火の用心
「火の用心〜火の用心〜」
カン、カン、カン、と拍子木の音色が響く。
今夜も私の住む街に火事についての注意を促す声が聞こえてくる。
「うわあ今夜もだよ」
「今時毎日回るもんかね」
私の弟と父さんは面倒くさそうにその声について話すけれど、私はそんな二人の言葉を気にする余裕なんてない。
私はそれを聞いてほとんど寝巻きのジャージ姿だというのに家から飛び出て駆け出してしまう。私の住む部屋はマンションの四階だけど、そんなことを気に求めずに階段を駆け降りていく。
冬の乾燥して冷たい風が私の頬を叩くように吹き付けてくるけど、私はそれで冷えるよりも早く熱く走る。
「溝口君!」
私は声を上げて声の主を探す。
溝口君は私と同じ高校で、たまたま近くに住んでいることに気づいてからよく話すようになった。高校にもなるとずいぶんみんなワイワイ遊びに行くようになるけど溝口君はそんなクラスメイトとは対照的に物静かな人で、私はそんな昼下がりの陽だまりのような心地が嫌いじゃなかった。
そんな溝口君が夜に一人で夜回りをしている。そのイメージの真逆っぷりが私には少しおかしくて、悲しい。
溝口君は夜回りをする必要なんてない。
声と拍子木の音が徐々に大きくなって、私は彼に近づいていく。
住宅街の長い一本道だというのに、その先には誰の姿も見えてはくれない。
「溝口君!もうそんなことしないでいいよ!そんな価値もないよ!」
溝口君の家は、溝口君の母親のタバコの不始末で焼けてしまった。消し忘れたタバコの火が、埃に移って畳に広がって簡単に炎上した。燃え広がる炎に気がついた溝口君の両親はよりによって溝口君を見捨てて自分たちが逃げ出した。私が駆けつけた時にはもう家は全体が燃え上がっていて、もしも溝口君がその中にいたらどうなっているかなんて考えたくもなかった。
現場に駆けつけた私の目の前に広がる光景は警察の人が安全テープで封鎖している溝口君の家。そして燃え上がる炎がチカチカと光って私の瞳を焼き付けるようにその存在を主張した。
走っているうちに私は嫌というくらいあの日のことを思い出す。虫の知らせ、というのだろうか。急にした嫌な予感を救急車と消防車のサイレンがあっという間に形作っていくあの怖気。
「火の用心〜火の用心〜」
あの日の夜から、溝口君は夜回りを続けている。もう、溝口君の父親も母親もその音が嫌で遠くへ逃げるように引っ越してしまったけれど、溝口君は声をあげるのをやめない。
それは溝口君の恨みなのか、それとも今を生きている私たちへの溝口君の優しさなのか。それはもう誰もわからない。
でも私はそんなことを聞きたいわけじゃない。
「もう、もうそんなことしなくていいんだよ!この街は最低だよ、父さんも母さんも弟も、みんなみんな適当に聞き流してる、もう忘れてる!すぐ昔のことにしてる!ずっとずっと溝口君の家の跡は残っているのに!」
溝口君の家があった場所にたどり着く。そこには火事の後の空き地だけがあって、溝口君はいない。
私はただ、もう一度だけ溝口君に会いたい。
結局私は誰にも会うことが出来ずに家に帰って家族に白い目で見られるけど私は気にしない。何か怒っている母さんの言葉を無視して布団の中に潜り込む。真っ暗で冷えた自室で布団に埋まって目を瞑っているとまた遠くから声と拍子木の音が聞こえてくる。
カン、カン、カン。
「火の用心〜火の用心〜」
それからも、あの夜まわりの声と拍子木の音は聞こえ続ける。私の住む街を歩いて用心を訴え続ける溝口君を想像するけれど、会うことはできない。
誰も会うことはできないのかもしれない。
暗く冷たい夜の闇を溝口君が一人で歩き続けることが、私はただただ寂しい。〈了〉
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