溢れそうな憎しみ
技術の進歩というのは偉大なもので、人の持つ憎しみまでもが数値で見えるようになる。
私たちはマイクロチップを瞳に入れるようになる。コンタクトレンズよりも違和感なく入れることが出来て、光と体温を元に半永久的に駆動する。視力の補正から位置情報の提示までやってくれるので、最初のうちは嫌悪感のあった人たちも徐々に受け入れて今では瞳に入れていない方が珍しい。それでもマイクロチップを絶対に受け入れない人もいてたびたび問題になるけど、世の中の基準としてはマイクロチップを入れている人たちの方が今ではずっと多くなっていた。
人の加害性が、意思や気持ちの問題ではなくて環境に由来することが徐々にわかっていって、マイクロチップの普及と共にどうやってそれを活用して事前に凶悪な事件が発生するかを察知するかを人々は考え始める。
そうしてマイクロチップが人の持つ憎しみを可視化するようになる。
私たちが抱えるストレスや怒りをバイタルサイン等を元に算出する。マイクロチップを元に集積したデータは膨大で、人々の持つ傾向を割り出すことも今の時代は出来ていた。
朝起きて鏡に映る自分の頭上に数値が20と表示されている。
今日も私の憎しみは基準値だ。憎しみが可視化されるようになって人々は清廉潔白な人など本質的には存在しないということを理解する。誰もが大なり小なり憎しみを抱えていて、それでも日常を生きているという当たり前のことを精神論ではなく皆が認めるようになる。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
居間でお父さんとお母さんにそう言って朝食を食べる。
二人の頭上の数値は30と40、大人の憎しみとしては基準値らしい。
「ごちそうさま。それじゃあ行ってきます」
ささっと朝食を食べてカバンを掴んで家を出る。
家を出て通学路を歩く。瞳のマイクロチップが常時駆動してあらゆる危険性が示される。信号機を走って渡る時の危険性、曲がり角から何かが飛び出してくるかもしれない危険性、どこまでも安全で迷う必要なんてない通学路。
通学路を歩く人たちの頭上にもいくつもの数値が表示されている。
数値がいつもより高い人に、声をかける友達のような人。不安定な人にはそうやって身近な人がケアをする。テレビで誰かが今の私たちの世界はとても優しいと言っていて、きっと通学路で私が見ている光景のようなものを指して言っていたのだと私は思う。
でも、そんな人ばかりじゃない。
道の先で人から避けられて歩いている溝口君だ。
溝口君の頭上の数値は基準値を大幅にオーバーしていて、今にも事件に繋がってもおかしくない数値を示している。だから誰も近づかない。誰も話しかけない。溝口君の憎しみが降りかかってしまうことを恐れている。
溝口君の家はお父さんとお母さんが真っ二つに割れていて、お父さんがマイクロチップを絶対に入れない。お母さんがそんなお父さんを理解がないと見下して溝口君が小さいころに勝手にマイクロチップを入れる。溝口君の意思なんて確かめもしないで。
それは今でも続いていて、溝口君が憎しみを持ち出すと今度は溝口君のお母さんは溝口君を恐れて遠ざける。お父さんは溝口君に寛大なフリをするけれど、それはマイクロチップを否定出来る手段としての優しさで、溝口君はそれがわかって更に憎しみを募らせる。
そして誰も溝口君に近づかない。
でも、溝口君は何も起こしていない。人に暴力を振るっていない、怒りを表明してもいない。家にも普通に帰って普通に暮らしている。
憎しみが見えていて、それでもそれを振り回さないのは優しさじゃないんだろうか? 私が体調を崩して休んだ時に溝口君がノートを写させてくれたことに憎しみは関係あるんだろうか?
私は一歩踏み出す。迷う必要のない通学路でも、私はどんな迷い道にも踏み出せて、どんな危険だって選ぶこと出来る。
「おはよう溝口君」
私はそう溝口君に声をかける。
溝口君の頭上の数値が、揺れる。〈了〉
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