魔女の家
溝口君が魔女に囚われてしまう。
魔女の家は私の住む街の外れにある大きな橋を渡った先の雑木林の中にある。地図アプリでも見ることが出来ない。
スマートフォンとかパソコンとかが発達した現代なのにどうして魔女なのだろう? なんて思うけれど、そういう理解の出来ないこと、常識では測れないところがあるから魔女なのだ。だから人々は畏れ、敬い、口を閉ざす。誰もその存在を知らないふりをする。
そして、囚われた溝口君を誰も助けようとしない。
私がいくら他の人に溝口君を助けに行こうと言っても聞いてくれない。見てみぬふりをして、私に溝口君のことを忘れろという。
忘れてなんていられない。
家を出て、街の外れまでまっすぐ歩く。地図がなくても私は魔女の家を知っていて、迷わずたどり着くことが出来る。
魔女の家は雑木林の中にあるだけで一般的な一戸建ての住宅で、外から見ても普通の家と区別がつかない。でも、その目の前に立つだけで異質な空気なようなものを全身が感じる。絶対的な恐怖、それでも私は溝口君と会わなくてはいけない。溝口君を連れ戻さないといけないと思う。
扉を開けないといけない。震える手を伸ばし、私は入り口のこじんまりとした門を開けて踏み入れる。庭先には冬だというのに紫陽花が生えている。
その紫陽花の生命力が、溝口君の命を吸っているような気がして私は気持ち悪くなる。
入らないと、早くこの中に入らないと。
「お邪魔します」
ドアノブに手をかけて、開ける。鍵はかかっていない。
恐怖が私に絡みついてくるけれど、私はただ溝口君のことを考える。私が大切なことを忘れないために、失わないために、私の中にある暖かなものを信じるために。
いつも私と話してくれた溝口君。
私は扉を開ける。
いつも学校で私と一緒にいた溝口君。
家へと足を踏み入れる。
私のくだらない話を聞いてくれて、笑ってくれた溝口君。
靴を脱いでリビングへと歩いていく。
「溝口君、ここにいたんだね」
溝口君はリビングでお茶を飲んでいる。私を見た瞬間、溝口君がとても悲しそうな顔をする。
「ああ、だめだよこんなところに来るなんて」
その言葉が終わるやいなや、溝口君が目の前で消えてしまう。まるで最初からそこに誰もいなかったように。
「溝口君っ」
そう言葉にした途端、私の中で急に動揺が走る。
私は誰と会おうとしてたんだっけ?
私は何を誰かと話していたんだっけ?
私はどうして誰かが魔女に囚われたと知ったんだっけ?
自分の中の求めていた誰かの記憶があっという間に溶けて消えていく。そんな記憶、最初からなかった。
何かを信じるということは確かな力を与えてくれるけど、同時にいともたやすく歪んで利用されてしまう。信じることは出来たのに、疑うことが出来なかった。魔女に導き、捕らえようとしていたのが私であることに気づけなかった。
そうして、私は魔女の家に囚われている。
魔女の家での時間の感覚は緩やかで、だんだんと時間の感覚が消えていく。こうして私の世界への感覚が消えていくのと同じように、私のいた世界の人々は私のことを無かった存在にして行ってしまう。ここはもしかしたら、魔女の胃の中なのかもしれない。
それにしても、と考える。私が魔女に囚われて、世界から自分の存在が消えたら私は初めから存在しなかったことになるのだろうか?
時間の感覚の消えた魔女の家で、私は一人誰かの夢を見る。その誰かは魔女に魅入られて、存在しない私のために魔女の家へと向かってしまう。
そんなことはしてはいけない。何かを信じるのと同じくらい、本当は何かを疑うべきなのだ。
そう夢について思いを馳せて、私はこの家に誰かが来る予感を持ちながら一人でお茶を飲んでいる。
この家の扉が二度と開かないと良い。全てが嘘であったとしても、私がこの部屋に踏み入れた時の存在しないはずの誰かが私を気遣ってくれた言葉を私は思い出す。
疑うこと大切さを知ったはずなのに、私はそれでもその誰かを信じ、その身を案じてしまう。〈了〉
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