残像の彼

 溝口君が交通事故で亡くなってから、溝口君の残像が現れるようになる。

 朝の通学の時間に残像の溝口君は現れる。それは真っ黒な影がそのまま厚みのある肉体を持っているような残像で、触れてもすり抜けて通過してしまう。

 残像は顔も見えないくらいに全てが暗闇の立ち姿だけど、その立ち姿で私はそれが溝口君だとわかる。

 私は溝口君の残像と並んで学校へ向かう。

 残像に意識はなくて、ただただ溝口君の最後の一日をなぞっていく。

 初めのうちは大騒ぎになっていたけど、残像を構成するものが影で何をどうやっても何がなんだかわからないということしかわからなくて今ではほとんど放置されている。

 残像が学校へやってきても誰も気にしない。ただ、ぽっかりと空いた溝口君の席に残像が座って何事もなく、いつものように授業が進んでいくだけだ。

 授業中にただただ黒板の方を見てノートを取る手を動かす残像の姿はとても綺麗だ。教室の他のクラスメイトの佇まいよりもずっと安定していて、落ち着く姿だった。私はそれを見つめている。

 お昼になると残像は購買へ行ってパンを買う。買った時の動作をなぞるだけだ。溝口君はお昼によく購買のパンを買っていて、その時の動作がただ繰り返される。

 もう購買に来ている生徒たちは溝口君の残像のことなんて気にしないで自分の思い思いのパンを掴んで買っていく。購買でパンを無我夢中で買っていく生徒たちを見ているとただ静かにパンを買おうとしていた溝口君の穏やかさを見ているような気持ちになる。

 誰もが生きるために食べているのに、死んでいる溝口君の残像がそうしてパンを買おうとしている。

 時間が過ぎて、下校の時間になって私は昇降口で溝口君を待っている。きっと、今頃は教室にいるのだろう。

 通学路へ出て、残像と並んで私は歩く。

 残像はだいぶその影が薄くなった。初めて残像が現れた時よりも影は消えていて、もうだいぶ後ろの風景も残像越しに見える。

 いつの間にか私は意味のないこととわかっていながら残像に話しかけている。

「ねえ、溝口君。どんな気分で歩いてた?」

 残像は答えない。

「ねえ、溝口君。朝よりも歩くの早いよ」

 残像は答えない。

「ねえ、溝口君。なんて答えてくれるつもりだったの?」

 残像は、答えてくれない。

 私が溝口君に告白した日の帰り道で溝口君は事故に逢った。

「本当に突然でびっくりして、嫌いとかでは全然ないからほんの少しだけ考えさせてほしい」

 あの日、そう溝口君は言って普段は一緒に帰る道を一人で帰って行った。

 帰り道の残像は歩幅が広い。時に立ち止まり、時に急に早足で歩き出す。

 何を思っていたのだろう。何を考えていてくれたんだろう。

 そうして歩いているうちに溝口君の残像は横断歩道を歩いていく。ああ、と私は思って目を瞑ろうと思うけど、出来ない。

 残像が、突然身を空中に浮かせて少し離れた場所に飛んでいく。事故の時の残像だ。車に追突した瞬間だ。

 そうして地面に倒れ込んで、残像は消える。

 わかったよ、溝口君が凄く私の言葉を考えてくれていたのはわかったから。

 溝口君の残像はそれだけ溝口君がその日を焼き付けてくれたことの証明で、私はそれを見届ける義務があるのだと思って私は残像へついていく。

 もうあれから毎日、こうして繰り返している。 

 残像は日に日に影を薄くしている。

 そろそろ本当に溝口君は残像すらも消えてしまうのかもしれなかった。

 もう、明日には残像すらも消えてしまうかもしれない。

 残像になってしまうくらい考え続けてくれていた溝口君の答えが今となってはどうでも良くて、溝口君のこの道筋が明日へ繋がっていないことがそれよりも何よりも、やりきれない。〈了〉

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