きっとあなたのためでもなくて

 私たちは数字になっていく。

 食欲、睡眠欲、性欲の三大欲求に始まり私たちの振る舞いの全てに成績が付けられる。日々の振る舞いであったり、食事の献立であったり、部屋の整理整頓され具合であったり、まぁおおよそ全てのことに。

 数値化は何かしらのガジェットを身につけてそれに同意すれば簡単に行うことが出来て、持ち運んでいたり身につけているデバイスでログを取り、算出してくれる。それを元に『自分の進みたい道』を選択することでどのような数値を足していけばそこへ辿り着けるかすら示してくれる。

 人間の一生のフロチャートを簡単に私たちは知ることが出来る。

 正直なところ、もっと反発が起きるものかと思っていたけど、実際のところ皆楽しそうに数値化を始めていた。自分の人生の優れている点を数値に出来ること、自分の人生の劣っている点について適切な是正の手段を示してくれること、報われないことがこの世にはとても多いけど示されるフロチャートはその理不尽を大幅に削減した。

 朝起きてデバイスの数値をチェックする。今日の睡眠の点数が82と表示されている。私の理想の睡眠時間は7時間20分。今日の睡眠時間は7時間で少し不足していた。

 そんなに体感としては眠くないけど、もう少し早く寝るべきだった。

 私は制服に着替えてリビングへ向かう。食事がテーブルに置かれていて傍のモニターでスコアは97と表示されている。

 両親が私の人生に適切な食事を調べて出してくれている。パンを主食にした献立だ。

 私はご飯が食べたいけれど、こういう積み重ねが人生を作るのだから仕方ない。

「いただきます」

 姿勢を整えて食事を進めていく。食べ終わって「ごちそうさま」というと音声を拾った私のスマートグラスが朝の集計を始める。今日のスコアも上々だ。人生をうまく進めるための大切な一歩。

 クラスのチャットグループでは今日のスコアについて皆が盛り上がっている。人生が数値化してフロチャート化されるとそれは誰もが参加出来て、誰もが勝ち目のあるゲームになる。

 溝口君は何も書き込んでいない。クラスメイトはほとんどが書き込んでいるのに。

 学校でお昼を食べながら溝口君と話す。玄米のおにぎりと緑黄色野菜もたくさんのお昼。好みの味ではないけど、少なくともスコアには良い。

「どうして溝口君はスコアを書き込まないの?」

「記録もしてないよ」

「どうして?」

「誰かに見せたり、楽しませるために生きているわけじゃないからね」

 よくわからない。溝口君はそんな調子だから入学当初は色々な人が周りにいたのにどんどん周りから人が減っている。私は別に溝口君とのそんな時間は嫌いじゃないから「変なこと言うなぁ」なんて思ってお弁当を何とか食べる。

 溝口君とそう話しているうちにお昼休みが終わる。お昼の集計の成績が大幅に落ちていて、40と表示される。

 私は目の前が真っ暗になったかのような心地になる。原因分析について通知をチェックする。

 画面には『交流する人との関係について』と表示されていて、私や私の両親が望む進路には溝口君との交流が好ましくないと表示されている。

 溝口君のことだ。

 人生の形成には環境が大きな要因で、環境は何で作られるかというと周囲の人で作られる。その環境の形成に溝口君は不適合ということだ。

 周囲の友人に話すと「簡単じゃん」と言われる。溝口君と話さなければ良い、と言われる。

 先生に相談する。「人付き合いは自由だけど、このスコアはねえ」と言われる。

 両親には何も見せない。何を言われるかわかっていたから。

「今日のスコアはどうだった?」

 でも、両親は帰宅して部屋に直行して夕飯まで何も言わなかった私に楽しそうにスコアを聞いてくる。私の一日の感想よりも何よりも、スコアを優先して聞きたい様子の両親に私は不意に嫌気が差す。

 私のスコアは、誰かのためじゃなくて私の人生のためのものだったはずなのに。

 私はそのまま夜を寝ないで過ごす。電気も消さない。スマートフォンもスマートウォッチも電源を切って放置する。

 朝に太陽が出てきて私はそれを見ながら着替えて、家にあったパンを勝手に食べる。両親はまだ起きてきていない間に家を出る。

 徹夜明けの私の瞳に太陽の強い日差しが煌めいて見える。

 私は『理想的な通学の所要時間』を無視してゆっくり歩く。あっちこっちよそ見をしながら歩いていく。道沿いの木々に花が咲いていること、川のせせらぎが私を穏やかな気持ちにさせてくれること、川の反射が世界をそのまま照らしてくれるような気すらするということ。強い日差しに照らされて、学校への通学路にこんなにも表情豊かだということを教えてくれる。

 学校へようやく辿り着く。階段を駆け上がり教室のドアに手をかける。

 溝口君もう登校していて、教室で佇んでいる。

 寝不足だからか、それとも私が階段を駆けて心拍数が上がっているからか、妙に体が軽い気がする。でもそれを確認するデバイスは家に置いてきてしまった。

 でも構わない。

「おはよう、溝口君」

 私は溝口君に声をかける。

 きっとそれは誰かのためではなくて、私が私であるために。〈了〉

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