忘れていいのに
溝口君は忘れ物を良くする。教科書も忘れるしノートも忘れるし、と抜けているところがある。物覚えが良い私はよく溝口君に教科書を見せたり、ノートを写させてあげたりする。そんなんだから溝口君は自分が死んだことも忘れてしまう。
授業中の教室ではひそひそ声が聞こえてきて、無心でノートを取ろうとしていても私にはその内容が聞こえてしまう。
「また来てるよ溝口」「なんで毎回くるかね」「そんな学校に未練あったわけ?」「別に楽しそうでもなかったのにな」「だから未練タラタラなんじゃね? 逆にさ」
オホン、という先生の咳払いでそんなクラスメイトは黙るけどひそひそ話をしていたクラスメイトだけじゃなくて先生も内心同意なものだからその会話をしばらく放置したのだろうと思って私は嫌な気持ちになる。
高校二年生になった溝口君は死んだ。あっさり死んだ。
葬式にはクラスメイトも先生も、小学校中学校の同級生もやってきて泣いていた。それから溝口君の幽霊が学校へやってくる。
何も言わずにスーっと溝口君は教室に入ってきた。朝だというのに、半透明の幽霊で、夜だけ出るという幽霊のセオリーも忘れてしまっているところが溝口君らしいと私は思ったけれどみんなビックリして大パニックになる。
放ってもおけないので先生が意を決して溝口君の幽霊に話しかける。
「お、おい溝口」
「あ、おはようございます」
「お前、死んだんじゃなかったか」
「あ……」
そんな会話があって溝口君はスーッと消えてしまう。やってくる時も消える時もスーッと消える。
最初のうちはみんなビックリしたり、死んでもなお学校へやってきた溝口君のいじらしさに感動したりとしていたが毎日溝口君が死んだことを忘れて学校にやってくるものだから段々対応が冷たくなっていく。あり得ないような非日常ですら続くと簡単にその驚きを忘れてしまう、茶化しすらしてしまう。
今では誰も溝口君の幽霊に話しかけない。
話しかけて、死んだことを思い出させてもどうせまたやってくるだろうと思っている。慣れ切っている。呆れてすらいる。
溝口君が学校に来るのは本当は、今日が最後かもしれないのに。いつだって終わりは気づけないくらいすぐやってくるというのに。
教室に夕日の差し込む放課後になって、私はようやく溝口君に話しかけることが出来る。
「溝口君」
「やぁ、今日どんな授業があったっけ? すっかり忘れてしまって」
溝口君はただ学校に来るだけだ。教室でただ揺らめいて、死んだことを思い出すまでそうして時間が過ぎていく。
私は今日の学校のことを話す。どんな授業だったか、どんなことが学校であったか、細々と話す。そうして一通り話したあとに、本当に私が溝口君に言わなくちゃいけないことも伝えずに、いつもの終わりの言葉を言う。
「溝口君、また忘れてるよ」
「え、なんだっけ?」
「溝口君、もう死んじゃってるんだよ」
「ああ、そうだった。ごめんね。忘れちゃってたんだ」
「また明日」
「死んじゃってるのにそれは変かなぁ」
溝口君はそう言って消える。こうして終わるのはもう何回目だろう。私はこんなやりとりを何回も、何回も繰り返している。
でも、私は思う。あの日、溝口君が死んでしまった日のこと。私が溝口君を呼び出して教室で待ったままでいた日のこと。
私はあの時しようとした話を、まだ溝口君にしていない。
「ごめんね、溝口君」
溝口君は忘れ物を良くするくせに大切な約束だけは忘れない。
物覚えがよいはずの私は、溝口君のことを忘れられなくて未練がましく約束を忘れたふりをして、今日も続かないかもしれない大切な一日が終わっていく。〈了〉
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