迷宵道

 私が5歳の頃、家族とはぐれて迷子になってしまう。

 ショッピングモールでお母さんから離れてしまったはずなのに私は一本道に立っている。周りには木々が生い茂っていて、昼間だったはずなのに薄暗い。太陽が空に見えないはずなのに周りの景色は見えているという状況で、音は何もしない。風が吹いているような肌を撫でる感覚がするのに周りはしん、としていて私は5歳の頭ながらおかしな状態になったことに気づいている。

 怖くて声をあげて泣いているのにその声すらも私の耳には届かない。

 私の目の前には道が続いていて、先に行けば行くほど道は荒れていてどこまでも続いていきそうな闇が広がっている。そしてその道から外れたところは木々が生い茂っていて何が潜んでいるのかもわからない。

 この道なりに進んでいくと決して良いことが起きない気がする。

 それでも、私の後ろから何かが歩いてくる。真っ黒な人。顔には目も口も何もなくて、ただ黒くてつるんとした表面が蠢いていて本当に少しずつ私に向かって歩いてくる。追ってくる。

 うううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう、と聞こえないはずの声がする。後ろの人だ。

 私は後ろから歩いて来る人に追いつかれたら何かが決定的に終わってしまうとわかっていて、大声で泣くけどやっぱりその声は私の耳にすら届かず絶望的な心地で遥か先の闇を目指して歩くことになる。

 自分にすら聞こえない叫びが他の人に届くわけがない。助けを求めても誰にも聞こえない。逃げ出したいのにどこにも逃げられない。

 でも、気が付くと私の手に誰かが触れている。

「大丈夫」

 そう言う声がする。後ろから追ってくる真っ黒な人ではない。触れられた手から温もりが広がって私は初めてその人の言葉がこの空間でも聞こえることに気づく。

「迷い込んでしまったんだね。大丈夫、大丈夫だから」

 ミゾグチ、と名乗ったその人に手を引かれる。私は真っ暗な闇へと続く道を外れて森の中へとミゾグチさんと歩いていく。

 そうして、気がついたら私はショッピングモールで泣いている。自分の泣き声が聞こえる安堵感と、周りの人が自分の泣き声に気づいてくれているという実感を欲して私は両親がやってくるまで大声で泣いている。

 それから時が経って私は高校生になる。私は溝口君と出会う。

 溝口君は私のことを見て何かを思い出すような素振りもないし、普通に笑ったり普通に怒ったりしてクラスメイトとも仲良く過ごしている。私も溝口君と話すようになって、二人で遊ぶこともある。

「ねえ溝口君。私たちって会ったことある?」

「え? どうして?」

「ううん。なんでもないの」

 そんな話をしてクラスメイトにナンパかと揶揄われるけど気にしない。あの時のミゾグチさんとは関係ないかもしれないけれど、溝口君と話す時の温もりが私に懐かしさと安心感を与えてくれて、私は溝口君と学校で会うのが日々の楽しみになる。

 だけど、私は気づいている。最近、学校の帰り道がとても暗い。太陽が空にあるのに私の周りは薄暗い。帰り道で誰かが私に付いてくる。

 住宅街を歩いていたはずなのに、周りに住居が消えている。木々が生い茂っている。

 うううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう、と声が迫ってくる。

 私はまた迷子になりかけている。毎日の帰り道で、そんな時間が徐々に伸びていく。

「調子悪い? 顔色悪いよ」

 帰り道でそう溝口君が私に言う。私は溝口君に何も言わない、言えない。私の声は出ないから。

 私に様子に気づいて溝口君は私の手を握る。

「大丈夫。大丈夫だよ」

 溝口君が私を真っ暗な道から手を引いて抜けようとする。あの時のミゾグチさんみたいに。きっと、このまま溝口君に連れられていけばどこかで私は見つけてもらえるのだろう。あの時みたいに泣きながら。

 でも、私は動かない。逆に溝口君の手を強く引く。

「どうして?」

 溝口君が私に聞く。決まってる、こうして私は溝口君と帰り道を歩いていたくて、一緒に帰りたくてそうしているのだ。怖い思い出がやってきた時に助けてもらうためじゃない。道を示してもらうためじゃない。

 私は真っ暗な道に向けて溝口君と歩いていく。

 私はまだ高校生で、子供だけど人生には迷い道を選んだっていいことだってきっとたくさんあるはずなのだ。たとえ向かう先が暗闇で、声も届かない場所だとしてもこの手に伝わる温もりを信じることが何かを貫く光になることだってあるかもしれないはずなのだ。

 私が成長してきたのは、溝口君に平気な顔で助けてもらうためじゃなくて、こうして一緒に歩くためのはずなのだ。

 大丈夫。大丈夫。

 かつて言われた言葉を私の中で繰り返す。

 私はまっすぐに暗闇に向けて歩いていく。手のひらに溝口君の温もりは伝わっている。私の体温も伝わっていてくれると良いと思う。

 今はとりあえず、それでいい。〈了〉

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