普通の溝口君
ある日、私たちの国で溝口君が『普通の人』として認定される。
それまでの溝口君も私にとって日常的にクラスで話す人で、溝口君と話す時間は落ち着く時間だったけどその日以来全てがガラリと変わる。
溝口君は国中に張り巡らせられたカメラで四六時中監視されて『普通』であるかを値定められるようになる。
私たちの国では『普通の人』を基準に全てが決まる。求められる平均偏差値、平均年収、平均的な人生のルート。ありとあらゆるものが『普通の人』を軸に語られる。国から私たちにもたらされる支援だって全てそれ次第だ。
多くの人が『普通の人』に左右される。望もうと望むまいと。
そうして、溝口君の『普通』は溝口君だけの『普通』では無くなってしまう。
溝口君は国に身柄の安全を確保されているけれど、それは身の安全だけで大切なものは何も守られない。溝口君の一挙一同に異議を唱える人が現れる。『普通』を基準に経済の予測をする人だって現れていて、その結果次第で人生が狂って自殺する人だっている。
皆が言う。そんなの『普通』じゃない。おかしい。間違っている。そんな振る舞いは『普通の人』じゃない。
溝口君の情報はあっという間にネットにアップロードされて拡散される。溝口君の一挙一同は国中のニュースとなって誰もが好き放題言う。
『信号が点滅してるのに渡ってるんだけど』『この時間に登校とかおかしくない?もっと遅いでしょ普通』『こういう奴はろくな奴じゃない』『選ばれてからもいつも通り生活するって逆に普通じゃないよね』『人のこと内心バカにしてんだよ』『こっちは死活問題なんだけど』『普通のことも出来なさそう』『足を引っ張らないでほしい』『ハードルを上げないでほしい』『死んだら面白いな?』『死は普通』『国が総力上げて失敗する様絶対笑えるんだよな』
溝口君はそんな言葉に気づかないふりをする。求められている『普通の人』はそんなことをしないから。溝口君の日常の中に、もう溝口君の『普通』はどこにもない。
昼休みに溝口君は一人で食事を食べている。溝口君は今もスマートフォンを触っていて『普通の人』としての振る舞いに気をかけているのがわかる。でも、そんな振る舞いもまた批判されるのだろう。
「ねえ、溝口君。眠れてる?」
「大丈夫。それよりあまり僕と話さない方がいいよ」
「どうして?」
「わかるでしょ。多分絶対楽しいことにならないし、むしろ嫌なことになるよ。サンプルに選ばれた人間と話すなんて普通のことじゃないもの」
そう他の人に聞こえないように小声で話す溝口君の目の下には隈ができている。溝口君に拒絶されることよりも、私は溝口君がその言葉を言った気持ちを思って胸に穴が空いたような心地になる。
こうして私が溝口君に話しかけるだけで、有る事無い事が語られているんだろう。私のことを自分の理想の『普通』にするために溝口君に近づく意地汚い人だという言葉も見た。
私と溝口君がそれまで続けていた日常を繰り返すことのどこが普通でないのだろう。
『普通はもっと色々な人と関わるでしょ学生は』と言う言葉で溝口君はそれまで関わっていなかったグループの人とも付き合おうとする。でもそんな言葉を見透かして誰も溝口君と関わろうとしてくれない。皆が常に溝口君を見張っているのに、好き勝手に言っているのに、誰も溝口君を知ろうとしない。
学校の昇降口で誰にも見られないように帰ろうとしていた溝口君に声をかける。
驚いたような顔をして、どこか諦めたような柔らかな表情に溝口君が変わる。
「溝口君、帰ろう。一緒に」
「……どうして」
「私が毎日繰り返してたことが『普通の人』が原因で無くなってしまうのはおかしくない?」
誰かの作った『普通』に溝口君の『普通』を奪わせない。
それが私の思う『普通』のことだから。〈了〉
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