第8話



 母親の言った通り、大きくて強そうな魔物はアテライエルを獲物としか見ていなかった。

 ギロリと睨む眼に恐怖は感じなかったが、今までと別の意味で友好関係は結べそうになかった。

 残念そうな顔を浮べるアテライエルの横には黒い大剣を持った屈強な大男。その男の睨みは、それら強靭な魔物すらびびらせていた。

 そのかいあって、何事もなく無事に深緑の森を抜ける事が出来たアテライエルは一昼夜歩き続け。


 翌日―― 


 夕日に染まるなか家族と対峙していた。 

 産みの親とは違う家族。母と別れてまで会いたいと思った人。 

 でも、恐くて一歩が踏み出せないでいた。

 いつもなら、思いっきり『むっぴー!』と鼻息を荒くして飛びついていたのに。

 母親の言葉がアテライエルの心に襲い掛かる。


『当然であろう! 今まで、何事もなく過ごしてこれたのは、全てあふれでる魔力のお陰でしかない。人間に懐かれたのも、強靭な魔物から身を守ってきたのも全て、この私が与えた力ゆえと知れ!』


 そんな表情を読み取ったファルトは、隣に慄然とする大男を見据える。

 漆黒の鎧に大剣。2メートルをこす大男はただ立っているだけで恐怖の対象と言えた。


「おい、アテライエル! いつになったらただいまと言ってくれるんだ? お帰りさないを言わせたかったらこっちにこい!」

「むぴっ?」いいの?

「ばか! いいも悪いもあるか!」

「うむ。アテライエルよ。どうやら母様の言った事とは関係なかったようだな。お主が、魔力を封じられてもヤツは迎え入れてくれると言っているぞ!」

「むぴ?」本当に?

「ああ、だから行くがいい」


 ファルトは、脱げ出したい恐怖を無理矢理かなぐり捨ててアテライエルに近付いて行く。


「私の名は、ファルト・レイン。ここまでアテライエルを送ってくれた事に感謝する」

「うむ。ファルトとやら、安心しろ。残念ながら我はお主と合わせる剣を持っていない」

「あ、いや。無礼は、承知の上! 悪いが! アテライエルは俺達の家族なんだ!」

「うむ。緊張するなと言う方が無理な話だったな。だが、ファルトよ。我よりも遥かに強い存在を家族と呼ぶのならば、何故我の様な小物を恐れる?」

「見た目が怖いんだよ!」

「ふむ、そうであったか。残念ながら我の全ては母様が作ってくれたものなので替えるわけにはいなんのだ。ゆえにファルトよ! 諦めてくれると助かる」 

「むっぴーーー!」おにいちゃんは、ここまでボクを送ってきてくれたんだよ!


 アテライエルにしては珍しく鼻を強く鳴らす。


「すまない! 謝る!」

「ふっ。気にするな」


 大男は優しく微笑む。


「では、ファルトよ。弟をよろしく頼む」

「ああ分った。その、本当にすまない」


 ファルトは、手を差し出す。


「ふむ。我と友好を交わそうと申すのか?」

「いや、それも、なきにしもあらずだが、どちらかというと侘びだ」

「そうか」


 野球のグローブみたいなでっかい手がファルトのごつごつした手を優しく包み込む。

 それを見て、ようやく調子を取り戻したアテライエルがファルトに飛びつく。


「むっぴー!」ただいま~!

「うわ~わわ~!」


 ふにふにした肉球ががっちりと顔を挟み込み。キスをする様に顔を舐めまくる。


「ほ~。これが、お主達の挨拶か」

「むぴっ!」そうだよ!

「では、さらばだ。弟……いや。アテライエルよ!」

「むぴっ!」いってらっしゃい!

