第4話
お師匠さんには事情を説明し、母との稽古日が重ならない様にしてもらい、携帯からは母の連絡先を消しただけではなく、LINEなども全てブロックしました。
しかし、母と絶縁をしたつもりでもそう上手くはいきません。
同じ流派の為、稽古に行けば何も知らない他の門下生から「お母さん元気?」「一緒にお稽古来なくなったの?」「お母さん頑張ってるよ」と、声を掛けられる。
そして「お母さん、お稽古休む様になったのよ」と、教えられました。
ーーーーーー
一方の僕は、母から開放され、まるで長い呪縛から解放晴れた気分でした。
たしかに最初は、母への罪悪感や心配ではあったものの、「自分の為に生きて行こう」と、心に誓いました。
より踊りにも仕事にも集中できて稽古に通いました。
少しでもお師匠さんに近付きたくて、稽古
日以外でもお師匠さんにお願いし、お師匠さんのひとり稽古を仕事終わりに三十分だけで見学させて頂いたり、稽古がある日は朝から夜まで他の門下生の方の稽古を見学させて頂きました。
そんな事をしていたら、気が付けば僕は、お師匠さんのニ、三番弟子のポジションとなっていました。
お師匠さんの発表会ではお付きをさせて頂きました。
そして、「好きな時に稽古に来なさい。貴方なら月謝や稽古回数を気にせず、稽古をつけてあげましょう。私が居なくても好きに稽古場を使いなさい」と、とうとうお師匠さんからお師匠さんの稽古兼ご自宅の合鍵を渡されました。
しかし僕は鍵を受け取りませんでした。
それは、同じお月謝を支払っている他の門下生の方に失礼だと思ったからです。
そんなある日。
いつもなら稽古中にお師匠さんから叱られたり、扇子が投げられてくるのに、その日はお師匠さんは無言で僕の踊りを観ていました。
そして「いいでしょう」としか、声を掛けてくれなくなりました。
そんな稽古が続き、不安になった僕はお師匠さんを問い詰めました。
「僕はお師匠さんに憧れて日本舞踊を今日まで続けて来ました。
そしてこれからもお師匠さんの様な踊りが舞える立方となりたい。
名前を得り、師範代となって、いずれはお師匠さんの様な師範代にのなるのが人生の目標でなんです」、と。
するとお師匠さんは、
「だからだよ。
貴方の思いや踊りへの誠意は、貴方の踊りから全て伝わってきていた。
だからこそ、貴方の踊りが変わった。
踊りというのは、最後はやはり、年齢や経歴ではなく、その人の志や人間の本質や今までの人生が滲み出たり、踊りの“要”となるのです。
これからももちろんお稽古は見ます。
しかし、貴方に振りや曲以外でこれ以上私から貴方に教えられる事、伝えたい事、伝えられる事はもうないのです。
もう貴方は、私の踊りじゃない。
貴方の“舞”を踊れる様になっている。
これからは、貴方の“舞”を踊りなさい。」と、言われました。
僕の頭と心は空っぽになりました。
僕の踊りとはなんだ?
踊りにはそれぞれの登場人物がいる。
僕はお師匠様に踊れる様になりたかったのに。
これから何なればいい?
何を舞えばいい?
わからない。
僕の踊りとは?
“僕”は“僕”で、無名でこんなにもちっぽけな存在じゃないか。
お師匠さんだけじゃない。
壁がたくさんある。
厚くて。
高くて。
しかし、その壁に僕は近付けないし近付こうとしても壁は僕からは全て遠いんだ。
悩みながらも稽古をしていたある日、僕は事故に合いました。
ーーーーーー
それにより、母と再会しました。
「母さん。本当にごめんなさい。」
「いいのよ!生きていてくれただけ!」
血だらけの僕を見て母は泣き、僕も泣きました。
そこからは母と連絡をとるようになり、母は、相変わらず稽古はお休みしているものの、僕と離れてから女性専用のフィットネスに通う様になり、若い頃憧れていたディスコ等に行く様になり友達が増えたそうで、鬱も良くなり薬が減り、カウンセリングや病院の回数も減ってきた、と言うのです。
もしかしたら僕の存在が、母に逆に負担になっていたのではないか、と今では思います。そして母への感謝の気持ちが止まりません。
一方の僕は車椅子と杖の生活となり、事故の後遺症の痛みと、回復の兆しが見込めない事からインストラクターの職を失いました。
稽古にも行けず、踊れない日々。
眠れば、歩けたり走れたりする夢ではなく、踊っている夢ばかりを見るのです。
そして目が覚めると、現実を突きつけられる。
夢の中ではわかるのです。
「これは夢だ」
「夢なのはわかる。でも夢なら覚めないで。」
と、夢の中でも懇願してました。
僕は、車椅子と杖と後遺症の痛みよりも「もう踊れない」「お師匠さんの様に舞えない」と、いう事実が何よりも辛かったです。
人生の目標も生き甲斐も見失った僕は心臓を抜かれ、感情を無くした人形の様な状態でした。
今では車椅子も杖も無く歩ける様に回復しました。しかし後遺症がある為、走れませんし、踊りも踊れません。
その為、僕は日本舞踊を辞めました。
しかし今もお師匠さんから日本舞踊のチャリティーやイベントや舞台へ観客として、お誘いをして頂けております。
観にいく度に、やはり「舞いたい」と、思うのです。
仕事も無事に見つかりました。
身体が不自由でも、こんな僕でも働ける場所や出来る事がある、というしあわせ。
ーーーーーー
今なら“僕”の踊りが舞える気がする
のです。
踊りの登場人物ではなく
誰かの憧れでなく
若いですが、僕の今までの短い人生と生き様の“舞”を。
でも、僕はもう踊りでは“舞”ません。
生きているだけで舞っている。
生きているだけで歌舞いている。
そんな、踊りでなくても表現できる人生や生き様は沢山ある。
これからも生きていく。
そう思うのです。
ーーーFinーーー
雨の五郎 あやえる @ayael
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