目覚めるまでの深呼吸

 ここ数年で、世界にだいぶ酸素が増えた。

 ある日、世界中で人々が植物になる奇病が始まって初めのうちはパニックになる。どのような接触をすれば感染してしまうのか、空気感染なのか飛沫感染なのか接触感染なのか。何もわからない時期にはビックリするほどたくさんのデマが流れてそれが更に混乱を呼んだ。

 人間は、世界の危機くらいじゃ簡単に協力することもなくて、「世界を今まで通り回さなければならない」なんて祈りみたいな考えの下で世の中は回っていく。感染症である可能性におびえる人々とそうではない人々の間に摩擦ができる。

 その時のいざこざによって各地で暴動が起きたり、デマによるリンチが起きたりするけど最終的に「ある日突然発生した感染性のない奇病」と判明して以来私たち人類の寿命の在り方に一つ別の道筋が出来て『人類緑化現象』という名前が付けられて終わる。

 発見された当初は爆発的に発生した人類緑化現象に私も含めて怯えていたのだけど、ある日を境に発見される数がガクッと落ちる。

 もう誰にも原因はわからない。でも、「人類によって世界のバランスが崩れてしまったから植物が減った分、神が人類を植物にしたのです」なんて話がいつの間にか信じられるようになる。

 何をどうやっても説明出来ない状態になると、もう世界の在り方として受け入れるようになるようだった。

 漠然と運命という言葉を受け入れる人がいるように、みんな人類緑化現象を天命として考えるようになる。

 私もそう考えていた。溝口君の指先から芽が出てきたあの日までは。

 溝口君から生まれた芽に気づいて、動揺する私を溝口君がなだめてくる。

「あんまりね、怖くないんだ」

「どうして、天命なわけないじゃん、病気なんだよ!」

 半分パニックになって、溝口君に対して酷い言葉を言ってしまう。

「こうなる前から、だいぶ心が落ち着く時間が増えていたんだよ。植物みたいなだな、って思っていたらこうだったからさ。あんまり怖くないんだ」

 そういう溝口君の声はとても落ち着いていて、私は人類緑化現象が始まった時にパニックに陥っていたのは当人たちではなかったのだと初めて知る。

 でも、自分のことでは無いからこそ人々は怯え、狼狽え、怒ったのかもしれない私は思う。

 自分ではない誰かがそんな悲しい天命に晒されて欲しくない。そんな考えが世界を混乱に陥れたのかもしれなかった。

 

 国によって指定された植物園に踏み入れる。瑞々しい生命感の溢れる緑に包まれた植物園だというのに、私の心は弾まない。

 一歩ずつ、私は植物園で歩みを進めていく。徐々に道なりに生えていた木々の形が変わっていく。樹木の中に人の手のひらが見える。まだ完全に緑化していないようだった。

 そして私は溝口君の前にたどり着く。

 溝口君は首元から上だけが出ていて、一日のほとんども起きていないようだった。

 もうあまり来ない方がいい。

 そう最後に会話をした時に溝口君に言われたのに私はここに来てしまう。溝口君は眠り続けている。

 溝口君の頬に手を触れると、それは人肌のぬくもりではなくでて樹木のしっとりとした肌触りだ。

 あと、数日も持たないかもしれない。

溝口君が目覚めるまで待とうという気持ちと、そんな時間の経過がたまらなく辛い気持ちが私の中にある。

 それでも、私はその場に立って心を落ち着けるために、溝口君を待つ時間から逃げないために深呼吸をする。

 増えた植物によって二酸化炭素が酸素になるはずなのに、溝口君の目覚めを待つ世界の時間がこんなにも、息苦しい。〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る