彼の手

 同じクラスの溝口君は綺麗な手をしていて同学年の男子が育ちざかりで指とか手の甲に毛が生えてくる頃なのに産毛一つないし丁寧に爪も切られていて形が整っている。

 手入れを特に意識しているわけではないらしいが、冬場にハンドクリームを手放せない私としてはそんな溝口君の手がうらやましいと思う。

 冬の冷たさがいよいよ加速してきて、私も学校のみんなも手袋を付けるようになって溝口君の綺麗な手もしばらく見れないかもな~なんて思いつつ、お昼休みに溝口君と雑談している時に事件は起こる。

「溝口さぁ、ちょっと手、見せて」

 同じクラスの男子がそう言って、溝口君は不思議そうに手を見せる。相変わらずつやつやしてて、乾燥していない綺麗な手だ。

 急にどうした、と思っているとクラスメイトの手に何か銀色に光るものが見える。

「願い叶えろよぉ!」

 クラスメイトが叫んでいきなり包丁を溝口君の手に向かって振り下ろす。

 あっという間に平穏な空気が変わる。

 溝口君は間一髪で手を引っ込めて、回避する。私は咄嗟に包丁を振り下ろしたクラスメイトに体当たりをしていて、それが合図となってみんな加勢してくれて包丁の彼を取り押さえる。

 学校がパニックになる。

 先生や警察がどうして溝口君を殺そうとしたのか質問するけど「殺そうとしたんじゃない、願いをかなえてほしかったんだ」と言って更にわけがわからなくなる。

「え、何言ってるの君」「だから! 夢あるんだよ!」「因果関係がわからないだろ、なんで溝口に包丁振り回したんだ」「溝口にじゃない。溝口を殺そうとなんてしていない」「でも包丁を振るったじゃないか」「違う。俺は溝口を殺そうとなんてしてない」

 そんな会話で堂々巡りになる。取り調べも難航したみたいで時間がかかる。何を言っても「殺そうとなんてしていない」とか「夢がある」「願いがある」と言ってさっぱり要領を得なくて、こいつ頭おかしくなったのかなーとか警察が考え始める。

 でも、最終的に犯人はこう語る。

「知らないふりするなよ。溝口の手、あれで願いが叶うんだよ。本当だよ。わかってんだろ、みんなもさ」

 そんな話が担任の口からこっそり語られて「何を言ってるんだ。頭おかしくなったのか」と私は思うけどそれから日常が徐々に変わっていってしまう。

 溝口君が狙われる。

 それまでいつも通り挨拶をして、体育の時間には一緒に柔軟体操とかやっていたクラスメイトが急に溝口君の手を切断しようと狂気に堕ちる。どうやら狂気に堕ちる人たちは誰もが溝口君の手で願いが叶うと「わかって」しまうようだった。

 私は溝口君に痛い目にもひどい目にもあって欲しくなくて溝口君を守るけど、どんどん狙ってくる人たちは増えていく。隣のクラスの生徒が襲ってくる。校長先生が襲ってくる。通りすがりのサラリーマンが襲ってくる。溝口君を襲う人を取り押さえにきた警察官すら溝口君の手を狙って凶行に走る。

 世界中が壊れてしまったみたいだ。溝口君の両親も溝口君を襲い始めてもうどうしようもなくなって私はすべてを捨てて逃げることにする。

 私は溝口君の手を引いて遠くへと逃げる。ボロボロの自転車で、世界の果てになんていけるわけがないのに少しでも遠くへ行こうとする。

でも、溝口君の手を狙う人はどこまで行っても現れて、朝も夜も気が休まらない。

 逃げて、逃げて、逃げて、逃げ続けて。私はそんな生活に疲れを感じてくる。溝口君が狙われ続けるなんて絶対おかしいと思いながらも意識を保っているのも辛いくらいに疲れている。

「もういいよ。僕を置いていった方がいいよ。今なら君は元の生活に戻れる」

 そう溝口君は言うけど、私は溝口君を見捨てるつもりなんて、ない。

 溝口君の手がなければこんなことにならないのに。溝口君が狙われないで済むのに。そう考えて私は思う。思いつく。

 溝口君の手がなければ、溝口君はもう逃げないでいいのかな。〈了〉

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