not invisible.

 小学生の頃、私の家には『何か』がたびたび出た。たくさん現れた。

 その『何か』についてうまく説明することが出来ない。一体で出てくる時もあれば複数で出てくる時もあるし、人間のような姿をしている時もあればこの世の動物などとは全く異なった姿をしている時もあり、言葉でそれを捉えようとすると想像を超えた形となって私の恐怖心は余計に刺激される。

 元々、先祖代々伝わる家とのことで両親も私の家のルーツを詳細には知らないらしい。ただ、とても昔からこの土地に住んでいて増築したり改装したりしながらこの場所に住んでいるのだという。

 お母さんもお父さんも私が話してもまともに聞いてくれない。私の言っていることを嘘と思っているわけでもない。ただただ「ああ、アレか」と流してまともに取り合ってくれないのだ。

「なんで『何か』について何とも思わないでいられるのか」といった内容の質問をしたことがある。

「お父さんも私もそれはもう見えないから」

 と母さんが言う。

「お前もそのうち見えなくなるよ」

 と父さんが言う。

 二人とも「見ないようにする」ことで見えなくなったという。それでも私は怖いものは怖いし、その恐怖を強く持っている限り『何か』が見えなくなることはない。

 家でばかり見るので小学校からの帰りは寄り道ばかりする。ぶらぶらと家の周りを散歩したり、公園で暇を潰したり。これ以上帰る時間が遅れると両親に叱られるギリギリまで家に帰らない。

 昔は両親も見えていたくせに、気にしていたくせに、すっかりその恐怖も存在も忘れている。

 私が門限ぎりぎりに帰ると「さっさと見るのをやめればいいのに」とすら言う。

「そこにいるのに、じゃあ止めたで見えなくなるなら困ってないのにね」

「そうだね」

 溝口君だけが私の愚痴を聞いてくれる。私と溝口君は気がついた時から一緒にいて、私は自分の思うことを何でも話す。

 学校のこと、勉強のこと、楽しいこと、つまらないこと、好きなこと、嫌いなこと。色々なことを溝口君に話して溝口君の意見を聞いてみる。

「でも、見えなくなったら楽だと思わない?」

 溝口君が私にそう話す。

「どうだろう。私、怖いのは本当だけどお父さんとお母さんの言ってること、あんまり納得出来ない」

「どうして?」

 わからない。『何か』の恐怖について説明するのと同じくらいその理由はうまく私には言葉に出来ない。ただ、「見ないようにすればいい」という言葉には私はしっくりきていない。

「納得いかなくても、それで楽になるかもしれないよ。ただ、見ないようにする。何も考えずに、お父さんとお母さんやおじいちゃんやおばあさんがやったように。家族が出来たんだからさ」

 溝口君はたまにそうやって私に『何か』を見ないことを勧めてくる。

「嫌だ」

 私はもうムキになっているのかもしれない。それでも、『何か』から目を背けて無いものにするのは違う気がした。

 夜になる。

 やっぱり私は『何か』が怖くて泣いてしまう。それはトイレの目の前も、暗くなった台所にも、お風呂の脱衣所にもいる。泣いている私の隣で、溝口君は悲しそうに立っている。

「ほら、もう見ない方がいいよ」

 溝口君が言う。

「絶対いや」

 私は認めない。

「いやだ」

「お前誰と喋ってるんだよ」

 お父さんがそう私に言ってくる。

 今でも『何か』は私の住む場所に確かに存在していて、私が怯え、恐れ、心苦しくなるような何かを突きつけてくる。そしてそれは見なければいい、と家族に繰り返し言われる。

 泣きながら、私は溝口君を見つめる。溝口君は何も言わずに佇んでいる。

 うまく説明なんてできない。どうして嫌かもわからない。

 それでも、私が見たいものは、きっと『何か』を透明にしては見えないものなのだ。〈了〉

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