交換シンドローム
最近、溝口君の体を借りている。
ふと気がつくと私は溝口君の背後霊になっている。
「私、溝口君に何か恨みでもあったのかな?」
「無かったと思う。今はわからないけど」
溝口君はそういつもの調子で言う。取り憑いたことは恨みではないと信じる割に今の私がどう思っているかを勝手に決めないのは溝口君らしいな、なんて思う。
特に心当たりがないので成仏しようがないので、私はどうにも退屈してくる。
「変わってみる?」
暇そうな私を見て溝口君がそんな提案をしてくる。
「え、いいの? それって不味くない?」
「どうして」
「いや、取り憑いている霊に体預けるのってこう、乗っ取られるかもとか……」
体を借りるのは私だというのに、溝口君が私に体を貸すリスクについて説明する。もしかしたら私はかなりの悪霊で体を貸した瞬間に豹変して体を返さなくなるかもしれない。体の外に溝口君の魂が抜けた瞬間、私が私ではない存在に豹変するかもしれない。自らの内に入り込ませることを許可するというのは吸血鬼に家に入って良いと許可するようなものかもしれないのだ!
でも、溝口君はどうでもよさそうだ。別にそうであったとしてもいい、みたいな様子ですらある。むしろそれがちょっと怖いくらいだ。
ただ、そこまで信用を向けてくれるなら、と私もお言葉に甘えて体を借りることにする。
溝口君となって生活を送ってみると意外なことに誰も気が付かない。溝口君にも私にも失礼な! と思うけれどよく考えると一日中溝口君に取り憑いているので日常の情報は知っているし、溝口君と気が合うから一緒に過ごしても破綻していないので物事に対する価値観が近いのだろう。だから入れ替わっても誰も気が付かない。
これが中々過ごしやすい。肉体がある状態というのが何でもかんでも霊体の上位互換ではないなと思うけど、見ているだけだった食事の時間を楽しんだり、いつも聞いているだけだった会話に自分が参加出来るというのは刺激的な時間だった。
溝口君はそれに不平不満を言わない。むしろ「楽しいなら明日も使っていいよ」なんてテンションだ。
私は「申し訳ないなぁ」と思うけど水は低きに流れるもので、あっという間に溝口君の体を借りる時間が伸びていく。
最初は三十分、一時間、二時間、四時間、学校にいる間、家にいない時間、とどんどん増えていく。
「いや、流石にまずいと思うよ溝口君」
「別にいいよ」
よくない。それでむしろ私が体を返そうとしてようやく元に戻る、なんて日も増えてくる。
だけど、そんな日々も長く続かない。体にも根源的な所有権というものがあるようで、溝口君の肉体にあまりにも私が長く入って使っているから、ある日所有権が私にカチッと切り替わってしまう。感覚的に「あ、私の体になってしまった!」というのがわかる。それまでの借り物として操縦をしていた感覚の溝口君の体が、私自身になる。
それじゃあ体を取られた溝口君は? そう疑問に思う前に私の脳内にフラッシュバックが起こる。私の魂が覚えていなかった体の記憶。溝口君に体を貸す私の記憶。
私が借りていた溝口君の体は、元を辿ると私のもので、私が溝口君に体を貸していたから所有権が溝口君に移ってしまった体だったのだ! むしろどうしてそれに気が付かなかったのだろう? 鏡に映る私の肉体は私そのものじゃないか。
体に根ざした記憶を失ってしまった溝口君は何も覚えていないと言っていて、私の背後霊と過ごすようになる。
私は自分の人生を過ごすようになるけれど、魂のフィット感とは別に日常の中に違和感を覚えるようになっていく。
親しげに話す友人も、思い出話に花を咲かせる家族も、私ではなく溝口君との思い出を語っている。私は自分の人生を歩いているようで、もしかすると溝口君の人生を歩いているのかもしれない。
そもそも、何を持って今の私が正しく私の体にいると決められるんだろう。
「ねえ、溝口君」
溝口君は私とお喋りをしたり、私の後ろで生活を眺めて暇を潰している。最近はどうにも退屈そうだ。
「変わってみる?」
私はそんな提案を溝口君にしてみることにする。〈了〉
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