あなたの明日
溝口君が一年前にいる。
私は「今」から溝口君とスマートフォンの通話でだけ「過去」の溝口君と会話をすることが出来る。
『びっくりしちゃったよ。そっちが来年って本当なの?』
「来年じゃなくて今年、溝口君が去年にいるの」
『本当に驚くなぁ。大発見じゃない?』
そう溝口君は言うけれど、私以外の誰もスマートフォン越しの溝口君の声を聞くことが出来ない。溝口君もまた、私以外の「今」の人々の声も聞くことが出来ない。
それどころか、私の生きる「今」に溝口君は存在していない。
だから、私が真剣に「過去」の溝口君との通話を人々に話しても信じてもらえないだろう。頭がおかしくなったとすら思われるかもしれない。
『それで、今日はどこに行けばいいの?』
「駅前の映画館、3番シアターの映画を見て」
私には溝口君の知らない溝口君と過ごした一年間がある。それはそのまま「過去」の溝口君の知らない空白の一年間だ。溝口君に「その一年間の何処かに時間のズレの原因があるのかもしれない」「時間のつじつまを合わせるために」「正しい時間を歩いていくために」そう言って最近は電話越しに溝口君には色々な場所へ行ってもらっている。
溝口君の今日は一年ほど前に流行したアニメーション映画を見に行った日だ。溝口君と私の二人で。
溝口君は、知らない。私と過ごした一年間を。
私が「過去」の溝口君のいる一年前と違って、どういう風に溝口君と関わって、どういう風に二人が変化していったかを。
溝口君を「今」の映画館の入り口まで一緒に歩いて送っていく。「今」の映画館は、もう営業していない。
『僕ってこんな映画見るんだなぁ、趣味じゃないと思うんだけど』
「いや、溝口君それ見た後泣いてたから」
『ちょっとそれはネタバレでしょ!』
大丈夫。結局私は溝口君とその映画を二回見に行ったのだ、そうして二回とも二人で泣いていた。
私が話す「過去」の溝口君は知らない。私と溝口君が映画を見た後に行った喫茶店の紅茶の味も、一緒に食べたイチゴのタルトの味も。
だから、繰り返す。
すこしずつ、すこしずつ、私の記憶をなぞりながら。そして、少しの変化も加えながら。
『いや……すごいいい映画だった……』
映画が終わった後、真っ赤に腫らした目で溝口君はそう言う。その姿は私が一年前に見た時と何も変わっていない。
「うん。いい映画だったよね」
そう言って溝口君は喫茶店へ行く。私は一年後の喫茶店の、あの時に座った席にいる。
店は貸切で、誰もいない。既に私の今いる店は跡地になっていて、テーブルだけが残っている。
溝口君は穏やかなBGMの流れる喫茶店で、私はもう誰もいない喫茶店の跡地で言葉を交わす。
『ねえ、僕たちってどういう関係になったの?』
その言葉とともに、私は向かい側の、溝口君の手のあったはずの場所へ手を置く。
「……言わない」
そう、あの日、ほんの少し前のようで遠い過去。一年前のこの時、私は想いを伝えたんだっけ。
「溝口君、明日から三日間学校に行っちゃダメだよ」
『え、でも明日から修学旅行じゃん』
「ダメなの。行っちゃダメ」
私たちのクラスは、もう存在していない。事故に私も溝口君も巻き込まれて、何の因果か私だけが生き残ってしまった。あの時、一緒にいた先生やクラスメイトたちはもう誰もいない。
バタフライ効果というものがあるのなら、私はこれまでの「過去の溝口君」とのやりとりでたくさんの変化を仕込んできた。
事故は起こらないかもしれない。それぐらい、変化が起きていることが私には感じられた。
私は廃墟になった喫茶店の窓から外を見る。
紫、赤、青、黄色、あらゆる色の混ざった混沌とした空が見える。世界中では時空の歪みが現れて、大パニックになっている。もう、世界の終わりが間近とすら言われている。
原因はわかっている。私だ。
私が、溝口君を介して「正しくない」道筋ばかり引いている。
きっと、明日の修学旅行はこれまでの変化の中で一番大きな変化だと思う。事故の後から私は「過去」の溝口君と通話が出来るようになったのだから。
今私がやっていることは、きっと世界のあるべき姿を歪めているのだろう。
もしも、溝口君が修学旅行に行かなかったら。
もしも、溝口君が死ななかったら。
それによって溝口君が死なない世界が生まれて私たちの世界は消えてしまうのかもしれない。
それとも、もっと私の今いる世界が壊れていくだけなのかもしれない。
「私を信じて」
遠くで爆発音が聞こえる。世界の混沌に暴動が起きている。奇病が流行って皆がパニックに陥っている喧騒も聞こえてくる。
でも、私は耳を澄ますのは溝口君の次の言葉。
溝口君の明日が私の「今」へ繋がっていなくても。どこまでも間違っていても、溝口君の世界が明日も続いていきますように。〈了〉
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