信じる規制中

 信じる心に寄生する虫が現れる。

 ゆっくりと心に穴を開けて、その人を少しずつだめにする。

 信じる心を経由して人から人を渡っていく。

 人々はパニックになるけれど、その寄生虫を信じることすら食い物にされていくので私たちは考えないことを余儀無くされる。

 信じてはいけない。考えてはいけない。意識してはいけない。

 私たちは寄生虫を意識しないようにして、何も信じないようにして、ゆっくりと誰もが距離を取っていく。世界はめちゃくちゃになってしまったけれど、人間が最低限の日々の営みを続けることは不思議と出来ている。もしかすると誰も世界のことなんて最初から信じていなかったのかもしれないし、私がこぼれ落ちる誰かを見てみないふりをしているだけなのかもしれない。

 色々な言葉が世界には流れているけれど誰も彼も信じない。

 信じないことは実際にやってみるととても簡単だ。何もかも疑って過ごせばそれでいい。

 学校へ行く。クラスメイトと挨拶を交わす。授業を受ける。教えられたこと、教科書に書いてあることを覚えていく。テストを受ける。

 全部、何も信じないで出来ることばかりだ。というよりも、そもそも私は何かを信じて生きていたんだろうか?

 クラスメイトと交わす会話も疑おうと思えば簡単に疑うことが出来る。「かわいい」も「すごい」も「好き」も「嫌い」も全部人の言葉には嘘があって、そこに目を向ければ疑うことなんてすぐに出来る。誰にだって出来るし、誰でもやっている。ただそれをずっと続けていくだけだ。

 それでもそれを出来ない人がいる。簡単なのに、信じたい心に負けてしまう。

 虫に寄生された人はゆっくりと、幸福そうに果てていく。

 信じることが出来た幸福に浸って。寄生虫に、夢を見せられて。

 心に寄生された人々は夢を見るのだという。本当はそんなことなんてないのに、確かで揺るがない世界を夢見て眠っている。

「溝口君、朝だよ」

 もうとっくに夕方だというのに私はそうして嘘を言う。

 病室のベッドには溝口君が眠っていて、目覚めることはない。もう、随分と長い時間こうして眠っている。

 きっと今も溝口君の心の中に虫がいる。

「相変わらず起きないね」

 溝口君は私の声に応えない。一体、何をそんなに信じてしまったのだろう。

 待ち合わせをしていて、電車のトラブルで私が遅れて着いた時には溝口君は眠ってしまっていた。私を信じていたんだろうか。

 信じない、信じない、信じない。

 溝口君が私がちゃんと約束通り来ると信じていたことも。

 溝口君が私のせいでこうして眠り続けていることも。

 溝口君がこのまま目覚めないことも。

 私は何も信じないと思ってベッドの傍に座っている。このまま何も世界が変わらないことも、ゆっくりと私たちがだめになってしまうことも何も信じないようにする。

 それぐらいしか、今の私には出来なさそうだから。

 でも、そう思った瞬間に辺りが真っ暗になる。

 気がつくと私は溝口君の待つ場所へ必死で走っている。改札にICカードを急いでタッチして、転んでしまいそうな勢いで足を動かしていく。

 ああ、だめだ。

 走りながら、自分の中に沸き起こる幸福な気持ちの中に虫がいるのを私は気づいている。

 何もかも疑うと決めていたのに溝口君の存在を信じてしまった。疑うことだけがこの世界で自分を保つということだと何度も自分に言い聞かせて、それすらも疑っていたのに溝口君のことを疑えなかった。

 そんな人、最初からいないのに。それも虫の張り巡らせた罠だったのに。

 人々の間をすり抜けてかけていく。胸の奥が疼いていく。虫がいる。

 じゅくじゅくと私の心が溶かされていくけど、私はまぁ仕方がないかと思う。

 これが虫のせいなのか、それとも私自身の心なのかはもうわからないけれど不思議と恐怖も悲しみもない。何かを信じることは、何かを疑うことだから。きっと、疑い続けたこと自体が間違っていたのだ。

 それでも、何かを信じてしまったのなら。私が信じてしまったのが溝口君のことだったなら。

 こんな状況だと言うのに溝口君を信じた私の心が嘘でなかったことが今は少しだけ、嬉しい。

 あと少し、待ってて。〈了〉

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