夜の警告
夜になると溝口君の声が世界に響く。
『事故が起こるんだ。起こるんだよ』
日本語、英語、中国語、エトセトラエトセトラ。どんな言語の人にも、どんなところにでも溝口君の言葉は届く。
その言葉は溝口君からの警告で、大きな事件や事故の前触れだ。人と人が交わるところで起こる悲劇についての予言の声で、もしも誰もその場へ近寄らなければ何も起きないで防ぐことが出来る。
その言葉が世界に響いてから最初のうちは誰もが驚き、喜ぶ。
世界中のどんな不幸もこれで未然に防ぐことが出来るのだ。その言葉を言う溝口君のことは誰も彼も考えないで、溝口君の言葉を『神の福音』だなんて言って皆もてはやした。
でも、そんな時間も長くは続かない。みんな当たり前のように起き続ける不幸に備えることに飽きてしまう。
ある大都会の交差点で交通事故が起きると溝口君の声が言う。最初のうちは人々が備えてその場へ行かないようになる。その悲劇は防がれる。
それでも世界中で悲劇は起き続ける。悲劇は世界中の至るところでひっきりなしに起きていて、溝口君の警告だけではそれを防ぎ切ることは出来ない。世界に人が生きている限り、不幸はそんな人々の中に潜んでいる。
人々はそんな繰り返しに嫌になる。
多くの人がそこにいて、事件や事故が起きても巻き込まれるのは自分じゃない、きっと他の人に不幸は直撃する、自分だけは大丈夫、大丈夫。そんな風に考える人が出てくる。予言の場所へ行かないことで起きる損失に目が行き始める。「人は直接的なことだけで死ぬんじゃない。ちょっとした積み重ねが別の不幸を呼ぶことだってある」と言う人が出る。
車に乗ったらいつか事故が落ちるじゃないか。
飛行機だって落下する時があるじゃないか。
どこに住んでいても災害に見舞われて死ぬことはあるじゃないか。
なら、この予言ばかりを気にして失うものの方が世界にとって大きいのではないか? この言葉は『神の福音』なんかではなくて、人類を衰退させようとする悪意なのではないか?
そんな言説が広がっていく。溝口君のことを知らない人が好き勝手言って、溝口君について有る事無い事を言い始める。
世界を呪った男の復讐だ。
そもそも人間じゃないんだ。
そうだ、そうだ。そうでもないとこんなこと出来るわけがない。
私はそんな言葉の一つ一つに、憤りと張り裂けそうな悲しみを感じながら溝口君のことを思い出す。私と同じ学校に通っていた、同じクラスの溝口君。
「うちの父さんと母さんはちょっと変わっているからね」
そう溝口君が私に話す時、よくある家庭の悩みかと思っていたけれど、そうではない。
溝口君の両親は新興宗教の熱心な信者で、教義によって溝口君を『神の子』にしてしまう。冗談のような彼らの信仰は私も溝口君も望んでいない奇跡を起こす。『神の子』になってしまった溝口君は世界中に拡散して、姿をなくす。
そうして溝口君の警告が起こる。
きっと、溝口君の両親にとって溝口君の言葉で世界の不幸が減ることはどうでもいいのだと思う。ただ、溝口君という存在の奇跡があればいい。それは自分たちの正しさを証明することに他ならないから。
私は溝口君の言葉を信じない全ての人に怒りを燃やす。溝口君の犠牲を無きものにしてしまう世界を呪ってしまう。溝口君によってもたらされる祈りを享受しない人々を呪う。
世界には不幸が多すぎるから。世界にはどうしようもないことが多すぎるから。
でも、私にとって大切なことはそんなことよりも溝口君がここにいないことで。私は世界から不幸が消える日だけを呪いながら願って、溝口君の帰りを待っている。
今夜もまた、溝口君の言葉が響く。
『街が燃える、燃えてしまうよ』
誰も聞かない、聞いちゃいない。私が明日起こすことも誰も聞いちゃいない。
世界で不幸が起き続けるのなら、誰もそれを防ごうとしないなら。そんな無神経さが溝口君を奪うなら。私が全てを壊してしまってもいいじゃない。
計画は進んでいく。誰もそんなことを気に止めてなんかいない。
誰もが聞かないままの溝口君の言葉を、私だけが聞いている。
溝口君が私のことを話してくれる警告に、私は少しだけ安らぎを覚えて決行の時間が近づいていく。〈了〉
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