めちゃめちゃ死語めちゃめちゃ遺憾
めちゃめちゃが死語になったと話題になる。割と時代に流されない、というよりついていけない私はめちゃめちゃ遺憾だ。
「え、めちゃめちゃとか私めちゃめちゃ使うけど」こんな具合に。
でも実際のところ「めちゃめちゃ」は完全に死語になってしまう。様々なメディアで【めちゃめちゃ、死語に】なんて取り上げられて連日ニュースで話題になる。
私は必死に「めっちゃめちゃさ〜」とか使ってみるけど周囲の人間は冷ややかな視線だ。
「いやそれかなり古いよ」
「え、でもこの前みんな使ってたじゃん」
「この前ってのはもう今じゃないの。昔なの」
「嘘!」
私は妙に孤立感を感じる。誰に話しても「死語だよ、それ」と言われる。溝口君以外は。
「まぁ僕も割と使ってるよ。めちゃめちゃ。めちゃめちゃ使ってるわけじゃないけど」
「おお、流石溝口君。話がわかる。いや、めちゃめちゃわかる」
私は日頃から溝口君と話していて本当によかったと思う。忘れ去られてしまう古き良きを忘れない人が何事も必要なのだ。若干意固地になっている気がするけれど。
でも、死語になったのは「めちゃめちゃ」だけではなかった。「というか」も死語、「なるほどですね〜」も死語、どんどん色々な言葉が死語になって流行死語ランキングみたいなものがテレビで特集されるようになって空前絶後の死後ブームとなってしまう。なんと「お疲れ様〜」まで死語になってしまうのだから信じられない。
会話の言葉だけではなくて「電車って死語だよね」なんて言われるようになって電車について話をされることが劇的に減る。みんな日常で使っているものだから使わないわけないじゃん、と私は思っていたけれど皆がほんの少しでも使うことを控えるだけで全体の使用率はガクッと下がる。
いつの間にか「電車」という言葉を使わないように皆が意識して消極的になって、うっかり使わないようにすると流行に乗れてなくて恥ずかしいから存在自体考えないように自転車通勤とか自動車通勤になってなんと電車自体の使用率がガタ落ちする。
そんなバカな! と思うけど私は通学中の電車が朝だというのにガラガラで座れてしまうので自分の流行遅れっぷりを痛感する。溝口君さえいれば。溝口君は別の電車だったそうだけどやっぱりガラガラだったという。
皆、そんな言葉をポイポイ殺してどうするんだ。なんて思うけど更に死語を増やしていく。
そうして溝口君まで死語になってしまう。
皆が「溝口君」を言葉に出すのをやめる。今まで死語を使っていて「本当古いな〜」と笑われるのは私と溝口君セットだったはずなのに、溝口君は何も言われなくなる、というか皆私しか見なくなる。
何をしても溝口君は死語として扱われる。大学の面接試験では「うちでは新しい風を期待しているので……」と言われて追い出される。
私は激怒する。怒ったところで変えられないので私に出来る方法で世界を変えることにする。
死語アイドルとしてデビューする。「ナウい」「ヤング」「ドロン」「チョベリバ」とかのもはや私すら使ってなかったよってレベルの死語を完全に使いこなす。言語学を徹底的に学び、脳科学、心理学をマスターし人の脳神経に作用する言葉の使い方を理解する。私は死語を使いながらも人心を掌握する術を手に入れたのだ!
「みんなー! チョベリバな人生かなー!」
イェーイ! と武道館が声援に包まれる。全国民が死語アイドルの私に夢中だ。死語はもはや死語ではない。国民的アイドルである死語アイドルが使う言葉なのだから。それはもう流行語でしかない。
と、いうわけで私は「普通の女の子に戻ります」と言ってアイドルを辞める。
圧倒的な流行は流石に終わるけれどそれでも幾つかの死語は蘇る。溝口君も死語ではなくなってどうやら日常生活に支障がなくなったようだ。何だかんだ大学も合格したらしい。
それだというのに私はどうにも面白くない。
再流行して落ち着いた溝口君のノリがどうにも以前のノリとは違って私と会話をしてもギクシャクしてしまうのだ。
言葉は移り変わるものだというけれど、こういう変化は望んでいない。
「超ベリーバァーッド」と私は少しだけ自分の言葉の時間を進めて見るけれどまだまだ溝口君との距離はめちゃめちゃ遠い。ぴえん。〈了〉
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