「っと! 待ってくれ!」

「うむ。どうしたファルトよ?」

「いや、せめて名前を教えてくれ」

「ふむ。残念ながら我は母様より名を与えられておらぬ。だが人間からは英雄王と呼ばれている。好きに呼ぶがいい」

「そうか。英雄王! アテライエルを。家族を送ってくれてありがとう!」

「ふっ。ではたっしゃでな」


 大男は、軽く手を上げると森の中へ消えていき――アテライエルとの暮らしが再開した。

 




 世界を手中に収めようとする者にとって厄介なのは現在最も力を有する者達である。

 ゆえに英雄王はガーストが統治する新生デルタイリア帝国に対し全面降伏をしろとつきつけた。

 それも真っ向からデルタイリアに乗り込んでである。宣戦布告以外の何ものでもなかった。

 簡単な道のりではなかったはず。

 ただ大きい、それだけで目立つのだから、ここに来るまでに何度も争いはあったし。門だって固く閉じられていた。

 ガースト側からしたら、それなりの準備をして迎え撃つ予定だったのにもかかわらず。英雄王は、それら全てを簡単に突破して見せたのである。

 今まで築き上げてきた常識など通用しない相手だと知ったガースト。

「一週間の猶予をやる」と言って去って行った英雄王に対しガーストは総力戦で迎え撃つように指示を出し、兵を集めた。

 なにせ相手は深緑の森から出て来た魔物である。

 見た目こそ人に似つかわしいが多くの魔物を従えているという。

 諜報部隊からの情報なので間違いはないだろう。

 戦いが泥沼化するのは明らかだった。

 なにせ深緑の森に住まう強靭な魔物達との全面戦争である。

 そんな時だと言うのにラゲッタは相変わらずで――ガーストの全く予想しなかった戦略プランを持ってきた。

 それを知ったガーストは、ニヤリと笑い。

 本体の指揮を別の者に任せ。遊撃部隊の指揮をとることにしたのだった。





 ――近々大きな戦争が始まるかもしれない。


 そんな時でもリュタリアは平和だった。

 誰もがありきたりの日常を過ごし。戦争が始まるなんて誰も知らなかった。

 開戦予定よりも早いとなればなおさらだろう。

 ファルトはアテライエルと共に漁に出かけアルメイリアも教師のような事をして過ごしていた。

 そんな日常をとつじょガースト達遊撃部隊が襲ったのだ。

 魔物と真剣に争うというならばリュタリアはかっこうの拠点となるからという側面もあったが一番は別。

 娘のアルテリファの奪取だった。

 アルメイリアが村の様子がおかしいと気づいた時には中央広場に皆が集められていて――縄で縛りつけられていた。

 もう二度と見たくないと思っていたガートスとラゲッタが居た。

 

「久しぶりだなアルメイリアよ」


 アルメイリアは怒気を込めて睨みつける。


「どういうおつもりですか! ガースト様?」

「ふっ、キサマも徴兵制度は知っておろう?」

「だからと言って、これではあんまりではありませんか?」

「近々、魔物の大将とやらと一戦交える事になってな。その余興として私を楽しませてくれ」

「――なっ!」


 絶対にろくな事じゃないと思った。


「知っているだろ。私は騙し欺くことはするが。自分から言った約束は必ず守る男だと。だからこそ約束しようアルメイリア。これから来る者の持ち物を奪い返したなら民も解放するし今後一切リュタリアに手は出さないとな」


 風使いが現れて小さな女の子を抱いていた。女の子は顔色が悪く息が荒い。額には大粒の汗。

 明らかに毒を盛られていると思った。

 アルメイリアの娘であるアルテリファだった!

 あまりの出来事にアルメイリアは声も出せずに震えていた。

 そんな姿を見てガーストは笑い転げそうになるのを我慢してなるべく平静に声を絞り出す。


「安心しろ、アルメイリア。きちんと解毒剤もある。手遅れになったとしても奪ってこれば民衆は解放すると約束しよう。もっとも早くしなければ、娘の命はないがな」


 従うしかなかった。

 ガーストの合図で風使いが疾走するとアルメイリアも全力で追いすがる。

 アルメイリアは人を傷つけることを覚悟して足を狙うが!

