私の言葉は嘘ばかり

 私は溝口君に溝口君のことを教える。

 溝口君は一週間で記憶を無くしてしまう。自分のこと、周囲の人々のこと、人生のこと全て。

 私はよく溝口君と一緒にいて会話をしていて、付き合いも長いから家族のいない溝口君に私が彼自身のことを説明する。

 溝口君がどんな人だったか。どんな食べ物が好きだったか。どんな本が好きだったか。どんな場所に行っていたか。どんな思い出があるか。

 最初は数時間かかっていた説明の時間も手慣れたもので、今では一時間もあればおおよそ大事なことは説明できる。

「ありがとう。おかげで大切なことは思い出せるみたいだ」

 そう溝口君は私に感謝する。二人で出かけて、一週間の新鮮な思い出を作っていく。

「ねえ、溝口君。今はどんな気持ち?」

「楽しいよ」

「それなら、よかった」

 記憶を入れ直した溝口君とは色々な場所へ行く。毎回同じでもきっと溝口君は新鮮な感動や楽しみを得ることが出来ると思うけど、毎週私は溝口君の喜びそうな場所を考えて連れていく。

 溝口君を植物園へ連れていく。

「こんなところ初めて来た、ってそう感じているだけかな?」

「ううん。今日初めて来たんだ。ここには」

「嬉しいなぁ。ありがとう」

 普段見ることのない木々や花々を見て、私たちは穏やかな時間を過ごす。溝口君と過ごす時間は決して積み重ならないのに、私の中に大切な何かを形作ってくれている気がする。

「君がこうしていてくれて本当に助かっているんだと思う。ありがとう」

 いつだって初めてのような様子で溝口君はもう何度も繰り返された言葉を言う。

 いつも溝口君は私にそうやって礼を言う。

 でも、と私は思う。

 溝口君の感謝を聞くたびに私は自問自答する。

 本当のことを伝えているのか。自分に都合の良いことは言っていないか。溝口君にとって私は本当に私が話すような存在だったのか。

 溝口君と私が恋仲であること。

 溝口君と行った場所、過ごした時間。

 溝口君としたこと全て。

 嘘は言っていないと自分で思っていても、溝口君から見た真実が違うなんてことはいくらでもあり得ることだから。

 何かを語ることは、何かを騙ることだから。

 私の言葉に完璧な真実なんて何処にもなくて、きっと私は何かを取りこぼして溝口君に伝えてしまう。

 私はきっと、溝口君を都合よく歪めている。

「おはよう、溝口君。そして初めまして溝口君」

 昨日、溝口君の記憶が消えた。それから今日まで溝口君は眠っていて、だから溝口君は何も知らない。私のことも、昨日のことも。

 私は溝口君に今度は嘘を教えることにする。

 私とは憎み合っていたということ。私のせいで事故にあって記憶を失ったということ。私は溝口君のそんな無様な様子を見たくてここに来たということ。辛い現実を突きつけて良い気分になるために来たということを。

 何度も私はその嘘の練習をしていた。

 溝口君を近づかないで生きていられるような自分を私の中に作り上げた。顔色も、声の調子も、身振り手振りも本当だって思わせられるくらいに完璧に。

 そうして嘘を私の中に作り上げるうちに、私も本当のことがわからなくなっていく。

 私たちは愛し合っていたかもしれないけれど、同時に喧嘩だってしたのだから。

 私との待ち合わせの時に溝口君は事故に遭っていて、私と約束しなければこんなことにならなかったのだから。

 私は全てを失った溝口君に頼られて、それがきっと私自身の心の助けになっていたのだから。

 私にはもう、本当のことなんてわからない。

 それでも。きっと、私は溝口君を縛っている。

 私は溝口君から離れたくなくて、離したくない。そんな気持ちが私に話を都合よく歪めて溝口君を二人の一週間の中に縛ってしまう。

 溝口君は私のために一週間を使っている。私がいないと過ごせないから。

 でも、そんなものはそれこそ溝口君の嘘だ。

 溝口君は私と出会う前からなんでも一人でやっていて、生きていた人だから。私が惹かれたのはそんな溝口君のしなやかな強さだったから。本当に溝口君を必要としていたのは私のはずだから。

 だから私が歪めた何かで、何かを騙って溝口君を私の側に置き続けてはいけない。

「うーん」

 私の嘘であり真実でもあるはずの言葉を一通り聞いて、溝口君が淡々とした調子で話す。

「それでもあなたのことをあまり嫌いになれないみたいだよ、僕」

「嘘つき」

「ううん。嘘じゃない」

 なのに、溝口君は私の目を見て真っ直ぐに言う。

「嘘じゃない」

 幾度となく繰り返しても、溝口君はそう話す。〈了〉

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