マスクの下

 高校の同級生の溝口君はいつもマスクを付けていてそれが学校生活の中だとやたらと目立つ。お昼時も溝口君は学食じゃなくてお弁当を持ってきていたけど、どこかへふらっと消えてしまうようにいなくなってお昼休みが終わるころには教室にいつのまにか戻ってきている。

 そんな感じだから、みんな溝口君がマスクを取ったところを見たことがない。

「溝口お前よぉ、ひょっとして口裂け女なんじゃないか?」

 クラスの男子がそんな風なことを言い出す。「やめなよ」と私は言うけれど誰も耳を傾けないでみんなは面白くなってその空気に乗ってしまう。

「バッカでー、それを言うなら口裂け女じゃなくて口裂け男っしょー」「いや口裂けの部分は馬鹿じゃねーのかよ!」「っていうか溝口が飯食うとこも見たことないしな」「マジマジ。マスク取ったところ見たことねえよ」

 溝口君は目元だけしか見えないけれど、少し困ったような表情をしているのがわかる。

「ちょっとさ、そういうイジリやめたら」

 と更に私が言う。でも半分悪ノリに近い空気は変えられない。

「溝口さぁ、ひょっとしてハサミとか持ち歩いてたりしない?」「私きれい? とか聞いてきたりしない?」「ひゃー! きれいきれい、きれいですよー!」「こわー」「こえー!」

「そういうの。やめた方がいいよ」

 不意に、溝口君が静かな口調で言う。あ、なんか違う空気になったな、と私は思う。教室が急にしん、とした感じがする。空気が少し冷たく重くなったような感じがする。

「僕はそういうのくだらないから気にしないけど、気にする人もいるからさ。僕の親の世代とか」

「え、そういうのって……?」

「きれいがどうか、って話。結構上の人はそういうルックスのこと気にするんだよ」

 と溝口君が言う。え、これ口裂け女の話? それとも私たちを含んだ外見の話?

 クラスメイトのノリが嫌だった私も、急な溝口君の空気の変わり方に緊張するけど溝口君はすぐにいつもの調子に戻る。

「だから、きれいかどうかって話だって。別にそんなマジな顔しないでよ」

 溝口君がそう言って、みんな一気に緊張が解ける。いや、本当のところ緊張はまだ残っている感じがしたけど、みんなで「もう緊張していない」「何にも動揺していない」って空気を作って何事もなかったかのようにその場の空気を流そうとしている。

 でも、流してはいけなかったのだ。溝口君の言葉は忠告だったのだ、確かに。

 ある日学校の帰り道で殺人事件が起きる。数人のクラスメイトが一人は口から耳あたりまで裂かれ、一人はめった刺しにされ、一人は首ごと無くなって死んでいる。

 きっと彼らは溝口君から人に「きれいかどうか」の答えなんて言わない方がいいと忠告されていたのに、気を付けなければいけないとわかっていたのに言ってしまったのだ。誰もが溝口君のようにそういう話題を流せるものではないということを無視したのだ。

 誰もが溝口君のようになかったことにしてくれると勘違いしてしまったのだ。

 その事件を境に溝口君は学校に来なくなる。お昼時に気がつくといなくなっていたみたいにいつの間にか転校してしまっている。

 そうして溝口君とは会えなくなる。

 学校を卒業する。卒業して十年ほど経つ。新型の感染症が流行って、予防のためにマスクを誰もが付けるようになる。クラスメイトたちはトラウマのような状態になってしまって溝口君のことは卒業式でも同窓会でも一切口にしない。

 みんな、溝口君のマスクの下について考えないようにしている。

 でも私は知っているのだ。溝口君と一度だけお昼を食べたから。どうしても溝口君ともっと話したくて誘ったら、一緒に過ごしてくれたから。あの時の事件が何だったかはわからないけど、それだけは私はわかる。

 溝口君のマスクの下がどうなっているかよりも、あの事件がなんだったのかよりも、あの溝口君と過ごした時間が好きだった。

 もう溝口君の連絡先もわからないけれど、街中を歩く全員がマスクを付けている人波を見るとその人波の何処かに溝口君がいるような気がして少し、懐かしい。〈了〉

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