食べていいのに

 溝口君が普通の食事をすることが出来なくなって、私の悲しみを食べるようになる。

 仲の良かった溝口君が私がいないと困る、ということがあまり取り柄のない私としては少し嬉しい。

 溝口君と向き合っていつものようにしばらくおしゃべりをしていると私の悲しみは消えている、らしい。いつの間にか溝口君が食べるのだ。

 私は自分の悲しみを食べられたことはわからない。溝口君は「食べてしまったから、さっきまでの君の悲しみはもうなくなってしまった」と寂しそうに言うけれど、無くなった実感もない私としてはそんな溝口君を見て余計な気負いをしないでいいのにと思う。

 溝口君のこと、私のことを色々な人が調べていくけれど原因はわからないままでそもそも本当に私の悲しみを食べているのか、ということも証明が出来ない、となって結局有耶無耶に。溝口君はたまに検査を受けるような形で落ち着く。

 私としてはそんな日常に溶け込んでしまった変化よりも溝口君の憔悴した様子の方が気になる。

「本当にごめん」

 私の悲しみを食べるようになってから溝口君はそうして謝ってばかりだ。感覚的には何について謝られているのかすら私にはピンとこない。

「僕はずっと酷いことをしている」

「いや、私特に困ってないし気にしすぎだよ」

「あるべきものを奪っているのは、ひどいことだよ」

「でも悲しいことってない方がうれしいじゃん。溝口君はお腹が膨れる、それってお互いに得じゃないの?」

「違うよ。君は僕が悲しみを食べてしまっているから、それを失っている悲しさも感じられてないだけだよ」

「そうかなぁ」

 私にはよくわからない。

「酷いことなんだよ。こうして僕は僕のやっていることに嫌気が差しているのに、結局僕は食べてしまう。我慢が効かない。ポーズでしかない。それも嫌だ」

「いや、でもこうして会っているのは学校だけだし、普通の人がする食事を一日三食としたら溝口君全然食べてないでしょ、普通だよ、というか少なすぎるくらいだよ」

 私は溝口君と平日は学校で、休日は日中に一度会う。そうしてたわいもないおしゃべりをする。その時間は、私にとって、とても大切で楽しい。

 そんな時間を過ごしている中で溝口君は私の悲しみを、いつの間にか食べているらしい。

「毎日湧いている悲しさを僕が食べているのは、本当は君が悲しむべき物事を僕が奪っているということなんだよ」

「わからないなぁ」

 私には本当にわからない。溝口君が何にこうして憤って、自分を責めているのかも、私が失っているらしい悲しみのこともわからない。

「僕にはわかる。ずっと君の悲しみを食べていて、君が何に悲しんでいるかも食べているからわかる。でもそんな状況が君の悲しみを食べないといけなくて、食べたい僕にとって都合がよくて、僕はやめていない」

「気にしすぎだよ」

 私が声をかける溝口君は以前よりだいぶ瘦せてしまった。元々痩せ気味な人だったけど、今ではちょっと触れるだけで倒れてしまいそうだ。

 私には自分の悲しみのことはわからないけれど、私の悲しみを食べるようになってからの溝口君の変化のことはわかる。

 溝口君が弱っていくことも、溝口君が以前に比べて笑ってくれなくなったことも。

 私の悲しみが食べられているらしいということを、私は本当に何も気にしていない。

 そもそも、私は溝口君がそうして変わってしまう前から何かあれば溝口君に話していたのだ。その日あったことを色々と。楽しかったこととかトラブルとか。きっと、その中には悲しみもあっただろう。そうして沢山喋って、最終的にスッキリした気持ちになっていた。

 それって溝口君に悲しみを食べてもらう今とは何も違わないんじゃないだろうか? 

 むしろ、ただ私の話を聞いてくれていた溝口君にお返しが出来て良いぐらいなんじゃないだろうか?

「違うよ」

 溝口君はそう繰り返す。

「こうして僕が毎日食べていられるくらい、今の君には悲しみが満ちていて、それを僕は奪っている。君の悲しみの理由も、僕だけが覗き見て、奪っている」

「そうかなぁ」

「君の悲しみの原因が、どうしようもないくらいに僕は嫌だ」

 溝口君の言葉は、私にはわからない。

 悲しそうな溝口君を見てもやっぱり私は何も悲しくないけれど、そんな溝口君の悲しみを私が理解することを出来ないことが少し、寂しい。〈了〉

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