仮面

「化粧してもママ変わらないってー」と早く私の実家で祖父母に会いたい娘が急かすのを「はいはい」と聞き流しながら化粧をしている。

 適当なことを言うな、と娘に対しても思うが同じようなことを私自身母親に言っていたので何も言えない。こういうのは遺伝するものなのかそれとも子供はみんなそう思うものなのかはわからない。

 私にとって化粧をする、というのは顔を変えるのではなくて自分の顔の拡張性を確かめるためのものだ。自分自身の余白を感じて、生活の中での枠組みをより広く捉える感覚。そんな実感が楽しくて化粧をしているのかもしれない。

 そうしていつものように工程を重ねていくうちに、私はそんな拡張性も含めて「自分の顔を好きになっているなぁ」としみじみ思って、溝口君のことを思い出す。

 まだ私が中学生だった頃、クラスメイトは私の目をよく嘲笑った。キツい目つきが人との差になって、それが簡単に笑いの対象になる。

 だから、学校が嫌いで私はしばしば保健室へ行く。保健室でよく居合わせていたのが溝口君だ。

 溝口君がどのクラスの人だったのか私は知らない。ただ、上履きの色で同じ学年ということだけがわかったし、それだけで私は十分だった。どのクラスの誰かを溝口君に知られた時に、クラスでの私の扱いを溝口君が知ってしまうのが怖かった。

 話したことはたわいもないことだった気がする。勉強のこと、溝口君がどうして保健室に来ているのか、そんなことを小さな声でぽつぽつと話して、私は段々と愚痴を言ってしまう。隠していた顔を笑われることもつい話してしまう。

「うちに遊びに来ない?」

 溝口君が不意にそんなことを言う。家に帰っても学校のことばかり考えてしまってばかりだったから、放課後になって私は溝口君の家にお邪魔する。

 溝口君の家は洋風の一軒家で、想像していたよりもずっと広い。廊下にはいくつか仮面が飾られていて、それが目を引く。

「父さんがね、仮面を作っているんだ。僕もいつかそうなりたいと思って勉強中なんだよ」

 そう語る溝口君は普段より楽しそうだった。

「人はみんな大なり小なり仮面を付けていて、それを形にするのが仕事だって父さんが言っている」

「仮面を?」

「顔をね、隠すものであると同時により強く内面を示すものでもあるんだよ。だから、何かを強く発信する時に人は誰でも仮面を付ける」

 私は溝口君の話すことがよくわからない。ただ、溝口君の家にある仮面はどれも生命感に溢れていて、無機物の冷たい感じとは違ってどこか暖かみすら感じた。

「自分の顔、嫌い?」

 溝口君が私に聞く。

 少し悩んで、私は言う。

「……ううん。きっと、私は自分の顔、嫌いじゃないよ」

「人に笑われても?」

「うん。私、笑われるのは嫌いだけど、多分元々自分の顔のこと嫌いじゃないの」

 仮面を見て思う。もしかすると、私は自分の発する顔のメッセージを人に嘲笑われるのが嫌いなだけなのかもしれない。ただ、自分の顔を見て欲しい。私が嫌いなれない自分の顔の好きなところをいつか誰かに知って欲しい。そんな気持ちで教室に行きたくないのかもしれない。

「それはいいことだね」

 そう言って、溝口君は笑う。

 それからのことはあまり覚えていない。溝口君はいつの間にか保健室に来なくなった。学校に友達のいなかった私は溝口君を探すことも出来ずに日々を過ごす。ただ、溝口君に自分の顔のことを話してから私は学校で生活をするのが嫌ではなくなった。

 自分の顔のことを勝手に決める人たちのことが気にならなくなったのかもしれない。

 そうしていつしか中学校のことを忘れて、高校、大学と進んで生活をするうちに今の夫と付き合って結婚して、子供が出来た。

 今ではもう、あの頃のクラスメイトの顔は思い出せないくらいだ。

「ねえママまだなの!」

 そう娘の声をかけられて慌てて化粧の仕上げをする。

 娘を連れて実家へ帰る。帰省してお父さんとお母さんと昔話に花を咲かせているとふと、卒業アルバムを見てみようという気持ちになる。

 昔の自分の顔を、今ならもっと好きになれるかもしれない。

 パラパラとアルバムをめくって集合写真に自分を見つける。つまらなそうな顔をしているけど、私はやっぱりその自分が好きだった。

「あれ……?」

 集合写真の私以外のクラスメイトを見る。

 彼らの顔は空白で何も映っていなかった。顔がない。〈了〉

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