何も出来ない

 溝口君は全能で、何でも出来る。

 私と溝口君は、私が山スキーで十数メートル転げ落ちて大怪我をした時に出会った。私が落ちた崖下に溝口君は存在していた。

 落下して全身を打って、大怪我を負っていた私を溝口君はじっと見つめている。

 当時小学生だった私と同じぐらいの年頃の溝口君は真冬だというのに、服も着ていない状態だった。

 溝口君は寒さを感じていないようだった。そして、何も恐れなかった。何にも動揺していなかった。きっと、目の前で死にそうな私を見ても何も心を動かしていなかった。

「誰……」

 目の前に現れた少年にそう私がこぼした時、初めて溝口君の瞳が私へ向いた。

 溝口君は私に手をかざす。

 あっという間に私の怪我は消えていた。

「どうして、こんなことが出来たの?」

 これは夢かもしれないと思いながら聞いた私に溝口君は言う。

「これは出来ないことなの?」

「うん。それに、こんな寒いところで服着ないと風邪ひいちゃうよ」

 それから私たちは二人で崖下で待つ。助けはあっという間に来る。溝口君も私と一緒に救出される。

 溝口君のことは誰も知らない。役所の記録にも存在していない。唯一の顔見知りが私と言うことで溝口君と私はそれから会うようになる。

 溝口君はなんでも出来た。『出来ない』と溝口君が思わない限りなんでも。

 私が「お小遣いもっと増えればな」と愚痴を言うと溝口君が手を机の上にかざすだけでお金が現れた。学校で先生が「このクラスからいじめを無くさなければなりません」と言った次の日にはクラスメイトが数人消えていた。

 確証を持たないままに、皆が違和感に気づいていく。溝口君の全能が、人々に知られるようになる。

 溝口君は周囲の人々に畏れ、敬われるようになる。

「溝口さん、お金を出してくれないかな」

「溝口さん、僕には悩みがあってね」

「溝口さん、この病気を無くしてくれないかな」

「溝口さん、受験がうまくいかなくてねえ」

「溝口さん、消えて欲しい人がいてね」

 多くの人の願いを溝口君が叶えていく。多くの人々が溝口君へと群がっていく。でも、怪我を治すことだけは出来なかった。

 溝口君は人々と関わる日々が重なっていくうちに、私と話す時に笑うことや、怒ることや、泣くことが増えた。

 私と話していてさっきまで笑っていた溝口君が涙をこぼす。

「僕は、何も叶えたくない。何もしたくない」

 溝口君に向けられる願いは、集まるほどに汚れていく。そして同時に溝口君は日々の生活で学んでいる。何が好ましくて何が好ましくないか。ありとあらゆることへの溝口君の価値を。

 それは溝口君を蝕んでいく。溝口君の在りたい自分は周囲の人々の願いによって汚染される。

 私は知っている。溝口君が何も出来なくなることを。

「そんなこと出来ないよ」と言ってあげればいいだけだということを。

 溝口君は私と出会って私を治してから、怪我を治すことが出来ない。

「死にたい、もう死んじゃいたい」

 溝口君の言葉を聞きながら、私は何も言わない。

 私が言えば、溝口君は救われる。

 溝口君は人の願いなんて叶えられない。

 溝口君は誰にも注目されてない。

 溝口君は不幸になんてならない。

 でも、私はそれを言わない。

「寒い……」

 冬の寒空の下で溝口君がそう溢す。

 きっと、溝口君は私が何も言わなければいつか死ぬという常識に囚われない。その全能性を維持したまま、生きていける。

 死はとても怖いことだから。溝口君には生きていてほしいから。

 私はエゴで、溝口君の不幸から目を逸らし続けている。〈了〉

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