 相手の防御結界に阻まれ致命傷を与えることができなかった。

 娘に傷をつけたくないと躊躇もするが、時間がない。

 その一方で風使いは驚いていた。

 本来魔法攻撃は線で狙うものが主流だったからだ。

 相手に向かって放つのが基本。

 しかし、アルメイリアはピンポイントで自分の足の骨を狙って内部から焼き切ろうとしてきたからだ。

 たった一回の攻撃で幾重にも重ねた結界が一気に無効化された。


『最強の炎術師の名は伊達ではなかったということか……』


 腕試しがしたくて挑んだ相手は予想をはるかに超えた怪物だった。


『ならば逃げる一手のみ――』


 対人戦として真っ向勝負すれば勝ち目なないが自分に課せられた仕事は逃げること。

 手ごたえはあったのに、一発でしとめられなかったことに焦るアルメイリア。

 相手の結界が予想以上に強力だったからだ。

 しかし、下手に火力を上げれば娘も傷つけかねない。

 かといって抑え過ぎれば、相手の足止めは叶わない。

 繊細に、正確に、最短で相手の足を焼く――それしかない!

 森に入る前にかたをつけようとするが、あいてが急加速したのと、自分の息が上がってしまい思った以上にダメージを与えられず森に踏み込まれてしまう。

 そこからが、風使いの真骨頂だった。木々を盾として縫うように走る。

 ピンポイントで狙い打てるアルメイリアにとってそんなもの無いも同然だったが――それでも、高速で動いている相手というのは厄介だった。

 やがて、相手が度々足を止めて待つ様になる。アルメイリアの息が上がって、走るペースが落ちてきたからだ。

 枝を足場にして飛び交える風使いと違ってアルメイリアは自分の足で走るだけ。いくら、なれた森の中とはいえ、油断すれば木の根や堆積した落ち葉で足を取られる。

 完全に相手の策にハマってしまっていた。木の上にいる相手を下手に攻撃すれば娘もろとも落ちてくる。相手の防御結界が、時間稼ぎでしか無かったとしたら――

 娘の命は最初から助けるつもりはなかったのかもしれない。

 死んだ娘を抱いて戻る姿を見世物でも見るみたいに見物して悦に浸る……実に彼らしい考え方だと思った。

 もう、相手の良心に訴えるしか手は無かった。


「返して! 娘を返して!」 


 いくら叫べど相手の男は、一定の距離を保つ様に深く深く森に入っていく。

 そして、魔物の領域に入ると! まったく怯みもせずにそちらに向かって飛んでいく!

 一見すれば熊だが。額と胸に黄色い紋章が描かれた魔力を有する熊モドキ。魔物である。

 その大きさは、3メートルを超え。たった一度手を振っただけで、風使いを仕留めるであろう。そうなれば、当然抱かれた娘も死ぬ。

 魔物が風使いに襲いかかろうとする! 一撃で吹き飛ばすしかないと、アルメイリアは魔物の胸を爆炎させた。


 心の中で、『ごめんなさいと!』強く謝る。


 風使いは、また跳躍して木の上に逃げて奥へ奥へと向かい――魔物が現れば確実にその方向へと向かいながら奥を目指す。

 次々と上がり始める炎と煙。高みの見物をしていた二人は笑う。


「よもや、これほどの実力を持っていたとはな。まさに宝の持ち腐れとはこの事だ」

「ですから言ったではありませんか。あの手合いは、自分のためではなくだれかのためにこそ力を発揮するタイプ。戦争に行けと言えば自害しかねないでしょうが娘を守るためなら魔物すら焼き殺す実に動かし易い駒ですよ」

「なるほど。うむ。確かにお前の言ったとおりだ!」

「ですが……」

「どうした?」

「いえ。もしも、このまま彼女が突き進んで本命を倒してしまったら、陽動作戦が失敗しかねないと思いまして……」

「あはははは! だったらそれはそれで良いではないか! そうだな! もしそうなったらアルメイリアには英雄の名でも与えてやるとしよう魔物を倒し世界に平和をもたらした英雄としてな!」

「なるほど、それはいい。たかが娘一人の命で英雄になれるなら安いものでしょうしね」

「ああ! あはははは! 全くにもってその通りだ!」

「では、もしその時が来ましたら。ぜひ戦略の教本に記して欲しい事があるのですがよろしいでしょうか?」

「ほー。軍議は苦手と言っていたお前がいうとは珍しい」

「ええ。実際戦略として使えているみたいですし」 


 また、派手に爆炎があがった!


