寄り道もせずにまっすぐに

 溝口君は愚痴を言わない。文句を言わない。悪口も言わない。

 ただ、やらなきゃいけないことをする。

 溝口君は同じ大学のサークルの同期で付き合う前から淡々と色々なことをこなす人で、代返も文句を言わずにやっているし、サークルの面倒なことも引き受けるし、友人関係の愚痴なんかも聞いていて「ちょっとマジで倒れちゃわない?」ってくらいのオーバーワークっぷりで見ている私はハラハラする。

 でも、何でも話すと穏やかに受け止めてくれる安心感とか、それによって何かリターンを要求しないような徹底した姿勢が私は気になって溝口君に話しかけるようになる。

 溝口君は近づいてみてもやっぱり穏やかな雰囲気は変わらずに、話しかけやすい空気感があって最初は「本音を暴いてみたいな」みたいな気持ちのあった私もあっという間に絆される。

 何かやりきれないようなことがあった時とか、妙に退屈な気持ちを持て余している時に話しかけているうちに情が移ってしまう。

「溝口君、付き合って欲しいんだけど」

「どっかいくの?」

「違う、交際的な意味で」

 そんなやりとりをして、付き合うようになる。なんとも締まらないやりとりだったけど、私も精一杯だったのだ。

 しばらく付き合って、大学を卒業して、同棲をするようになる。

 私は不定休の仕事だけど、溝口君は土日休みなので平日に暇を持て余す時が出来るようになる。

 平日の昼間にぶらぶらと散歩をするのは、それはそれで良いものだ。一人で何かをする時間というのも、誰かと過ごすためには必要だなぁなんて思いながら近所を歩く。

 ふと、公園に寄ってベンチに座る。

 ぼうっ、として公園の風景を見ていると遊具で遊んだり走ったりしている子供達の中にも人間関係が見えてくるものだ。仲の良い子、仲が悪い子、上下関係が既に生まれている子、意地悪をされている子、意地悪をしている子。小さな子供の中にもうっすらとした社会が存在している。

 そうやって見ていたからだろうか。私は一人、浮いている子を見つける。

 誰とも関わっていない。ただ一人しゃがんで地面を見つめている子供。

 ひい、ふう、みい、と公園にいる親の数を数える。兄弟とか姉妹の可能性はあるけど、どうにもその子の親らしき人が見つからない。もしも子供がしゃがんで地面を見てじっとしていたらせめて視線ぐらいは向けているのではないかな? なんて考える。

 もしかしたら迷子かな? と思ってその子に声をかけようと近づいている時にふと気づく。

 あ、溝口君の小さい頃にそっくりだ。アルバムで見た写真に、そっくりだ。

「こんにちは」

 声をかける。急に周りの音が消える。

 ああ、やっぱりこの子、普通じゃないんだと実感する。他の人は目の前のこの子から目を逸らしていたのではなくて、見えなかったのだ。

「溝口君、かな?」

「うん」

 私の問いかけに小さい溝口君がそう答える。

「お父さんが、帰ってこなくていいって言ってて、いく場所がないから。ここにいるの」

「じっとしてて、つまらなくない?」

「考えると、悲しいから」

 小さい溝口君は涙ぐんでいる。私は、溝口君の過去を何も知らない。

「帰れないの。帰ってくるなって、言ってて」

 でも、目の前で泣いているのが私の大切な人ということは、わかる。

「あのね、溝口君。絶対に君が帰る場所は出来るよ。必ず出来る。今は帰れなくても、絶対に帰れるようになるから」

「でも、お父さんが」

「お父さんは関係ないんだよ。必ずそれが関係なくなる日がくるから。大丈夫だから。だから、そこにお帰り」

 そう言うと、小さい溝口君が泣き止んで歩いて公園を出ていく。途端に周囲に賑わいが戻ってきて、私は子供達が駆ける公園の真ん中で半分泣いている。

 あの小さい溝口君が何処かに帰ることが出来たのかは、正直わからない。

 でも、あの溝口君が何だったか。少しだけ想像する。溝口君が、人生の至る所で殺してきた自分自身かもしれないと考える。

 溝口君は愚痴を言わない。文句を言わない。悪口も言わない。

 もしかしたら、たくさんの自分を殺してきたのかもしれない。黙って、押し殺して、自分でもそれを忘れてしまうくらいに。何処かに留まって、帰れないくらいに。

 だから、私は早く帰ることにする。溝口君が帰ってきたら、話すのではなく聞いてみたいと思う。

 急がなきゃ、溝口君から何かを聞いて、伝えなきゃ。

 せめて、これからの溝口君が帰れず何処かに留まってしまわないように。〈了〉

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