凍えるほどにあなたをください

新巻へもん

甘くて冷たいあなた

 くそお。タカシの奴。何が楽して稼げる高給バイトだ。ぜんっぜん楽じゃねえ。きつい。はっきり言って死ぬほどつらいじゃねえか。目に入りそうになる汗をぬぐいたいがそうもいかない。直人が心の中で再度悪態をつこうとしたところで、みぞおちに衝撃が走った。


 うぐ。込み上げてくる胃液を無理やり飲み込む。

「ぎゃはは」

 直人が狭い視界の覗き穴を通じてみると小学生低学年のクソガキが走って逃げていくところだった。


 今日3度目の直撃弾に怒りが倍増する。どうして、このショッピングモールにいるお子様たちという奴は躾がなっていないんだ。直人に飛び蹴りを食らわせたガキの母親らしき女性は同年配の女性と世間話に忙しく、子供の凶行にちらりと目を走らせても注意するそぶりもみせない。


 着ぐるみの中に入っている直人としては反撃するのは論外にしても、微妙に角度をずらしてダメージを軽減する技を編み出したはずだった。しかし、暑さと息苦しさとで思うように体が動かなくなってきている。元々、直人が中の人をしているナントカというキャラクターはバランスが悪い。はっきりいえば頭でっかちだ。


 重心が上の方にあるので、うかつに視線を下に向けるだけでつんのめりそうになる。その重い頭部を支えなくてはならないので首回りがきつい。そうじゃなくても呼吸が苦しいのに増々息苦しくなる仕組みだった。別のキャラクターに入っているベテランのテツさんは、顔合わせの時にニヒルな笑みを浮かべて言っていた。


「それでも、こいつは新キャラだからまだマシだ」

「そーなんすか?」

「ああ。使いまわしている奴は死ぬほど臭い。そういう意味じゃ君はツイてる。まあ、死ぬほど暑いのは変わらんけどな」


 実際、最初の30分でテツさんの言わんとすることは理解できた。ショッピングモールのフードコートに隣接するふれあい広場は空調完備。重いコート類は車の中に脱ぎ捨てて薄着で快適な買い物ができるようになっている。真夏の炎天下に比べればマシだが着ぐるみを着ていては快適温度とは程遠いのだった。


 1日に5回のアニメ関連グッズの即売会の度に直人は30分近くの苦行をすることになる。一応、その時間以外は控室で休んでいられるのだが、首から下は脱ぐことができない。この仕事を請け負ったイベント会社の若いにーちゃんは仕事に不慣れなのか気が利かないのか、控室に用意した飲み物はホットばかりだった。


 中の人など居ないことになっているので控室の外に出ることもできない。出番の前にポットから湯呑に注いでおいたお茶は戻ってきたときには片付けられていた。昼の弁当も冷めたやつでいいのに、紐を引くと熱々になるタイプ。しかも、戻ってきたら既に紐が引いてあり、シュウマイの臭いが控室に籠っていた。


 汗をかきかき直人は弁当を食う。立ち仕事で食べないという選択肢は無かった。なんでこのような目に合っているのか直人は自分の不運を呪う。まあ、カノジョのカンナの誕生日が近いのに手持ちの金をソシャゲに突っ込んだ自分が悪いといえば悪い。そんな直人の金欠状態を見透かして、悪友のタカシが探してきたのがこの単発バイトだった。


 確かに拘束6時間で日払い1万円交通費別途支給は条件としては良かった。2万円あればなんとかカンナの誕生日に恰好がつく。ただし結構命がけということを考えると割が良いんだか悪いんだかは判断が難しい。ヘロヘロの状態で初日を終えた直人は1万460円を手にする。従業員通路を出たところにはSNSで泣き言を伝えたカンナが待っていた。


 直人はけいれんする足で倒れこむようにカンナに近づく。

「ちょっと、人前で抱きつかないでよ」

 直人は脳裏に冷たく甘いアレを思い浮かべ、手にしたばかりの1万円札をカンナに無理やり押し付けた。

「ア、アイス買ってきて。10個ぐらい」

「やーね。お腹壊してもしらないから」

「いいから。頼む。今は凍えるほどにアイスが食いたい」


 直人は茹でたタコのような赤い顔をして苦しそうに見える。ため息をついて、カンナが向かった先はシングルでも300円超するというアイスクリーム屋だった。アイスに対する金銭感覚の違いが生む悲劇。食べ終えた直人がお釣りを受け取り、別の意味でも震え上がったのはその15分後のことだった。

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