「あはははは! 確かに、これは認めねばならんだろうしな! で、なんと記せばいい! 言ってみろ!」

「駒を動かしたくば、駒を知れと」

「がはははは! それは良い! この作戦が成功したら教本の第一章として記してやろうじゃないか!」

「いえいえ。さすがにそれは照れますので。3章目くらいにして頂きたいかと」


 二人は馬鹿笑い。


 大きな魔力を持った気配が多く集まってきたところで風使いはふわりと木から舞い降りて――娘を、そーっと。堆積した木の葉の上に置いて逆送を開始する。

 その気になれば男を瞬殺できるが、相手が逃げると判断したならもう関わる必要はない。

 娘の安否を確認するのが最優先である。アルテリファは、ぐったりとしていた。

 息も細く、心音も弱々しい。素人目に見ても、余命幾許か(いくばくか)といったところだった。

 今から戻っても、もう間に合わないかもしれない。

 それでも――と抱き上げたときには、散々踏み荒らした責任を取れと迫ってくる魔物が周りを取り囲んでいた。

 アルメイリアは叫ぶ!


「私の命なら後であげます! だから! 今だけは! 今だけは! 見逃して!」


 ふざけるな! さんざん同胞を焼き殺したヤツが寝言いってんじゃねー!

 そんな顔した魔物がアルメイリアに遅い掛かる!

 睨み! 恨み! 唸る!


「近付かないで!」


 業火が円を描くように高々と燃え上がる!


 双眼鏡で見る二人は、「おお~!」と、歓声をあげる!


 いくら、炎が熱くとも、触れば身が焼かれるとも怒り浸透した魔物には届かなかった。

 手前に居た魔物が屍となって橋を作れば次々と同胞を殺し捲くった敵を倒し敵を討とうと襲い掛かる。


「いやーー! こないでーー!」


 泣き叫びながらアルメイリアは本気の炎で全てを焼き払った。


 森ごと魔物を――


 そして、自分で自分の退路を奪った事に気付いた時は、ただただ泣くしかなかった。

 強過ぎる炎は堆積した落ち葉を焼き上げてしまい煙と熱で視界が揺らぐ。

 へたに踏み込めば、焼けた地面は自分ごと娘も焼け死ぬ。

 先程消炭にした魔物達のように。


 悲しい泣き声――その声に反応して緑色の小さな魔物とファルトが木の上から飛び込んできた。

 深緑の森の惨状を見ればアルメイリアが本気の炎を使っているのは遠目でも分かったからだ。


「すまない、私の判断が甘かった」


 アルメイリアはただただ泣くばかり。

 ファルトも娘の命が風前の灯だと直ぐに気付いた。

 紫色してぐったりした表情は、限りなく死人に近かったから。

 抱いて逃げてと押し付けられた娘を抱いても逃げる気配はない夫にアルメイリアは、それでもと言う。


「…っ! っく、げて! に、っ! げて!」


 しかし、ファルトは首を振る。


「すまない。私ももう力を使い果たしている。ここで二人を失うなら。私も共に逝こう」


 そこに、大きな魔物が現れた。

 強い力がより強い魔物を引き寄せたのだ。

 本能でしか動かない様な知能しか持ち合わせていない殺戮王だった。


「人間……俺と力比べしろ。人間……ここまで人間が来た……人間凄い。人間……俺と力比べしろ」


 低脳な知性と全を破壊する腕力をもった暴れ者。


「人間……くらべる力ないなら死ね」


 アルメイリア達を襲おうとした殺戮王に対しアテライエルは、「キュキーーー!」と奇声を張り上げて威嚇する。

 始めて口を開いて奇声を上げたアテライエルの言葉『止めてお兄ちゃん!』に殺戮王は思わず躊躇してしまう。

 それを見てアルメイリアは思った。アテライエルの奥底に眠る巨大な魔力に願いを託せば――あるいはこの窮地を逃れる術があるのではないかと。

 例え、どの様な形であっても。これ程の魔力の持ち主ならば、可能性が有るかもしれないと――


「ねぇ、お願いアテライエル。アルテリファを、おねえちゃんを助けてあげて!」


 アテライエルは聞こえない振りをするが、垂れ下がった尻尾が拒否を示していた。

 その意味する事は出来ないではなく。


「そう、あなたにはその力があるのね」


 やりたくないだった。

 耳がぴくんと跳ね上がり内心を知られた事にアテライエルは怯える。

 しかし、アルメイリアは逃がさない。もう、他に頼る者は居ないのだ。例えどの様な事を引き換えにしたとしても例え己の命を差し出すことになったとしても娘の命を守りたかった 救いたかった。


