の溝口君の言葉が自分の口からこぼれ落ちる。

「大丈夫だよ。大したことじゃないんだから」

 貴方があの日の私のように答える。

 私はただ、貴方を見送っていく。それは決して悲しい心地ではなくて、私は扉の向こうに歩いていく貴方を見つめてる。

「それじゃあまた」

「また」

 パタン、と扉が閉まる。

 そうして私は溝口君と暮らすはずだった家にまた一人残る。

 まだ少し心細さがあるけれど、きっと大丈夫だろう。

 とても大変なことも辛いこともいくつも思い浮かべられるけど、予想通り、想像通りにいくことなんて良くも悪くもないのだから。

 そう、きっと大したことじゃない。〈了〉

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