番外編

after① バレンタイン

 放課後、茉梨奈まりなさんに呼ばれた俺は生徒会室へ来ていた。

 倖楓は用事があるとのことで先に帰ってしまった。


「はい、これ」


 茉梨奈さんがおもむろにを俺に差し出した。

 赤い包装紙でラッピングされた文庫本くらいのサイズの箱。

 呼び出された時も今もどういう要件か言われなかったものの、これが何なのかすぐにわかった。


「ありがとうございます」

「あら、義理か本命か聞かないの?」

「……勘弁してください」

「冗談よ」


 クスクスと笑う茉梨奈さん。

 たぶん、本当にからかっているだけなのだろう――そこに少しの仕返しが込められていたとしても俺は文句を言えない。


「それと、もう一つ持って帰って」


 さっき渡されたものと全く同じ箱が出てきた。


「これは?」

の分よ。あなたにだけ渡したなんて知ったら、何を言われるかわからないもの」


 面倒そうに聞こえるものの、口元は笑っている。この人も素直じゃないな。


「それで、あの子からはもう貰ったの?」

「……それが――」


 バレンタイン――『二月といえば』とアンケートを取ったら、今は節分よりも多く票が集まりそうなイベント。

 ありがたいことに、俺は毎年無縁というわけではなかった。

 小学生の頃は倖楓さちかと母親の聡美さとみさんから。

 あとは槙野まきの明希はるきのついでにとくれたり、茉梨奈さんからも貰っていた。

 こういう時に家族を含めていいものか微妙ではあるが、中学時代に倖楓から貰えなくなったことを哀れんでか、三年間俺の部屋の机にはチョコの入った白い箱が置かれていた。


 ――そして今年。

 実に三年ぶりに倖楓と過ごすバレンタインデーだ。

 期待、というより俺は少しだけ怖かった。

 倖楓なら『今まで渡せなかった分』と考えて、俺には想像も付かないようなことをしでかすのではないかと思ったからだ。

 しかし、バレンタインが迫っても倖楓が全くそのことに触れない。

 テレビで特集していても、買い物へ行った時にポップを目にしても、全く話題にしないのだ。

 俺から話題にするのもはばかられ、結局今日まで何も音沙汰無いという奇妙としか言い様がない状況になっていた。


「――ってかんじで」

「嵐の前の静けさね……」


 説明を聞いた茉梨奈さんの思案顔が、俺を余計に不安にさせる。


「まあ、今日くらいは好きにさせてあげなさい」

「それは……そうするつもりですけど……」


 俺は朝から諦めに近い覚悟を決めている。

 急に同居することが決まっているような相手だ、予想しようとしても無駄だろう。

 ただ、先に帰ったことから何かあるのは間違いない。


 俺は茉梨奈さんに挨拶をして、そのまま家路へ向かうのだった。



  *



 帰宅してすぐ、玄関まで倖楓が出迎えにきた。


「おかえりー」

「た、ただいま……」

「どうかしたの?」


 どうしても拭えない緊張が倖楓に伝わってしまったらしい。


「……なんでもない。大丈夫」

「そう? まだ夕飯出来ないから、先に着替えちゃってね」

「わ、わかった」


 料理の途中だったのか、倖楓はあっさりとキッチンへ戻っていった。

 拍子抜けとしか言い様のない出迎えに、俺は膝から崩れ落ちるかと思った。


 気を持ち直してリビングへ入るも、やはり特別なことは何もない。

 俺も倖楓も、もうすぐ高校二年生になるんだ。きっと、イベント事ではしゃがなくなるほど落ち着いたということに違いない。

 そんな結論を導き出し、俺は着替えるために寝室へ向かう。


 部屋に入り、バックを机に置こうとした俺の目にが映る。

 とても見覚えがある白い箱。


 バックを脇に置き、その箱をそっと開く。

 中から出てきたのはガトーショコラだった。


「もしかして、ずっと……?」


 俺が気付くのを見計らったように、寝室の扉が開いた。

 もちろん、開けたのは倖楓だった。


「倖楓、これ……」


 まだ少し混乱する頭で、俺は倖楓にガトーショコラを指差した。


「うん。私から、ゆーくんに」

「違う、そうじゃなくて――」

「ごめんごめん、ちょっと恥ずかしくなっちゃって」


 照れ笑いする倖楓。

 そして、そこには少し自嘲が混じっているようにも見えた。


「ほんとはね、黙ってようかなって思ったんだけど、伝えたくなっちゃった」

「それじゃあ、やっぱり」

「うん。中学の時、ゆーくんの机に置いてあったのは私からのバレンタインだったんだよ?」


 あの箱は、ずっと母さんと姉ちゃんからだろうと思っていた。

 だから母さんにお礼を伝えたとき「よかったわね」と返され、てっきり「もらえた数が増えて」という意味だと捉えていた。

 あれはきっと、母さんなりのヒントのつもりだったのだろう。


 そして、俺はずっと見当違いの相手にお礼をしていたことになる。


「ごめん、気付けなくて」

「ううん。こうして今は面と向かって渡せたから、それでいいの」


 それなら、俺も今度こそちゃんと伝えなくてはいけない。


「倖楓、ありがとう」

「うん」


 こうしてお互いに笑っていられることに、俺は改めて幸せを噛みしめる。


「あ、そうだ」


 不意に、倖楓が思い出したように声を上げた。


「なに?」

「ホワイトデー、楽しみにしてるね」

「……努力はする」


 もちろん蔑ろにするつもりはないが、期待されると少し自信がない。


「だって、ホワイトデーのお返しは三倍っていうらしいもんね」

「……え?」

も合わせたら何倍になるんだろ?」


 倖楓が指を折って数え始めた。


「ちょっと倖楓さん?」

「さ、夕飯の支度に戻ろっと」

「待った! 俺がやる! しばらく家事は全部俺がやるから!」

「えー? どうしよっかな~♪」


 倖楓のご機嫌を取った後のガトーショコラは、心身に染みる甘さだった。

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俺にラブコメを仕掛ける強襲型幼馴染 一葉司 @ichibatukasa

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