「ねぇ、おねがいアテライエル。おねえちゃんを、助けてあげて!」


 切なる想いにアテライエルは応えた。

 その声はアルメイリアの心に響く。低く雄々しくも暖かな声でソレはこう言った。


『ならば汝が光り。我に差し出す覚悟はあるか?』

「そんなものでしたら身体ごと差し上げます!」


 即答だった。アルメイリアは微笑んでいた。我子が助かるのならこの身に未練などないと――

 アテライエルを産んだ主が掛けた呪縛を解く為に咀嚼する。

 それが唯一にして無二の方法だった。

 初めて食べた人間の光の味は今まで食べたどんなに甘いものよりも甘い。ハニーブレットよりも完熟したキイチゴよりも遥かに甘い。ジューシーで噛めば噛むほど濃厚な甘味は口に広がる。

 美味しい、もっとも食べたい。欲求のままもう一つ。

 先程の甘さなんて比較にならないくらい甘かった。

 本能が求める、この食べ者は食べれば食べるほどに甘く美味しくなるのだと――

 世界にはまだまだ人間はいっぱいいる。それらを食べ続ければどれだけの甘さになるのだろうか?

 ごくりと喉がなる。食べたい食べたいもっとも食べたい!

 それこそがアテライエルを産み出した女の本当の狙いだった。

 一度でも口にしたならばその味を求め世界全ての光を口にするまでその食が止むことはないようにと。


『なんでも獲り過ぎたらダメなのさ』


 それはいつしかファルトと共に漁に行った時の言葉だった。

 瞳の光は一対でじゅうぶん。

 それで、自分の力は解放できる条件は整う。


 だから―――


 アテライエルは、その欲求ごと噛み砕き叫ぶ!


「キュッキーーーー‼」


 甲高い絶叫と共にアテライエルの身体は何十倍にもなり森の木々を軽々とへし折った。

 そして、その美しさに、神が創ったしとか思えない造型にアテライエルの姿を見たものは酔いしれた。

 艶やかな鶯色の毛並。背中から生えた七色に輝く七枚の薄い羽。

 大きく煌びやかな眼は透き通ったエメラルド。

 神々しいまでの美しさに皆が飲まれるなか七枚の羽が揺らぎ鶯色の霧を撒き散らす。

 それは濁流の如く全てを飲み込んでいく――森も炎も人間も魔物も世界すらも飲み込んでゆく。

 霧は瞬く間に堆積しそれら全てをエメラルドの結晶の中へと幽閉する。

 それは時を統べるものとしての力の片鱗。安息なる聖域だった。

 その結晶に閉じ込められたモノは時の呪縛から逸脱し決して朽ちる事無く永遠に存在し続ける。

 動くことも喋ることも想いを伝えることもできない。

 ただただ、そこに存在しているだけ。

 死んではいない……でも、果たしてこれは生きているといえるのだろうか?

 助けたと思っていいのだろうか?

 アテライエルの足元には大きなエメラルドの塊が在る。

 その中には寄り添った家族達が安息の寝息を立てているかの様だった。

 全てが止まってしまった世界。

 動けるのはアテライエルただ一人だけ。

 深緑の森を統べる王となったアテライエルは求めた。

 いつか、だれかが、自分達を助け出してくれる夢のような物語を――

 

 魔王は願う。

 

 お姉ちゃんを助けて欲しいと――


 魔王は願う。 


 家族を助けて欲しいと――


 魔王は汝に希う。





おしまい

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深緑の魔王 日々菜 夕 @nekoya2021

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