あなたのことがわからない
最初はその干からびた死体が誰のものかわからなかったけど、私がプレゼントした腕時計をつけていたので恋人のものだということがわかる。
よく見ると全身がカサカサに乾燥していてミイラ状態だけど、私の恋人の溝口君だ。
私が仕事から帰ると溝口君は干からびて死んでしまっていた。
「ごめんなさい。僕が奪ってしまったんだ」
そう声がして振り返るとそこには溝口君がいた。
幻覚でも、ドッキリでもない。目の前には確かに溝口君の干からびた死体があって、私の後ろには生きている溝口君がいる。
「怒ってくれて構わない。憎んでくれて構わない。それだけのことを僕は僕に……いや、彼にしたはずだ。恋人である、君にも」
呆然としながら私は溝口君は何を言っているんだろう、なんて考える。
あまりにも突然の出来事に、恐怖も動揺もする間も持てずに私は生きている溝口君から話を聞く。
擬態生命体、と彼は私に説明した。
擬態前は人をカラカラになるまで吸い取って、乗っ取る本能でしか動いていない存在で、対象を乗っ取るとその人の姿形や知識を得て擬態するとのことだった。
溝口君は、目の前の溝口君に奪われて擬態されたのだ。その姿も、知識も、想いまでも。
「本当に申し訳ないと思っている」
そう語る溝口君は謝罪する時の俯き加減も以前と変わらないままで、私は溝口君の冗談なんじゃないか、なんて思ってしまう。
それでも、視界の端にある干からびた溝口君は消えてはくれない。
「擬態と捕食の周期がどのくらいあるのかは自分でもわからない。ただ、いつか擬態が解けて近くにいる人を襲うことだけは間違いない」
だから、と言って溝口君は私に自分を殺すか、遠くへ捨てるように言う。
今こうして目の前の溝口君が真剣に話をしてくれていることも、擬態に過ぎないのだろうか。事態に理解が追いついていない私よりもずっと、目の前の溝口君は辛そうな様子に見える。
私は結局、何も出来ない。あまりのことに判断が出来ないというのもあったし、目の前の溝口君を殺してしまうと私は本当に溝口君を失ってしまう。もう既に失っているというのに。これも擬態している溝口君の狙いなんだろうか? 私の情に訴えて、決意をさせないような。
「あれ、今日は砂糖を入れるの?」
「うん、入れるよ。コーヒーには砂糖とかミルクを入れる方が好きなんだ。」
私の前で溝口君はコーヒーに砂糖もミルクも入れたことはなかった。
溝口君の味覚も私と知っているものではないし、インドアだと思っていた溝口君がフットサルをやりに出かけて行って私は衝撃を受ける。
私は考える。
これは擬態されたからで、溝口君の趣味ではないのかもしれない。
「そうかもしれないね。僕はきっと色々な人を渡り歩いて今の僕になっているから。知らない誰かの趣味なのかもしれない」
新しい溝口君は言う。
だけど、と同時に私は思うのだ。本当は、もしかするとずっと前から溝口君はそうだったのかもしれないと。
私の前だから格好つけてコーヒーに砂糖もミルクも入れなかったのかもしれない。私の趣味ではないからフットサルもやらなかったのかもしれない。
ずっと一緒にいて、同じ部屋で暮らしていたのに溝口君の本当のところを何一つ確信を持って理解していると私は言えない。
擬態をしている溝口君が、わざと違和感のある振る舞いをして私にかつての溝口君のことを諦めさせて殺させようと仕向けているのか。それとも本当に知らないうちに溝口君ではない、擬態生命体にかつて擬態された人々の側面がこぼれ落ちているのかも私にはわからない。
何もわからない。
ただわかることは、私に溝口君を失うことは耐えられないだろうということくらいだ。
「何度も言うようだけど、僕を殺すかどこか捨てた方がいい。いつこういう時間が終わるかも僕にはわからない」
夕食の後、必ず溝口君はそう言うけれど私は生返事で流してしまう。
ここのところ、私は思うのだ。目の前の溝口君がもう、かつての溝口君とは変質していたとしたら。
もしも私の知らない溝口君の振る舞いや仕草が他の犠牲者のものならば、きっと擬態生命体は多くの人々の性質を併せ持つ。だから、私もまた吸収されて擬態されるのなら新しい私は溝口君の仕草も併せ持つ存在になるのかもしれない。
まるで、私と溝口君の子供のような。びっくりするぐらいあけすけでグロテスクなイメージ。でも、それはそれでいい気がした。美しくも正しくもないけれど、私は溝口君と共に在れるのならそれもいい気がする。
反対に、もしも全てが溝口君の本当の振る舞いだったとしてもそうであるならばそれで私は溝口君の知らない側面を最期の刹那まで知ることが出来るのだ。
「溝口君」
「うん」
「私たち、ずっと一緒にいましょう。きっと、それでいいと思うの。それで」
私の言葉を聞いて溝口君は悲しそうな顔をする。私はまだ、今の溝口君のその表情の意味をわからない。〈了〉
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